ひょうきちの疑問

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竹中平蔵の詭弁

2009-01-20 09:00:44 | 小泉竹中改革

2009.1.18 サンデープロジェクト テレビ朝日系
竹中平蔵と金子勝の討論

竹中は小泉構造改革のプラス面を強調する。
金子勝は小泉構造改革のマイナス面を強調する。

物事には必ずプラス面とマイナス面がある。
しかし竹中はそのマイナス面を全く認めようとしない。
そして未だに『小泉構造改革が失敗だったのは、その構造改革が徹底されなかったからだ』と言っている。
そうではなかろう。

私は『小泉構造改革が失敗だったのは、その構造改革が極端すぎたからだ』と思う。
その極端な発想を生んだ理由が、フリードマン式の新自由主義への盲信にあったと思う。
しかし竹中は、『政策は思想分類とは違う』として自らのとった政策が新自由主義であったことを認めようとしない。
これなどは詭弁のたぐいであろう。

問題はそのような盲信が経済分野だけではなく、日本人の考え方そのものにもおよび、政治・文化や教育など、さまざまな面にマイナスの作用を引き起こしつつあることにある。
教育改革も新自由主義的教育改革であったことは、今では誰でも知っていることである。
学校選択制や中高一貫教育はその代表的なものである。
教育界の格差は激しい。
PISA型の学力観も、国際競争というグローバリズムのもとに打ち出された学力観である。
その結果、今学校では大変な子どもの心の崩壊が起こりつつある。
そういう意味で『総括』が必要なのである。

竹中平蔵を、思想信条を大事にする良心的な学者だと思ってはならない。
彼はもはや政治答弁に終始する政治屋である。
自分の経済理論のバックボーンにある思想的背景を一顧だにしない、学者としての良心に欠けた詭弁家である。

彼の話のもって行き方は、自らの考えは間違っていなかったが、自分の考えに反対する抵抗勢力によってその政策が妨害されたから、構造改革が失敗したのだという論理をつくりたいようだ。
いや、構造改革の失敗すら認めていない。構造改革は失敗したのではなく、その改革の途上で挫折させられたのだという言い方をする。
失敗の責任をすべて他に押しつける言い方である。

金子勝が言うように『90年代から続いていた構造改革を小泉・竹中路線が加速させた』ことは、間違いのないことなのに、竹中はそのことを認めない。

竹中の論法は『構造改革』というものの実態を雲散霧消させることにある。
構造改革のいろいろな側面を取り出して、構造改革そのものが一体何だったのか訳の分からないものにしたいようだ。
小泉構造改革に思想的背景があり、その思想的後ろ盾により政策が極端に走り出したことも事実であるのだが、
竹中は先にも言ったように『思想分類を政策に当てはめてはならない』と、これまた自分に都合の良いことをいう。

彼はどんなことをいわれても自分の非を認めようとしない。
そして必ず構造改革のプラスの面を強調する。

それが行き詰まると、
『では、どうしたいのか』と逆に相手に詰問する。
司会の田原総一朗も、竹中の肩を持つように、金子勝にそう問いつめる。

そうではなかったはずである。
構造改革のマイナス面を認めようとしない竹中平蔵に対して、そのマイナス面を認めさせ、行き過ぎた日本の構造改革の総括をしてもらうことが番組の趣旨であったはずである。

しかし竹中は決して自分の非を認めようとしない。
これでは『総括』はできない。
そこに視聴者はいらだっているのだ。

構造改革以来、日本経済は外需(輸出)に頼り、内需を重視してこなかったことは事実である。
労働者派遣法を生み、その結果貧富の格差を生んだ。企業の内部留保は高まる一方で、労働配分率は逆に低下した。それが国民全体の需要を冷え込ませてきたことは事実である。

法人税減税をやろうとするのなら、その穴埋めに消費税を上げるのではなく、累進課税性を強化し、高額所得者からの増税を行えば良いではないか。

しかし竹中は『法人税減税は必須』の一点張りだ。

竹中の言いたいことは、前にも書いたが、次の2つである。
1 日本の法人税は高すぎる。
2 日本人の給料は高すぎる。

竹中が『同一労働、同一賃金』を主張するのは、
正社員の給与を派遣労働者と同一にすることである。
なぜなら、竹中によれば、『日本の正社員は恵まれすぎているから』だ。

これでは企業の内部留保だけが増えて、内需の拡大にはならない。
日本はますます外需依存型になるだろう。

それは大企業経営者の最も望むことでもある。
竹中平蔵は大企業経営者によって守られている。

そういう意味で大企業によって最も保護されているのは竹中平蔵自身である。

1 コメント

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無題 (ソリ)
2009-10-25 23:36:32
教育改革も新自由主義的教育改革であったことは、今では誰でも知っていることである。

「今では誰でも知っていることである。」

これこそ、資料を示さず持論が支持されていると思わせる詭弁ではないか。
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