6月17日に書いた記事 「ありがとう」 には |
実は続きがありました。 |
著者は |
この「ありがとう」のもつパワーは、ちょっと比類がない。 |
と書いています。 |
たとえば、赤ちゃんが生まれたとき。お母さんが、わが子を胸に抱いて言いようのない喜びに満たされ、思わずつぶやく、「ありがとう」。 |
(略) |
もとはといえば、ありがとうは「有り難い」であり、本来ありえないものがあるという喜び、あること自体が奇跡だという驚きから生まれてくる。 |
(略) |
生まれたての赤ん坊はまさにありがたく、本来なかったかもしれない存在がたしかにここにあるというこの感動以上に人の胸を打つものはない。そのときあふれてくる「ありがとう」を言うためにこそ、人は生まれてくるのである。であるならば、最もありがたく、最もありがとうと言わなければならない対象は、実は、本来いなかったかもしれないこのわたし、自分自身なのではないか。 |
自分自身に、「ありがとう」と言う。しかしそれが、多くの人にとって難しいことであるのは事実だ。だれにとっても、真に自分自身を受け入れることがいちばん困難なことだから。特に、拒否されて育ち、自らを否定して生きてきた人にとっては、決して、できないと思い込んでいることのひとつだろう。ときには、むしろ自分なんかいないほうがいい、消えてしまったほうがいいと思っていることさえある。そんな自分に、どうしてありがとう、などと言えようか。 |
だから、だからこそ、このことばがあるのだ。 |
(略) |
そのひとことで、生きていけることば。どうか、一度でもいい、このことばを信じて、自分自身に向かって、そっと言ってほしい。「ありがとう」と。 |