como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

「独眼竜政宗」を見る!(15)

2009-05-04 22:50:19 | 往年の名作を見る夕べ
 伊達家の転封、朝鮮出兵、など、物語がかなり大きく動きます。カツシン秀吉の大芝居はどんどんテンションがあがり、どこまで行くのか見守ってしまうのですが(笑)、かわりに、忍耐ということを覚えた政宗の、耐える演技がこの巻のみどころ。耐えること、そして内省、ということを覚えた政宗は、このあとダイナミックに成長するための力を蓄えています。
 辛いことがあっても、それをへんな理屈っぽい台詞とか、ましてや男のグダ泣きなんかを恥ずかしげもなく披露するような、そんな幼稚な作劇はこのドラマとは無縁のものでして、政宗の心中深く隠したナイーブな心は、背中や、遠景の小さな姿などでさりげなく表現されます。そんなところも味わい深い。
 というわけで今回は、秀吉の暴走と政宗の忍耐がみどころの、第29話と30話です。

第29話「左遷」

 大崎・葛西の一揆鎮圧の戦はかなりの激戦になり、伊達家中にも多くの犠牲がでます。お東の方の輿入れから仕えてきた山家国頼(大和田伸也)も戦死。「国頼は殿の為に死ぬるのでございますか。関白殿下のためでございますか」と悲痛な国頼の死に際の言葉に、答えることのできない政宗なのでした。
 が、苦労の果てには朗報が。猫御前(秋吉久美子)が妊娠します。喜びを爆発させる政宗でしたが、光あれば影あり、時をおなじくして、秀吉(勝新太郎)の一粒種の鶴松丸が急死してしまうのですね。秀吉はショックのあまり取り乱し、大狂乱を演じます。
 そう…この秀吉の狂乱が大変な見もので、ほとんどシェイクスピア劇みたいなんです。喪に服するため、居並ぶ大名達のまえで髻を切った秀吉は、「そのほうらはたんと子がおるよって今の儂の様を、女々しいと思うであろう…」からはじまり、延々、そう、5分以上はある長い長い長台詞に突入します(長いので省略)。
 笑え笑え笑うてくれい!!おおお、黄金の雲がみえる、鶴松はさだめし極楽にいったのであろう…と、劇的に天を仰いだ秀吉は、クワッと眼を見開くと、「いままで誰も見たことの無いような供養をしてつかわす。出兵の支度をせい!!朝鮮国を手に入れ、かの地を足がかりに明国を手に入れるのじゃ!どうじゃ儂にふさわしい憂さ晴らしであろうっっ!!!!」…と壮大なクレッシェンドに雪崩れ込んで、イヤーすごいすごい。カツシンにしかできないワンマンショーです。
 こんな物凄い大芝居をしながら、秀吉は、妻のねね(八千草薫)との寝室で、情けなく弱い姿を見せたりします。「なんで…なんでこんな思いせんならんのや」と。ねねに布団をかけてもらって、幼児のように体を丸めて眠りにつくところが、長々とつづくのですが、ただそれだけのシーン(それも御簾ごしの暗い画面)で長い間をもたせるのも、今じゃとっても考えられない。役者の存在感と、ドラマの格調の違いというものでしょう。
 秀吉の不幸は、政宗にも微妙な影響を及ぼします。奥羽地方の知行割りが発表になりますが、政宗に下されたのは、大崎・葛西と新発田・宮城・黒川などを手にするかわり、住み慣れた米沢と、先祖墳墓の地である伊達、愛姫の実家の田村など、所縁の地をすべて没収され蒲生氏郷にあけわたす、という非情なものでした。
 この知行割を言い渡したのは、「上意である!」と秀吉からの全権委任を振りかざす三成(奥田瑛二)です。前回にも増してムカーーッッとくる嫌な奴で、文句があるならほれほれ言って見ろ、と挑発する顔が、もう引っかきたくなるくらいムカつくんです!(いやー奥田さん上手いなあ)
 この領土割りは徳川家康が差配したのだ、文句は家康に言えと三成にバカにされた政宗は、憤然と家康に抗議にいきます。が、家康の返事は、「左遷なんてことはない。むしろ喜ばれると思った」と意外なもの。まあ聞きなさい、大崎・葛西はまだまだ未開拓で、表高は少ないが増収の見込み大。しかも黒川には金山。西には海が開け海運もバッチリ。富はそこもとの腕次第で無尽蔵だぞ。どっちかというと辺鄙な米沢にやられた氏郷のほうが左遷なんだ…といわれた政宗は、目から鱗がボロボロ落ちます。これからは先祖伝来の地にこだわってる時代じゃないんだ!と…。
「卒爾ながら(こういう言葉遣いも素敵…)家康殿ほどのお方が、心底関白殿下を敬ってしたがっているのですか」と政宗に率直に問われた家康は、鷹揚に笑い、「水は方円の器に従う。わしは怠け者でな」と、政宗の生き方にさらなる示唆を与えるのでした。
 こうして、柔軟に時代にたちむかっていく政宗と対照的なのが、最上義光(原田芳雄)です。山形城に豊臣秀次(陣内孝則)を迎えた義光は、キレたようなハイテンションの秀次に愚弄されまくりながら、こんなバカにも抵抗できない屈辱を噛み締めています。さらに、まだ11歳の娘・駒姫(坂上香織。なつかしい!)を「大輪の華もよいが蕾も格別。わしが仕込んでやる」などといわれて所望され、歯軋りしながら「あれが最上義光の娘よ田舎者よと都人にそしられたくない、お側にあげますまで両三年のご猶予を…」と、屈辱的な約束をさせられるのでした。
 政宗は、左遷のうきめにあいながらも、猫御前に男の子が誕生した朗報もあり、奮い立っています。「オレは負けぬぞ、負けてなるものか!」と、小十郎(西郷輝彦)、成実(三浦友和)と三人で立つ姿が、ク~、格好いいなあ!大河ドラマの若き主人公は、このくらいでなくっちゃね、というお話なのでした。

