ひょうきちの疑問

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「室戸へ」 お遍路記 11日目 鯖大師(別格霊場)

2020-09-30 05:00:00 | お遍路記 「室戸へ」
【11日目】 晴れ
 【札所】鯖大師(別格霊場)
 【地域】美波町(日和佐) → 牟岐町 → 海陽町(鯖瀬)
 【宿】 きよ美旅館 → 鯖大師へんろ会館


 昨夜は、なぜかよく眠れませんでした。
 午前7時ちょうど、今朝飯を食べ終わったところで、宿の女将さんと話しをしていました。
 女将さんの話しでは、この旅館は築後100年以上経っているそうで、女将さんが三代目の所有者だそうです。もともとは林業関係の山師さんが建てたらしいということです。いかにも昭和の雰囲気が残った木造で、密閉されたホテルの個室よりも私には居心地のいい旅館でした。
 ここには日和佐城というお城がありますが、それはコンクリート造りで、もともとお城はあったらしい、ということでした。しかし日和佐はその城下町というより、薬王寺の門前町として栄えた町のようで、いま泊まってるきよ美旅館の前の通りが薬王寺の参道で、「昔は皆がこの通りを通ってかなり賑わっていたけれども、薬王寺の前に南北のバイパスできてから、すっかり流れが変わってしまった」と言われてました。
 昔はこの地に県庁の支所があって、そこの職員がよく宴会を開いていたけれども、今はめっきり少なくなった、と言われてました。小学校も統合されて、昔は1学年140~150人がいたものが、今は1学年30人程度になっていて、山の奥から来ている生徒たちは、小学校からバスを出して送り迎えをしている、ということでした。
 昨日、ダムのそばの弥谷観音を出たあと、海へ向かう道を通らずに、右に折れて山道を南に行っていれば、この日和佐の町の山手の村を通ってきたはずです。この宿の横を流れる川は北河内谷川といいますが、その上流には北河内(きたがわうち)という地域があります。そこを通ってこの町に下りてきたはずです。
 この日和佐から牟岐町までは山道を通っていきます。海は意外と近くにあるのですが、海岸沿いの道はないようです。山がそのまま海に落ち込んでいる地形のようです。

 午前7時半に宿を出て、薬王寺横のコンビニで現金を7万円をおろしました。今から数日かかって室戸岬に向かい、そこの24番の最御崎寺を目指して歩きます。そこまで約80キロの道のりです。今日は20キロ先にある別格霊場の鯖大師まで行きます。そしてその鯖大師の宿坊に泊まります。
 今日は薬王寺を出ると、この美波(みなみ)町と次の牟岐(むぎ)町との町境に標高130mの寒葉坂の峠があります。そこを下ると小松大師があります。11キロ先です。

 そのあと牟岐(むぎ)の町に入って、そこに草鞋(わらじ)大師があります。そこから八坂八浜(やさかやはま)です。
 町を越えて次の海陽町に入るとすぐに鯖大師があります。その鯖大師の宿坊に泊まります。今から出発すれば、約20キロ先ですから、午後3時には着くと思います。


●写真 8時11分 日和佐トンネル手前の田園景色



 9時頃、700mぐらいの日和佐トンネルに入る直前の遍路休憩所で休んでだいぶ経ったところで、韓国人のキムさんが休憩所に入ってきました。キムさんは、これからしばらく休憩するようなので、私は「お先に」と言って出発しました。


●写真 8時52分 日和佐トンネル入り口



●写真 9時20分 山河内駅の標識



●写真 9時39分 寒葉峠にいたる国道



 午前10時頃、寒葉坂の峠を越えて牟岐(むぎ)町に入りました。今まで歩いてきた薬王寺のある日和佐は美波町でした。
 登り坂をやっと登り切り、寒葉峠で休んでいるところでキムさんに抜かれました。キムさんは「今日はゆっくり行く」と言っていましたが、ここでは休まずに行くようです。「昨日はハッスルしすぎて、体中が痛くて大変だった」と言っていました。キムさんは今日で3日目です。ジャンヌ親子はまだ後ろにいるようです。ここから約2.5キロで小松大師があります。そこに向かって歩いて行きます。


●写真 9時58分 寒葉峠の町境 牟岐町に入る



 午前11時30分、牟岐町に入って国道55号線から右に折れて遍路道に入りました。その遍路道が再度国道55号線と合流する地点に小松大師がありました。そこの小さな木陰で休憩しました。休憩しているところで、ジャンヌ親子が通りかかりました。私は、「もう20分ぐらいここで休憩していて、いま昼食もカロリーメイトですませた」というと、彼女たちは「もう少し先に遍路休憩所があるから、そこに行く」と言いました。その休憩所は私の地図には載っていません。やはり彼女たちの持っている英語版の地図が詳しいようです。私は「もうちょっと休んで行く」と言いました。
 ここの小松大師の小松というのは地名のようです。ここには集落があります。小松という集落にある弘法大師の祠という意味のようです。祠の横には公民館があって集落の集会場所になっていました。


●写真 11時10分 小松大師



●写真 12時4分 小松大師



 1時間近く休憩して、小松大師を出発するとすぐに売店があり、その横に遍路休憩所がありました。ジャンヌたちはそこで休憩していました。トイレもありました。女性にはトイレ情報は特に大切なようです。男が見過ごしがちな所です。
母親のナンシーは室戸岬まで何日で行くかを気にしていました。地図を見せながら、自分たちが泊まる宿を教えてくれました。彼女たちもやはり4日かけて室戸岬まで行くようです。「あなたは?」と聞かれたので、「私も4日かけていく」と答えました。「ホテルは」と言うので、昨日予約した明日の宿の民宿いくみまでを伝え、「あとはまだ決めていない」と言いました。私が「室戸岬は見たい所も多く、私はそこでゆっくりするつもり」と言うと、どうにか伝わったようでした。
 そこからまた3人いっしょに歩き始めました。


