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薫 風 ~KUNPOO~

初夏に薫る爽やかな風に思いをよせ、YukirinとKaorinが日々の出来事などを綴るページです。

ホワイトハウス ~プチ留学その4~

2005-04-22 | 旅  行
■ 土日は授業がないため、朝から観光、いや視察研修に出かける。あいにくの雨だったけど、ひと目ホワイトハウスの内部を見てやろうと、寒い中、早朝から並ぶ。すでに長蛇の列。2時間ほど待たされて、やっと建物の中へと入ることができた。
■ アメリカという国は何でもオープンですばらしい。大統領の執務室や応接室などを見学(実際には現在は使用されていないもの?)。ところどころに、歴代の大統領の肖像画が飾ってあったのが印象的だった。いつの時代も、権力者とは、自分の肖像画を描かせるものなのか。建物内部にいたのは正味15分程度でした。
■ 午後はポトマックミルズというショッピングモールへ出かける。経済学部生としては、何としても新しいアウトレットの流通形式を見ておかねばならない。ガイドブックには首都圏からバスが出ていると書いてあるが、その停留所にいってもバスの時刻表など見当たらない。仕方がないのでバス会社に電話してみる。
■ いかんせん、電話というのは、顔が見えないだけに意思の疎通が図れない。どうしても相手の言葉が聞き取れない。だいたいアメリカ人は皆、まわりが英語を話すのが当たり前と考えていて、ちっとも手加減してくれない。2度3度と聞き返しているうちに「サンキュー」といって一方的に電話を切られてしまった。
■ しかし、ここであきらめる私ではない。モールの最寄の駅までいってみると、どうやらそれらしきバスが出発するところである。ええい、ままよ、とそのバスに飛び乗る。運転手に聞いたら、ショッピングセンターと駅とのシャトルバスであった。やれやれ。
■ ショッピングセンターはとてつもなく広い。ブルックスブラザースのジャケットとネクタイをゲットしてご機嫌。何故かこんなところで、日本から持っていったトラベラーズチェックを使い果たす。

ワシントンDCの思い出 ~プチ留学その3~

2005-04-08 | 旅  行
■ マスタークラスは、私のほかに日本人が1人、韓国人が3人、アルゼンチン1人、サウジアラビア人1名という少人数のクラスだった。前もってワシントンポスト紙かニューズウィーク誌の記事を読んできて、その内容について報告し、ディスカッションするというものだった。先生のJoeはマシンガンのように話してくれるが、とてもついていけなかった。でもまぁ、2週間の辛抱さと、あまり深刻に考えずにいた。
■ 西海岸に比べるとやはり日本人は少なめ。他クラスは平均10名前後だが、そのうちの1割程度か。その分、ベネズエラなど南米諸国の人たちが多かった。ワシントンはアメリカの中でもアフロ・アメリカンの人口割合が多いところだそうで、ほぼ60パーセントを超えるという。マクドナルドのお姉さんもすべてそうだった。そうやって、異文化が混じりあうことにより、アメリカ英語は独自の進化を遂げているのだろうか。
■ 夜、ノブさんと待ち合わせ、一緒にバスに乗ってジョージタウンまでジャズを聴きに行く。ジョージタウンは大学を中心とした学生街。その中に BLUES ALLEY という有名なジャズクラブがあり、WYNTON MARSALIS もライブCDを出している。今夜は JOHN PATITUCCI が出演の予定。彼は CHICK COREA AKOUSTIC BAND や MANHATTAN JAZZ QUINTET にも在籍していたことがあるベーシスト。久しぶりにビールを飲みながら、ご機嫌なジャズを楽しむ。

