久世光彦・著 『夢あたたかき 向田邦子との二十年』 の中に、こんな一節がありました。
人を観察してその本心や本性を探ろうとするのは、利口なようで、愚かなことだと、年とともに思うようになったのである。どんなに目を皿のようにしたって、所詮は憶測、忖度を出ることはない。だいだい、表に見えていないものを見てやろうという気持ちの元は、疑いである。品のないことである。
.....品のないことかぁ。
確かに、マイナスな印象への疑いを持って、相手の本心を探るのは、品がないかもな。
でも、相手が、表情では笑っているけれど、本当に楽しんでくれているか、実は辛い思いをしていないか、とか相手の立場に立って考えるのはいいよなぁ。
相手を気遣い、相手の立場に立ってものを考えようとし、思いやっていることだからね。
これも思い上がりだろうか。
人を観察してその本心や本性を探ろうとするのは、利口なようで、愚かなことだと、年とともに思うようになったのである。どんなに目を皿のようにしたって、所詮は憶測、忖度を出ることはない。だいだい、表に見えていないものを見てやろうという気持ちの元は、疑いである。品のないことである。
.....品のないことかぁ。
確かに、マイナスな印象への疑いを持って、相手の本心を探るのは、品がないかもな。
でも、相手が、表情では笑っているけれど、本当に楽しんでくれているか、実は辛い思いをしていないか、とか相手の立場に立って考えるのはいいよなぁ。
相手を気遣い、相手の立場に立ってものを考えようとし、思いやっていることだからね。
これも思い上がりだろうか。
返事とか書きたくなかったら飛ばしいいですからね
と 今書いたことは本心ですが
これも相手の本心を探ろうとしてることになるのかな…?
たしかに相手の心は完全にわかることは
こちらには出来ないけど…
ズーキーさんと同じ意見で 相手を気遣うのは
品が無いわけじゃないと思います
優しさだと思います
だからズーキーさんの考えは思い上がりじゃないです
せっかくコメントもらってるのに、
読み飛ばしたりしませんよ(笑)
おせっかいと思いやりが紙一重なのと一緒で、
疑いと気遣いも紙一重なのかも知れないなぁ。
その紙一重なところをフラフラしながら悩むのが人間なのかも。
思い上がることの無いよう、日々気を引き締めなくては!