第30話「伊達者」

 転封を受け入れて岩手山城に移った政宗(渡辺謙)は、朝鮮出兵の準備にかかります。知行割の不満やなにかも完全になくならず、経済的にも苦しいのですが、苦しいときこそ見栄を張れ!が政宗のモットー。意地にかけても、言ってきた割り当てよりたくさん出兵し、伊達家の威風を見せつける!と張り切る政宗のところに、最上から贈り物が届きます。
 これが、なんとお東の方からの、朝鮮出陣を祝う品で、「頂いた小袖は大切にしている、そのお礼に」というメッセージもついています。小袖なんか贈った覚えはないのですが、政宗はピン、ときました。でも、「そんなもん受け取れるか、山形へ送り返してしまえ!」と突っぱねます。あわてた鈴木重信(平田満)が足をもつれさせて転び、ひっくり返った三方の中から転がり出たのは、あの、水晶の数珠でした。
 政宗の顔色がさーっと変ります。無言のまま、数珠を拾い上げ、その場を立ち去る政宗…。ここのとこは余計な台詞やら、泣き顔のアップやらは一切見せず、ただ、雪のふる中庭のむこう、渡り廊下にぽつんとたたずむ政宗を遠景で見せるだけなんですが、それだけで、彼の複雑な葛藤や、なんともいえない甘酸っぱい気持ちや、孤独感…その他もろもろ言うに言われぬ感情が溢れるんですよね。なんという演出力でしょうか!!
 まもなく、政宗は猫御前(秋吉久美子)の産んだわが子と初めて対面します。兵五郎と名づけた赤ん坊に政宗はメロメロ。かならず無双の武者に育てる!と張り切っているところに、秀吉(勝新太郎)が関白を退き、秀次(陣内孝則)にゆずって太閤となるいうニュースが届きます。かねて頭が上がらなかった秀吉が一線を退き、こんどは同世代で、しかもバカの(笑)秀次が相手ということで、なにか重石がとれたよう。
 その秀吉ですが、京都の愛姫(桜田淳子)のところに使者をつかわし、伊達の奥方は悪い狐に憑かれていると聞く、狐落としの祈祷をしてあげる。こんや聚楽第へ参られよ…と。ぶっ壊れた秀吉は下半身の勢いがやまず、高貴の女性に執心して、大名の姫や奥方に片っ端から手をつけているそうで、「成り上がり者の本性、おぞましゅうてならぬ!」と震える愛姫でしたが、さりとて断ればまた夫の政宗が窮地に落ちます。どうすれば…と悩んだ末、喜多(竹下景子)の一存で、側室の藤姫を身代わりにすることになりました。秀吉は、姫姿の若い女なら誰でもよかったらしく、藤姫をモノにしてそのまま聚楽第に囲ってしまいます。
 まもなく、政宗が上京してきます。お東の方の小袖の一件で「そなたの仕業だな。なにゆえ勝手なマネをいたした、慮外者」と、愛姫をきつく叱責しますが、愛姫と喜多にはそれどころじゃない。「別して殿の逆鱗に触れる一件が…」と切り出すわけですが、政宗のリアクションは直接は見せません。
