como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

「翔ぶが如く」を見る!(6)

2009-08-23 13:26:15 | 往年の名作を見る夕べ
 見ていてホントに感動するんですけど、このドラマ、セリフいいですよね。ヒューマンな意味での「いいセリフ」っていうよりも、幕末ファンの琴線をびんびんかき鳴らすセリフが毎回必ずあります!(そこが「篤姫」と違うとこなの…小声) 
 それっていうのは、ある人物の、ある場面での心情をセリフで的確に伝えていること、そして、その心情と行動の影響が波及する先まできちんと把握されていること。特に予備知識がなくても、熱心に見ていれば、そのセリフが伏線になっていることは、のちのち分かってくるようにできてます。こんなに見事だったんだ!これは、リアルタイムで飛び飛びにみたときにはわかんなかったわけよね。
 こういうことは、歴史ドラマとしては非常にまっとうで、正攻法なやり方だとおもうんですけど、それには日本人として常識的な教養と、人間洞察力と、そしてもちろん膨大な勉強量があると思うんです。あらためて小山内美江子さんに感服いたします。ろくなリサーチもできず「歴史ドラマを書くつもりはない」と放言するような脚本家に、大河ドラマを書く能力があるのか、NHKにはよく考えて欲しいですよね。
 ということで、いよいよ激動の安政5年。有名事件目白押しの10話、11話です。

第1-10話 斉彬出兵計画

 いよいよ薩摩自慢の洋式兵団をひきい、挙兵上京を決めた斉彬(加山雄三)。兵隊となる城下の二才衆は盛り上がり、幕府の首脳を皆殺しにするくらいのつもりでいます。「井伊といえば赤備えの先鋒隊、相手にとって不足はなか!!ちぇすとぉーーっっ!!」とか言って室内で暴れたりしておりますが、吉之助(西田敏行)は、斉彬に、この挙兵はけっして暴力的な意図ではなく、幕府の目を醒まさせるためだということをよく含みおくのでした。
 薩摩軍が武装して京都に入るためには、禁裏守護のボランティアだという帝のお墨付きが必要なので、その根回しをするために斉彬は吉之助を京都に派遣。その際、丸に十字の島津家紋の羽織を下賜します。あまりの光栄に震える吉之助は、その夜、正助に、「殿の御出兵で日本国は変る。オイは死ぬつもりで今度の仕事をやりぬく!」と決意を表明。正助も「吉之助サアだけを死なせはしもはん。死ぬときは誠忠組が討って一丸、火の玉となって幕閣の目を醒ますときでごわす。そんときは、互いの屍をのりこえて進みもんそ!」と熱く語りますが、そう…この死ぬ覚悟の共有が、その後の二人を支えていくわけなんですよね。
 幕府では、いよいよ切羽詰っています。帝の勅許がないと通商条約に調印できないということで、ハリスから、幕府の政権担当能力を疑われはじめているんですね。そこで井伊直弼(神山繁)は、現場責任者の岩瀬忠震に、現場の判断ですすめてよしと丸投げしてしまいます。うろたえる幕閣たちに、「異国との戦争で日本が滅びてもよいのかっ!」と脅しをくれながら…。
 さらに将軍継嗣問題ですが、家定(上杉祥三)が泣きそうになって篤姫(富司純子)にいうには、「許せ御台、うんと言ってしまった」、うんというまで奥に帰さぬと井伊が申すゆえ、次は紀州じゃと言うてしまった…、じゃがこれで好きなだけ御台と遊べるよ♪と無邪気な上様に、篤姫は言葉もなく脱力します。
 そして、井伊の独断によって勅許を飛び越えたかたちで、日米修好通商条約は締結されるのですが、これはとうぜん大問題になります。まず江戸城にやってきて井伊を詰問したのは一橋慶喜(三田村邦彦)。得意の才気溢れる弁舌で、井伊をメタクソに責めまくるのですが、井伊は「畏れ入り奉りまする…畏れ入り奉りまする…畏れ…おそれおそれ」(ってこれ「篤姫」の中村梅雀さんもやったんだけど、最高!井伊直弼の見せ場ですよね。やっぱ井伊役はこのくらい上手いひとがやらなきゃあっ!!)とノラクラと逃げまわって、「自分の独断で条約調印したことを認めて、帝に申し開きし、取り消せ」という慶喜のロジックを回避するわけです。
 ついで、越前藩主の松平慶永(磯辺勉)、水戸の徳川斉昭(金子信雄)が押しかけて、井伊おろしのブーイングと座り込みをしますが、「掃部頭は大老でござる!」と動じない。そして、井伊を責めまくったこの4人には、キツーイ報復が待っているのでした。
 京都にはいった吉之助は、月照(野村万之丞)を通じ、右大臣近衛忠熙(柳生博)に斉彬の挙兵上京をプレゼンします。これは世直しのためだ!と。その活動に手ごたえを感じていた折も折、江戸藩邸から伊地知正治が上京してきて、「十三代様が死んだ」と恐るべき知らせがもたらされました!斉彬が心血注いだ将軍候補・一橋慶喜は、その父親もろとも井伊に謹慎処分にされ、篤姫の任務も失敗に終わります。
 が、薩摩の国許では、家定の死どころではなかったんですね。藩をあげての洋式調練を、真夏の炎天下に行った夜、斉彬は病を発し、そのまま危篤状態になってしまいます。「殿は毒を盛られたのに違いなか。お由羅一派から目を話すなち頼んでいった吉之助サアに、オイは腹を切って詫びてもすむこっではなか!!」と呻吟する正助…。その祈りも虚しく、斉彬はいよいよ枕頭に久光(高橋英樹)をよぶという今わの際になります。
「わしは一外様大名の身ながら、奮って朝廷を安んじ奉り、幕政を改革し、富国強兵を図って、異国に臆することなく相対したいと勤めた。が、時未だ至らず、志ならずして天寿が尽きようとしておる。頼みとは、よろしくわが遺志をおことのものとして継いで欲しいのじゃ。それがなれば、わが肉体は滅びようともなお、わが命この薩摩に生きる如くである」
…この斉彬の遺言をうけて、ひとり重圧に慄き、号泣する久光。的確でいいシーンです。その後の久光を支えるモチベーションや、良くも悪くも純情な性格、いろんな意味で勘違いしていく発端がハッキリ見える。
 死に行く斉彬は、幽霊となって大奥にあらわれ、篤姫に侘びをいって別れを告げます。単なる夢ともおもえず、戦慄する篤姫…。こうして、斉彬は志半ばにして昇天ということにあいなりますが、吉之助は、まだそのことを知りません。