●写真 13時7分 牟岐町の旅館あずまの交差点



 牟岐(むぎ)警察署前で、女性のお巡りさんから蛍光の腕章をもらいました。昨日会ったお巡りさんもちょうど出て来て、ジャンヌたち二人に挨拶をされました。
 警察署を過ぎると、ジャンヌが「ドラッグストア」と指さしました。「湿布がなくなったので買いたい」ということを途中の道すがら話していました。ジャンヌはそれを覚えていて、目ざとく見つけてくれました。そこは道の奥の病院の薬局で、私は気づかずに通り過ぎるところでした。彼女は注意深く周りをよく見ています。
 そのあと牟岐の町中には入らずに、国道55号線沿いに八坂八浜(やさかやはま)を歩きました。山が海に迫って、山と浜が交互に現れます。


●写真 13時48分 内妻荘とトンネル



●写真 13時48分 そのトンネル前の海



●写真 14時4分 トンネルを抜けて



●写真 14時4分 鯖大師へ向かう国道55号線

この国道55号線は、徳島県徳島市から室戸市を経由して高知県高知市に至るまで続きます。山が海の近くまで切り立っています。



 徳島県海陽町に入りました。海陽町に入るとすぐ鯖瀬(さばせ)があります。そこにJR牟岐線の鯖瀬駅があります。鯖瀬駅の近くに鯖大師がありました。
 午後2時20分、鯖大師の入り口の橋を通過しました。


●写真 14時18分 鯖大師前の橋



●写真 鯖大師の入り口



●写真 14時27分 鯖大師の本堂



●写真 14時27分 鯖大師の太師堂



●写真 鯖大師の塔



 2時半ごろ鯖大師に着きました。少し遅れて大石さんも到着されました。といっても大石さんはこの鯖大師の7~8キロ先の海南町まで行かれて、そこからまた電車でここまで戻ってこられたそうです。大石さんの足は速く、常に私の先を歩かれるので、歩きながらいっしょになることはありません。明日は今日歩いた海南町までは電車で行って、そこからまた歩くそうです。「この鯖大師にぜひ泊まりたかった」と言われました。
 お参りを済ませた後、鯖大師の宿坊に入りました。事務所の女性に二階の部屋に案内された後、3時からお風呂でした。ジェットバブル付きのいいお風呂でした。それと同時に洗濯と乾燥を済ませました。
 4時から、住職さんが「護摩(ごま)焚き」をするということで、洗濯して乾燥機で乾いたばかりの白衣に着替え、数珠を持って下に行きました。地下道が通じており、仏様の並ぶ立派で幻想的な通路をとおって護摩(ごま)堂に入りました。ここも新しい立派なお堂で、ここで護摩焚きがありました。
 大石さんと2人で護摩焚きの法要を受けました。その際に大石さんは亡くなられた奥様の法要、それから私は半年前に亡くなった親父の法要をしてもらいました。御布施として3000円ほど包みました。


●写真 鯖大師の護摩堂へ向かう地下通路



●写真 16時26分 鯖大師の護摩焚き



●写真 16時27分 鯖大師の護摩焚き



 それが終わって、夜5時から夕食です。早い夕食です。夕食には遅れて到着された40才前後の女性が一人加わりました。「護摩の法要に間に合わなかったのが残念だ」と言っていました。

 夜は早く床につきましたが、眠れませんでした。昨日、今日となかなか眠れません。鶴林寺と太龍寺の二山越えの遍路ころがしを終えてから、どうも眠りが変です。ホッとしたのでしょうか。妙にいろいろな世間の雑事が浮かんで来ます。そのことを妻にメールすると、「そういう時期じゃないの。せっかくだから気が済むまで悩んだら」と突き放されました。何か頭の芯が冴えています。疲れているのに眠れません。
 電気をつけたままウトウトしていると、襖一枚隔てて隣の部屋で寝ている大石さんから「今何してますか」という声が襖越しに聞こえました。「ちょっとウトウトしてました」と答えると、「じゃあ、電気を消してもらえませんか」と大石さん。この部屋は襖の上がガラス張りで部屋の明かりが隣の部屋に漏れているのでした。「アッすみません。部屋の明かりが漏れてますね。すぐ消しますから」というと、「あなたも眠れないんですか」と大石さんは言われました。

 浅い眠りの中で、すこしウトウトしたあと夜中にトイレに立つと、そこでまた大石さんとばったり会って、やはり「眠れないんですよ」と言われていました。「私もですよ」と答えました。
 大石さんは奥さんを亡くされてから、どういう生活をされているのだろうか、とふと気になりました。男が2人が、夜中眠れずに宿坊のトイレでかち会う姿は、なぜか身に応えます。お遍路の眠れない夜は辛いものです。眠りに変調をきたしています。これも私の持病です。歩き疲れてヘトヘトなのに眠れません。頭の芯が冴えて眠くなりません。体力が心配です。妙に家が恋しくなります。

 朝の4時に眠るのを諦めて、また妻にメールを打ち始めました。暇つぶしでやっているのか、本気でやっているか分かりませんでしたが、家が恋しい気持ちがなかなか伝わりませんでした。妻からは「気が済むまで歩いたら」というメールが7時すぎに届きました。妻は、パートの仕事と同居する私の母の世話で、それどころではないようです。娘たちはすでに家を出て、今は三人家族です。

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