幸隆の国から

歴史の跡、自然、いい湯などを訪ねて出掛けたときの記録。
また、四季折々、日々の雑感です。

日本百名城探訪・静岡編3 掛川城

2025-02-24 | 歴史

静岡県にある「日本百名城」を探訪する旅の最後は掛川城。

現在、各地の天守を木造で復元しようという動きがあるようだが、この「掛川城」は、日本で初めて「木造」で復元された天守閣だという。

 

JR掛川駅から真っすぐ北に向かって7~8分歩くと、掛川城跡の見事な天守が目に入ってくる。

左手角に見えるのは、時を知らせた太鼓があった「太鼓楼」。

 

 

きつい石段をのぼり、四層から成る天守内部に入る。

建物に入り上層階へは、よほど注意しないと転げ落ちそうな急な階段を昇る。

 

ようやく最上階にたどり着くと、眼下には「城郭御殿」の全体を見ることができる。

現存する御殿としては、全国でも少ない貴重な建物である。

お殿様になったつもりで、その向こうに広がる掛川の街並みを見渡す。

 

天守の見学のあと、「城郭御殿」のある二の丸へと向かう。

本丸を囲む位置にあった「三日月堀」は、パンフレットの古い絵図でもその名の通り三日月の形に見える。

 

ここが城郭御殿の玄関。

この建物は江戸時代後期に建てられた建物で、現存する御殿として貴重なもの。

 

玄関脇から今下りてきた天守を見上げる。

決して大きくはないが、美しい姿をした天守である。

 

玄関から書院造りの建物に入り、順路に従って進む。

入ったすぐの「三の間」には、お姫様が着たのであろうきれいな打掛が何枚も下がっていた。

虫干しをしているとのことだった。

思わぬものを見ることができラッキーだった。

 

いったいどのくらいの数の部屋があるのだろうか、畳敷きで、襖で仕切られた部屋が次々現れる。

二の間、次の間に接する「御書院上の間」は、藩主が謁見に使ったり儀式が行われた部屋で、なかでも格式の高さを感じる。

 

全国の城跡を見て歩くと鉄筋コンクリート造りの天守が少なくなく、それらは外観は天守閣であっても内部に入ると通常のビルと変わりはない。

今回訪れた掛川城は、「木造」で復元された天守である。

木造ならではの内部の梁や柱、床、階段などが、現存天守を見学したのに近い価値あるものに感じた。

 


日本百名城探訪・静岡編2 駿府城

2025-02-23 | 歴史

静岡県での日本百名城巡りの二カ所目は「駿府城」。

天下統一が成り大御所となった徳川家康が、大普請をし築城したのがこのお城だという。

三重の堀を廻らせ、壮大な天守をもつ「駿府城」であった。

現在は、築城当時の本丸と二の丸の部分が「駿府城公園」となって開放されており、一部の建物が復元されている。

隠居した家康になったつもりで、公園内を歩いてみた。

 

お城は、外側から「三の丸堀(外堀)」、「二の丸堀(中堀)」、「本丸堀(内堀)」の三重の堀に囲まれていた。

二の丸堀(中堀)

 

本丸堀(内堀)

 

二の丸水路

両側に石垣が積まれ、本丸堀と二の丸堀をつないでいる。 

一部の底には石が敷かれていて土が流されないようになっているとのことである。

 

駿河城公園(本丸・二の丸)へは、二の丸堀に架かる「東御門橋」を渡り、「東御門(復元)」の枡形を通り抜ける。

 

二の丸には二つの櫓が復元されている。

南東の角にある巽櫓(たつみやぐら)と南西角の坤櫓(ひつじさるやぐら)である。

それぞれが位置する方角から呼ばれた名称であろう。

 

広い公園内を進むと、家康公の鷹狩の姿の像がある。

 

家康公の像の脇には、家康公お手植えだとされる何本かのミカンの木がある。

不心得者がいていたずらをするのか(?)、がっちりと金網で囲われている。

 

また、家康公像の後ろでは、天守の発掘調査が行われている。

中をのぞくと、出てきた石垣の一部が見える。

 

城跡(公園)を一回りしてみると、周囲には近代的な高層ビルが立ち並ぶ市街地の公園である。

わずかに東御門や二つの櫓、お堀などから、そこが大きなお城であったことをイメージしたのだった。

現在発掘調査が進む天守台に、もし将来、5層あるいは6層の天守閣が出来るならば、イメージはがらりと変わるであろう。

 


日本百名城探訪・静岡編1 山中城跡

2025-02-22 | 歴史

今回の日本百名城探訪の旅は、静岡県の[山中城]・[駿府城]・[掛川城]の三か所の城跡を巡った。

最初に訪れた「山中城」は文字通り山の中の城である。

JR三島駅からバスで約30分、「山中城跡」で下車すると「山中城跡公園」は目の前である。

 