1-11話「大獄の嵐」

 斉彬(加山雄三)死去の知らせを、吉之助(西田敏行)は京都で受け取ります。衝撃のあまり放心し、フラフラと町をさ迷う吉之助。「殿がいなければこの世は常闇…」。
 すべてを中断して帰国するという吉之助が、尋常の様子でないと気づいた月照(野村万之丞)は、宿屋に吉之助を訪ね、「国に帰ったら殉死するおつもりですな」とズバリ指摘します。忠臣は二君に見えずと申します、オイは殿の墓前で腹を切って後を追います…と思いつめた吉之助に、月照が語るセリフが凄くいいんで、丸々採録してみるね。
「そやけど薩摩さんのご無念はどうなります。薩摩さんが京へ上って何をしようと志されたのか、それはあんさんがいちばんようご存知とちがいますやろか。止めてもそおそらくあんさんはお腹を召しますやろ。けどなあ、拙僧は薩摩さんがあんさんにどれだけ目をかけてはったかも知っとります。そのあんさんが、お殿さんの御遺志も継がんと後を追うたら、どないにお嘆きになるか。あんさんにはそれがお分かりになりまへんのか。お殿さんに死なれたからゆうて、西郷さんはこの世がどないになってもかましまへんのか。それがあんさんの忠義ゆうことですか。もしそやったら、薩摩さんはいちばん信頼してた御家来に裏切られたいうことになりますなあ」
 この慈愛溢れる励ましに、吉之助は「オイが間違っちょいもした~~!!」と号泣。月照もソッと涙を拭きます。立ち直った吉之助は、帰国を取りやめ、まずは不当に謹慎処分を被った斉彬の同志、一橋・水戸・尾張・越前の各殿様の開放を命じる勅状を、天皇から取るという運動を開始します。
 吉之助の働きで、天皇から幕府への勅状はくだり、それがいわゆる「戊午の密勅」事件に繋がっていくのですけど、吉之助はそれを自ら携え、命がけの早駕籠に乗って江戸へ飛びます。なにか、斉彬の死の脱力感を振り切るため体力の限界越えに挑戦しているような。
 江戸では、越前と水戸が思った以上に重い処分で、藩邸には町火消を動員して監視をし、部外者の出入りを絶って殿様たちを軟禁している。その監視の目をくぐって勅状を届けるため、吉之助は新門辰五郎(三木のり平)の力を借ります。江戸っ子は上から命令されるが大嫌い、ほかならぬ一橋様のためだお力になりやしょう、と辰五郎の助力で、水戸藩邸に入り込めた吉之助でしたが、やっと会えた水戸の江戸家老の返答は、「ご老公は厳重謹慎中、御家の命運が懸かっているので勅状はお受けできない」という切ないものでした。
 吉之助は、水戸・尾張・越前・一橋家がアンチ井伊の行動をおこす、というか起こさせる場合にそなえ、帰国する薩摩の老公一行を禁裏守護の名目で京にとどめ、援軍にするという案を考えて、幾島(樹木希林)に話します。落ち込んでいた幾島は、「さすが西郷サア、ほんのこて頼もしか」とモロ薩摩弁に戻って(?)絶賛しますが、未亡人になった篤姫(富司純子)の話題になると、目が据わり、「わたくしは姫さんを本寿院ごときに負けない鬼姑に育てるつもりです。次の将軍家の御台所に、誰が子など産ませましょうぞ」と。大奥での壮絶な心労が吹き出て、壊れたように笑う幾島…(この場面の樹木さん最高)。
 が、こんな吉之助の計画も、それどころじゃなくなってしまいます。名高い「戊午の密勅」が、いよいよ水戸家に下ったんですね。幕府をコケにしたこの動きに大老・井伊直弼(神山繁)はブチ切れて、京都で活動していた朝廷シンパや反井伊の志士を片っ端から逮捕しだしたんですね。いわゆる安政の大獄です。
