この国は俺が守る―田中角栄アメリカに屈せず | |
仲俊二郎 | |
栄光出版社 |
本文より
そもそもこの事件(ロッキード事件)は最初から不思議なことだらけなのである。
先ず田中への賄賂を暴露したチャーチ委員会からしてそうだ。
ロッキード社の日本での政界工作を記した秘密の会計書類が、誤って上院のチャーチ委員会に送られてきたのだという。
それほどの重要書類が、間違ってこともあろうに国会へどうして送られてきたのか。
田中の独自の資源外交や
アメリカに先駆けた中国との国交回復、
さらには自分たちの宿敵ソ連との近い将来の平和条約締結の可能性と、
どれもこれもがアメリカの国益にとって邪魔なのだ。
その張本人の田中角栄を潰すことに、キッシンジャーは執念を燃やしていた。
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【私のコメント】
今までロッキード事件がアメリカによる田中角栄潰しであることは公然の秘密であった。
その公然の秘密が公然と出版物によって語られはじめた意義は大きい。
ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー
(Henry Alfred Kissinger, 1923年5月27日 - )
は、ドイツ出身のアメリカのニクソン政権およびフォード政権期の国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官。国際政治学者。
1923年に、ドイツ・ヴァイマル共和国のフュルトに生まれる。
父ルイス・キッシンガーは女子高で歴史と地理を教え、母パウラ(旧姓シュテルン)はアンスバッハ近郊ロイタースハウゼン出身の富裕な家畜業者の娘。
両親ともにドイツ系ユダヤ人である。
1968年の大統領選挙では共和党の大統領候補指名選に立候補したネルソン・ロックフェラーの外交顧問を務めていた。
しかしロックフェラーの敗北後にリチャード・ニクソンから直々のスカウトを受け、
政権誕生とともに国家安全保障問題担当大統領補佐官として政権中枢に入り、外交全般を取り仕切る[4]。
ウィキペディア より
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