年があけて、まもなく東日本大震災から1年になるわけです。偕楽園内で地震になり、自転車で帰宅する途中で、大谷石やブロック塀が倒れたり、屋根瓦が落ちてしまった家がたくさん見てしまったわけで、築50年になる我が家はどんな惨状かと心穏やかではなかった。
我が家のこれまでの大きなリホーム歴といえば、
1.およそ30数年前に、築およそ15年の古いこの家に来て、台所のガスレンジと湯沸かし器をプロパンガスから都市ガスに変更した。風呂は石油炊きのまま残した。
2.間もなく下水道が整備され、トイレの水洗化と、台所の流し台などを新調した。この時の市の指定業者のごまかし工事が原因で水回り付近の土台の沈下があり、流し台亀裂と外置き風呂釜の傾斜が発生し、のちの流し台再新調などとあいなったわけである。
3.外壁、特に二階の屋根の下の三角形部分の痛みがひどくなり、化粧板張り、また室内では、洋間の天井が雨漏り等で傷んだので、張り替えた。
4.ガラス戸をサッシにした。一階は木製の雨戸、ガラス障子があって、廊下があり、廊下の内側に一部ガラス入りの紙張り障子であった。このうち廊下の外のガラス障子をアルミサッシにした。このとき格段にすきま風が少なくなった。でもまだまだすきま風はいまだに多い。
5.家の外壁は波つきのトタン板で、以前は一戸建て木造貸家ではこのようなトタン板の建物があった。このトタン板の腐食が激しく、断熱材もはいっていないので断熱材入りの外壁材を張り足した。これですきま風が格段に減った。それでもいまだに多い。
6.屋根がスレート瓦葺きで、瓦のひび割れとうがあり、雨漏り激しく、本瓦に葺き替えた。この時に屋根の重みが増して、家がひきしまった感じがして、一階の紙張り障子が動きが悪くなった。7.上記2.の流し台亀裂などによる流し台新調と、ユニットバスへの切り替えをおこなった。このとき、台所天井と壁と出窓、風呂場出窓、洗面所床などをリホームした。また紙張り障子を入れ替えました。このリホームにより住環境がよくなったものです。
このときに上記2.の下水道工事時の台所の穴あき汚水マス設置による水漏れによって、水回り付近の土台沈下があったことがわかった。この土台沈下により、台所、特に流し台下付近の床が沈下したため、流し台が宙づり状態となり、流し台に亀裂ができたことがわかった。またこの沈下により、台所にあったサッシ戸の開閉ができなくなった。さらには外置きの風呂釜の土台も傾いてしまい、風呂釜とのお湯のつなぎが外れそうになったのである。さらには水洗トイレの工事残土で、床下のコンクリートの土台の上の横置きの木の柱が残土に埋まってしまっていることもわかった。下水整備時に、水洗化などの宅内の上下水工事も、市指定業者しかできないと自分で言いながら、目に見えないところはいい加減な工事をしていた、その指定業者の顔が思い出される。
以上のリホームは専門家またはそれらしき修理屋さんが施工したものです。ただし、この時の台所棚取り付け、排煙フード取り付け、台所天井張り、台所出窓修理、洗面所床張りなどは建具屋職人の兄貴との共同作業で、素人雑草の手が入りました。
8.1階の二間の畳表を新調し、この時、たわんでしまった床板を仮に直しました。これは午前11時ころ畳屋さんが古い畳を持ち出してから、6畳では、午後3時ころ張り替えた畳を持ち込むまで、4畳半では午後1時ころ持ち込むまでのわずかの時間内での作業でした。特に6畳間の床の傷みが激しかったのは、この部屋で子供たちがバック転など飛び跳ねたためでした。畳屋さんが張り替えた畳を持ち込んだときに、床が見違えるほど固定されているのにびっくりしていました。
9.2階8畳間の床張りをしました。古い畳の上にカーペットをしいていたのですが、床板もたわみ思い切って、畳敷きから床張りにきりかえました。この時はホームセンターで材料を吟味しながら、店員の方に床張りの要領や、注意点を聞いて施工しました。キシミ音もしないものに仕上がりました。
思い出すままに我が家のリホーム歴を記しました。このような一見安普請の我が家でありまして、まわりの隣近所が次々に新築してゆくなかで、取り残されたような感じであります。そこに今回の大地震です。家にたどり着くまでに、多くの家の瓦屋根や塀の被害を見るにつけ、我が家はもしかすると、瓦が落ちるだけで(塀は生垣で心配ない)はすまないで、潰れてしまったのではないかと、家が見えるところに帰るのが恐ろしいほどでした。瓦の漆喰を施工してくれたリホーム業者が震災後真っ先に来てくれたほどです。彼は仕事を受注に来たというより心配して来てくれたのでした。
さて、震災で、我が家はどうなったのか。震災とは関係なく天井の張り替えを考えていた雑草は、天井板の張り替えと補強を進めてきました。現在は1階二間の天井張り替えと補強が終わり、二階への階段の補強と二階一間の天井張り替えと補強工事を進行中です。それで見えてきたが家は耐震構造でもあり、また免震構造でもあったということがわかり感心しているのであります。雑草が名付けた我が家の耐震構造は、鳥居方式。免震構造は逆さ弥次郎兵衛方式です。補強工事と鳥居方式と逆さ弥次郎兵衛方式については次回記録することにしました。