 薩摩と朝廷のネゴシエーターとして活躍した月照は真っ先に指名手配され、吉之助は、月照を逃がすために同道。亡命先をもとめて奈良へ、下関へと逃れます。下関で、勤皇商人の白石正一郎宅に月照をあずけ、有村俊斎(佐野史郎)を付き添いに残して、吉之助は薩摩へ先乗りします。
 が、薩摩でも、井伊のパージを恐れて月照の受け入れは拒否されるんですね。「十年前の奸賊どもがまたぞろ息を吹き返してごわす!」と吐き捨てる正助(鹿賀丈史)。そして、奔走する吉之助のところに、俊斎がノコノコと薩摩にかえってくるんです。月照は勤皇志士の平野国臣に頼んで、自分は吉之助を助けて月照受け入れに運動しようと思って…とマヌケなことをいう俊斎に、吉之助と正助は怒り爆発。半殺しに近く責めまくります。「こんな奴に月照様を託したオイがバカじゃった…!」と吼える吉之助。オイオイ泣きだす冬彦さん(笑)。あまりに情けないので、なんかしょうがなくなって、いままで袋叩きしてた男の肩を抱いて慰めてやる吉之助・正助、この呼吸が絶妙に良いの! 薩摩独特の濃厚な同士愛が匂いたちますよね(笑)。
 そのころ、月照は、公儀隠密も生きて帰れないといわれた厳戒の肥薩国境を、たよりない法体の足で歩いて越えようとしてました…。

(つづきます)


6 コメント

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こんばんは (大河)
2009-08-25 02:58:54
月照さんのせりふ、いいですねぇ(総集編にはない)。

本物の西郷さんはどう思ったか知りませんが、ドラマの流れでは、確実に殉死するはずの西郷さんをとめるにはこれ以上のせりふはないでしょう。
地球儀を囲んでいる斉彬と西郷が見えてきます(笑)。

さらに歴史ドラマの長所であり短所でもある、今後の月照の運命がわかっているだけに感慨深いものがあります。

「篤姫」と違って斉彬は早い回で死んでしまったのに、かなり印象に残っています。
高橋英樹さんの斉彬も悪くなかったんですけど、久光の印象が強い彼をなんでキャスティングしたんでしょうか。
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「篤姫」は (庵主)
2009-08-25 22:18:48
大河さん

野村万之丞さんの月照は、ほんとに見ているだけでジーンと痺れるほどの癒しのオーラが出ています(笑)。

>高橋英樹さんの斉彬も悪くなかったんですけど、久光の印象が強い彼をなんでキャスティングしたんでしょうか。

うーん……「翔ぶが如く」見ていると、篤姫の脚本家さんは、いろんな意味でこの作品をかなりリスペクトしておられたのかな、と思うんですよね。
なので、重要なシーンは、張り合ヘンな新解釈をほどこすとかしないで、「パクリすれすれ?」と思うくらいそのまま使っているんですが、これは、むしろ身の程を解っているといいますか(笑)、かえって好感が持てます。今年のみたいに、歴史ドラマなんか書けやしないくせに恥を知らない強みでトンデモ大河ドラマにしてしまうより、100倍くらいいいです。
高橋英樹さんの久光もリスペクトの一環なのでしょうが…やっぱり彼は久光なんですよね。でも、山口祐一郎さんの久光が意外や良くて上書きしてしまったので、高橋さんにとっては気の毒な結果というか、なんというか…。
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リスペクト (大河)
2009-08-27 01:22:39
庵主様。


