日経新聞とJAビルと経団連会館は、2009年に同時に道を挟んだ隣の区画から移転している。
現在の所在地は、
日経新聞 ……東京都千代田区大手町1-3
JAビル ……東京都千代田区大手町1-3
経団連会館……東京都千代田区大手町1-3
同じ番地である。
2009年に移転する前の所在地は、
日経新聞 ……東京都千代田区大手町1-9
JAビル ……東京都千代田区大手町1-9
経団連会館……東京都千代田区大手町1-9
同じ番地である。
つまり2009年以前からこの3つの建物は同じ番地に隣接していた。
ではそこ(東京都千代田区大手町1-9)にはいつ移転してきたのだろうか。
日経新聞 ……1964年
JAビル ……1965年
経団連会館……1966年
この移転が始まった1964年は、東京オリンピックの年である。高度経済成長のまっただ中である。
そして、この7年後の1971年に、読売新聞が、現在の地(産経新聞の隣)に移転している。
場所は前回の記事に書いたように、東京都千代田区大手町1-7-1、である。
以上をまとめると、
読売新聞、産経新聞、日本経済新聞の保守系3社が、大手町に本社をかまえるようになったのは、
1955年、産経新聞。
1964年、日経新聞。
1971年、読売新聞。
の順番になるが、
ポイントは東京オリンピックの年の1964年の日経新聞の移転で、
翌年1965年、隣にJAビルの完成。
翌年1966年、その隣に経団連会館の完成となっている。
この時期に実質的な経済界の取り込みは完成している。
そして2000年代以降の経済構造の変化の中でも、この三者の連携は現存して機能しているということだ。
しかし現JA会長の万歳会長の発言は、この三者の連携が限界にきていることを感じさせる。
現在の自民党の政策の一つである一票の格差の問題は、実際には国会議員定数を地方から中央へとシフトさせることになっている。自民党はJA票に頼らなくても勝てる選挙区割りを作りつつある。
ちなみに大手の他の2つの新聞は、
毎日新聞が、1966年に、有楽町から、千代田区一ツ橋に移転し、
朝日新聞が、1980年に、有楽町から、中央区築地に移転している。
(この間、読売新聞が、1971年に、銀座から、千代田区大手町の現在地に移転している)
朝日と毎日は、どちらも中心部から遠ざかっているし、場所的にもこの2つは互いに遠ざかっている。
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