 怒りで全身メラメラ燃え上がった政宗は、喜多を呼び、「ふざけんな、勝手なことしやがって。すぐ藤姫を取り返してこい!」と。べつに藤姫が大事なわけじゃなく、秀吉に女房を所望されて、女たちが右から左へ側室を出した…ということで、顔が丸つぶれだと怒っているわけですね。「伊達家の存亡と一人の側室を計りにかけるようでは、天下を目指す器とは申せません」と、開き直った喜多に器の小ささを指摘され、政宗はブチ切れて、そこへ直れ!と喜多の前で刀を抜きます。
 それを体を張って止めたのは愛姫でした。亡き大殿やお東様の教えを守って、喜多がどんなに尽くしたか殿はよくおわかりのはず!と正面から言われて、政宗は青筋を立てながら刀をおさめ、喜多には帰国のうえ蟄居閉門を言い渡します。
 このあと、政宗の顔のアップや理屈っぽい台詞などはなにもなく、ただ縁側にポツッと座っている背中を写すだけなんですが、これがまたすごい味のある背中なの!政宗の未熟さや、不安感、喜多と愛姫に素直にゴメンネといえない葛藤…などなど溢れ出て、なんて秀逸な演出!(しつこい?)
 京都滞在中、秀次に、関白就任の祝いをのべに伺った政宗は、そこで、かつて小次郎の側近だった粟野藤八郎(潮哲也)が、秀次の側近に取り立てられているのと出会ってしまいます。お家騒動を企てた男が関白に重用されている!この愚弄に、腸が煮えくり返る政宗でした。いっぽう、小次郎のもうひとりの側近だった小原縫之助(岡本富士太)は、伊達家の転封で菩提寺うしなってしまった小次郎の改装場所をもとめてさ迷い、やっと新たな墓地をみつけると、墓前で追い腹を切って果てていました。
 で、いよいよ朝鮮出兵。政宗は、関白・太閤に反抗心メラメラで、伊達の威光をビジュアルで見せる!!と、朝鮮出兵の軍装に懲りだします。イケメンのモデルを揃えてのファッションショーを催し、目をむくようなキンキラど派手な軍装を自らスタイリングするわけですね。この伊達勢の出陣は、都人の大評判になります…といっても、そのド派手な軍装をビジュアルで見せるってことはせず、伝聞処理なのですが、そのほうが凄さが伝わるっていうのは、お金かけずに視聴者の想像力を刺激するという、高度な演出(笑)。
 そんなこんなで政宗たち伊達軍は、ほかの大名達と一緒に肥前名護屋に集結。渡海にそなえて待機します。秀吉は、おりしも政宗たち伊達家中といたとき、京都からの火急の知らせに接し、ショックのあまりぶっ倒れてしまいます。ご存知のように、それが大政所危篤の知らせだったんですね。
 名護屋の陣にも動揺が走る中、政宗は、ひとり海をみつめて何をおもう。その手には、お東様から贈られた水晶の数珠が、しっかりと握られておりました…。

(つづきます)