リスペクトですか。
どうせなら、小松帯刀をきちんとリスペクトしてほしかった。

今年は、もう歴史ドラマとしては期待していませんし、これから関が原に向けて女性が起こしたことにしてもいいですから、突っ込み所満載にしてほしいです(笑)。

でも、歴史上の人物にはリスペクトしてほしい。
兼続はまだ今後、脇役でもドラマに出てくることはあるでしょうから、名誉回復は可能だと思いますが。
実際の泉沢久秀が気の毒で。
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原作に手をつけました (むぎ)
2009-08-27 16:55:07
庵主様こんにちわ。いつもながら細かいレビュー、恐れ入ります(^^)

翔ぶが如くは女性の方が脚本された作品なんですね!今年の大河「女の脚本だから」というだけで嘲笑している人に知ってもらいたいものです。名作と呼ばれる陰には、庵主様のおっしゃるとおり、膨大な勉強があってこそなのでしょうね。…といっても、肝心の本作を見てはいないのですが(~∀~;)汗

DVDを借りてはいませんが、庵主様に触発され、父の本棚の奥から原作の翔ぶが如くを引っ張り出してきました(親子そろって司馬ファンです(^^))。仕事休みを良い事に読み始めましたが、何たって10巻もある上に、幕末の知識が何とも乏しい私の頭では、1日で1巻の半分を読むのが精一杯…;; ですが、やはり司馬遼太郎は良いなぁとしみじみする文章です。この翔ぶが如くはもちろん、先日読み終わった『回天の門』『燃えよ剣』などの幕末を生きた人物を描くストーリーを読むと、その時代を生きた英傑達のエネルギーを少しもらえる気がします。…う~む、同じくらいエネルギーに溢れているはずの戦国の世を舞台にしながら、今年の天地人はどうしたもんかと、首をひねらずにはいられませんね(~~;) 天地人のレビューも楽しく読んでいます。

原作を読みつつ、庵主様のレビューを見て楽しんでいこうと思います。DVDも借りたいけど、最近の無駄遣いでお財布が悲鳴をあげてる今は我慢我慢…(苦笑)
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礼儀だけはあったと思います。 (庵主)
2009-08-27 20:48:27
大河さん

うーん…リスペクトっていうのはやっぱりほめすぎかな。「最低限の礼儀」っていったほうがいいかも知れない(笑)。
っていうのは、まったく同じ時代を扱って定評ある名作がある以上、浅はかな新解釈を加えたりしないで、素直に借用するというのは、それはそれで好感の持てる態度だと思うわけです。
そのかわり、オリジナル解釈をほどこした部分はメタクソでしたよ~。特に小松帯刀の造形。あんなものが「翔ぶが如く」版の誠忠組にいたら、ペラッペラにのされてどこかに吹き飛んで消滅してしまうでしょう(笑)。
あと、「篤姫」のレビューでは、寺田屋騒動の扱い方に、この温厚なわたし(ウソ)が珍しく「ふざけんなあ!」とか言ってキレてますが、ようするに、定評ある名作に対しての礼儀はあったけど、歴史上の人物にたいする敬意はやや乏しかったってことですね。

>実際の泉沢久秀が気の毒で

去年は小松帯刀を気の毒だと思ってましたが…泉沢久秀にくらべればだいぶ幸せかもしれない(笑)。
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やっぱり幕末は面白い (庵主)
2009-08-27 20:57:01
むぎさん

おおっ、原作に手を出されましたか!
「翔ぶが如く」原作は明治からの話なんですよね。ドラマでは幕末篇のほうが長いですが、そちらのほうは、OPクレジットで「『翔ぶが如く』『きつね馬』より」「『翔ぶが如く』『最後の将軍』より」とか、その回の内容によって適宜変わっていますね。
わたしは、原作に出てくる桐野利秋が大好きなので、それで原作も読んだようなもんです。
原作を読んだせいか、「翔ぶが如く」は後半の明治篇のほうが記憶に鮮明なんですけど、やっぱり幕末はドラマとして面白いですね。

まあ…今年のことはあきらめて、来年に望みを繋ぐとしますかね。
期待のしすぎもどうかと思いますけど。とくに、本作を見てしまったのは逆効果だったかな、と、ちょっと不安になっています(笑)。
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