バス停⇒三の丸堀⇒西櫓⇒北の丸⇒天守台⇒本丸⇒二の丸⇒障子堀⇒西の丸(物見台)⇒バス停のコースをたどった。

バス停前の広場を通り抜け、「三の丸堀」脇の緩やかな登りの探訪コースを上っていく。

コースの所どころにはまだ霜柱が立っており、グサッとそれを踏みしめることもある。

 

西櫓から西の丸の縁を巻くように、障子堀を見ながら北の丸へ進む。

「北の丸」はかなり広い平らな広場がひろがっていて、ぐるりと土塁で囲まれている。

 

北の丸と本丸との間、一段高いところに「天守台跡」がある。

天守といってもどの程度のものであったのであろうか、広くはなく、礎石などは何も残っていない。

 

天守台から先に進むと、「本丸跡」に到着。

ここも往時をしのばせるものは何もない。

 

本丸と二の丸を結ぶ「本丸西橋」。

土橋と木橋が半分ずつの橋であり、敵が迫ってきたら木橋の部分は壊したものらしい。

 

この城の特徴の一つは、石垣が無く、いずれの郭も土塁で囲まれていることではなかろうか。

しかも、その外側は空堀で守られている。

よく「土の城」と表現される。

山中城の堀の多くは「障子堀」であり、探訪コースの見どころとなっている。

一度ここにはまったら進むに進めず、退くに引けず、横の移動もままならず、攻める方は大変であったはずである。

 

一旦「溜池」のあったところまで下るが、そこから急な斜面を「西の丸」へ登る。

西の丸には「物見台」があったとされる場所で周囲が見渡せる。

下を見ると西の丸を守る障子堀もよく見えるし、何よりも、土塁越しに富士山が眺められるのがすばらしい。

富士が見えるのと見えないのでは大違い。

恵まれた天候に感謝しながらバス停方面へと戻る。

 

北条氏は小田原を攻めようとする豊臣秀吉に備え、この城を強化したとされる。

しかし、豊臣軍4万に攻められ、守る北条軍はその十分の一であり、一日もかからず落ちてしまったと伝えられているそうだ。

いかに優れた縄張りであっても、「十倍」の敵を追い返すのは難しかったということであろう。


ちょっと遅れたが「寒ブリ」を食べに

2025-02-16 | グルメ

ブリといえば、脂がのった12月~1月の寒ブリが一番だとされる。

まだ間に合うだろうと「すしえもん」さん(所沢市)に出掛けた。

今年は「ブリ」が豊漁だと伝えられるだけあって、おいしいブリを食べることができた。

 

もちろん他の物もいただいたが、やはり今回の狙いは「ブリ」。

握り二貫と切り落としの軍艦がセットになった「ブリ三昧」の一皿。

一切れが贅沢に大きく厚いのは豊漁のせいだろうか、思わずほほがゆるむ。

 

「すしえもん」さんの経営は宇和島の水産会社とのことである。

地元宇和島は鯛の産地であり、本日のおすすめにあった戸島の活〆の鯛は外せない。

たっぷりと大きなネタが載っている。

鯛のプリプリした身がたまらない。

 

続けざまに頼んだブリ。

そして、傍にあるブリとタイ一貫ずつの皿は「すしえもんブラザーズ」。

鯛とブリの二種類のネタが組み合わされた一皿。

 

一昔前、目の前で板前さんが握り、寿司の載ったお皿がレーンの上を回っていく回転寿司が多かった。

その頃に比べると、今の回転寿司はネタの豊富さ、新鮮さなどは格段に異なるように感じる。

お店の形態も、回転寿司の気軽さを残し、進化(ハイテク化)した形になっている。

雰囲気はファミレスに近く、手元のタブレット端末で好きなものを注文する。

寿司が出来上がるとトレーに載ってレールの上を目の前まで走ってくる。

回転寿司では、誰も手を出さない皿が回り続けるというようなこともあったが、この形式だとそれは無い。

私のように高級店には縁遠いものにとっては、形はどうあれ、リーズナブルな値段で、新鮮な寿司を腹いっぱい食べられるお店があるのは何よりである。


ムクロジの実がいっぱい

2025-02-16 | 植物

公園のムクロジの木を見上げると、まだ、いっぱい実を付けている。

 

地面を捜すとその実がたくさん落ちていた。

数日前だったろうか、ずいぶん風の強い日があったが、その風にあおられて落ちたのであろう。

なにか使う当てがあるわけではないが、面白半分で拾ってみると50個以上になった。

 

中の堅い黒い実は、羽根つき遊びの羽根に使われるらしい。

鶏の羽根さえ手に入れば作ってみたいものだ。

また、数珠状につなげてブレスレットにもするようである。