プチ留学 その2

2005-03-23 | 旅  行
■ 翌日は英語学校の初日。ホームステイ先から、徒歩~バス~地下鉄と乗り継いで1時間半くらいのところにその英語学校はあった。最寄の駅はDupont Circle。後でわかったことだが、この地区には同性愛者が非常に多いのとか...。
■ まずペーパーテストによってクラス分け。たいした準備もしていなかったが、なぜか成績はよかったらしい。日本の英語教育も捨てたもんじゃない。ペーパーには強いのだ。面接官が言うには「あなたの成績なら A Classか Master Class。A Classだとgrammarが主になるので、会話が目的ならMaster Classがお勧め」と言われ、ほんじゃあ、というわけでMaster Classに入ることにした。これが悪夢の始まりだった...
■ 授業は午前中で終わるので、午後は観光、じゃなかった…先進都市の視察研修。ワシントンの正式名称は“Washington, District of Columbia ”、日本語にすると「ワシントン、コロンビア特別行政区」という。全米50州のいずれにも属さない、連邦政府の直轄地だそうな。初代大統領George Washingtonと大陸発見者Christopher Columbusという二人の偉人の名が含まれている。New York、Philadelphiaに次ぐ合衆国史上3番目の首都として設計された公園都市である。
■ とりあえず、ホワイトハウスを外から眺める。なるほど、あそこに合衆国大統領さんがいらっしゃるのね。警備している警官もマウンテンバイクなんぞに乗っており、心なしカッコいい。その後、Washington Monumentを眺めながらLincoln Memorial周辺を散策。なるほど、ここでキング牧師が、ワシントン大行進のとき聴衆に向かって“I have a dream! ”といって演説したわけですな。重厚に座るリンカーンの座像を見つめつつ、しばしアメリカの歴史に思いを馳せる。

I have a dream that one day on the red hills of Georgia,
the sons of former slaves and the sons of former slaveowners
will be able to sit down together at the table of brotherhood.

プチ留学

2005-03-21 | 旅  行
■ 3月初旬からちょうど今頃の時期にかけて、WashingtonDCの英語学校へ通うため、2週間ほどホームステイしていたことがある。おなじアメリカへ行くのなら、日本人が多いであろう西海岸よりも東海岸のほうが良い。そして、どうせなら世界の政治の中心をこの眼で見てやろう、と思って留学先をWashingtonDC決め、日本を飛び立った。
■ マイレージを稼ぐため、NW航空で行くことにした。これまで何度か飛行機を利用しているが、悲しいかな、定刻どおりに到着したためしがない。この日もエンジントラブルとかなんとかで、テイクオフが2時間ほど遅れた。航空券を予約したときには「直行便」と聞いていたのに、なぜかデトロイト経由であるという。乗り継ぎカウンターへ慌てて行ってみると、カウンターの係員に“ It has gone.”と冷たく言われてしまった。これって、もしかして現在完了形?案の定、乗り継ぎ便は既に出発してしまっていた…
■ それでも次の便に何とか乗ることができ、夕方近くにRonald Regan Washington National Airportに到着することができた。こちらの空港はすべて偉い人の名前がついているのかいな。空港からホストマザーに電話して、ホームステイ先への行き方を聞き、地下鉄に乗り込む。ワシントンの地下鉄は空港まで乗り入れているし、路線がすべて色分けされていて、わかりやすい。およそ1時間弱Red Lineに乗って、終点のShady Groveという駅に着くと、彼女が車で迎えに来てくれていた。
■ ホストマザーの名はMeary。ジャマイカ出身の看護師さん(そんなわけで、夕食はほぼ毎晩本場のカリーだった…)。子供たちは既に自立して家を離れ、ご主人はエンジニアでただいま出張中とのことであった。私のほかにも日本から研修に来ているNobu、Republic of Central Africaから英語の勉強に来て、現在は銀行に勤めているというJousy、そしてベネズエラからの留学生ひとりの合計3人が既にホームステイしていた。(今となっては、名前のスペルが非常にあやしい…)
■ 首都から1時間あまり離れた郊外にある新興住宅地。1軒あたりの敷地が広いため、そのときはあまり感じなかったけれど、今にして思うとかなり大きな家だった(きっと子供たちの使っていた部屋を私たちに貸しているのだろうけど)。おまけにこのあたりには野生の鹿が出没するそうで、Mearyは“鹿たちが庭の木の芽を食べてしまって困る”ともらしていた。アメリカのスケールの大きさを思い知らされた次第。