4 コメント

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成実のゲジゲシ (アスカ)
2009-05-06 23:12:22
このレビューとは関係無いんですが、政宗関係なもんでこちらへコメントいたします。前の「天地人」の庵主様のお返事にです。(このコーナーも、勿論楽しみに拝見させていただいてます。)
実は私は「独眼竜政宗」をほとんど観ていないのですが(TVの時間は8時までだったので)先生のおかげでだいぶ観た気になってます。本当感謝です。
残念ながら成実の兜は当時の小学生達には不評でした。政宗の兜が格好良すぎるですもん。あの鎧兜は史料館で見ても惚れ惚れしました。
成実の鎧兜は彼が眠るわが実家の近所のお寺に代々受け継がれていたらしいのですが、大河が始まってから慌てて綺麗にして飾ったりしてました。
ほんとなんてことない普通の田舎のお寺さんで、大型の観光バスが来てUターンできなくなってたり、兜が何度も盗難にあって(セキュリティもなにも昼間は誰もいなくても鍵かかってなかったし)大騒ぎしたり、あのゲジゲシには楽しい思い出ばかりです。
庵主様に褒めていただき、なんだか照れ臭いです。(←一体何様だって感じですが)ありがとうございます。

因みに今年の人のは、箸が転がってもって頃の高校生の時に友達と実物を見に行って、ガラスケースの前で「本当に愛だよー」って言って大爆笑した思い出が…。
ブッキーがあれを被ったのをTVで見たら、また笑ってしまいそう。だって今年の大河はコントだから。
そんな演出にはならないことを祈りますが、シラけさせるならいっそ笑わせてほしいかなとも思います。
あんなゲジゲシでも格好良く見えた成実のように兼続も描いてほしいものです。(あれ?結局「天地人」のはなしになってしまいました。)
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地元狂騒曲 (庵主)
2009-05-07 20:27:05
ありがとうございます。こーいうご当地ネタこそ当塾の活力源です(笑)。

成実のゲジゲジの前立はステキすぎ!「決して後ろにさがらない」という曰くが泣かせますよね。
カッコいいじゃないですが。小十郎の位牌の前立もかなりキテますし、兜の二人が並ぶと、なにかウケを狙っているような気配すらあったり。
でも私は「愛」よりだんぜんカッコイイと思います!!

>大型の観光バスが来てUターンできなくなってたり、兜が何度も盗難にあって(セキュリティもなにも昼間は誰もいなくても鍵かかってなかったし)大騒ぎしたり

目に見えるようです(笑)。いいなあ~、毎年日本のどこかで起こっているその種のドタバタ。大好き。
そういえば、風林火山のとき、武田信繁の墓と遺品が祭られている「典厩寺」を長野まで見に行って、ホントにここは大丈夫なのか…と驚いた覚えがあります。観光バス、入れないし(笑)。宝物殿は無人でカギかかってないし。そもそもガラスケースもいつ拭いたかわかんないような代物だし。
風林火山ブームも去り、あの信繁の寺もまた静かな眠りについていることでしょうが…。
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第29話、第30話見ましたッ (レビュ丸)
2009-05-23 11:48:57
庵主様こんにちは。「秀逸な演出!!」、しつこくなんかありませんヨ。レビュ丸も全くもって同感であります!!(笑) この2話も、俗物・秀吉に心ならずも膝を屈さねばならぬ政宗の、なんとも言えない心の機微が上手に表現されていたように感じました。野心満々だった主人公が、中央の政権に組み込まれて次第に矮小化してゆく様子は、ともすればドラマに対する興味そのものを失いさせかねません。ところが『独眼竜政宗』は、石田三成のイヤミやら、例のセキレイ事件、あるいは秀次の暴走事件などを通じ、主人公が決して覇気や野心を失っておらず、若さをもって秀吉・家康らに対峙していることを窺わせます。さらには母・保春院の再登場のために着々と張られてゆく伏線といい、むしろグイグイ感情移入させられずにはいられません。ぐだぐだゴタクを並べ立てるよりも、無言の中に見え隠れする人間模様・・・。「名作はこのようにして生まれる」という、お手本のような作りです。

この2話を通じて改めて感じたのは、政宗の「世渡りの巧みさ」という点でした。必ずしも本意ではないかも知れませんが、「どうせやるなら秀吉の度肝を抜いてやろう!!」という気概、だんだん壊れてゆく秀吉の精神と対照的で、非常にすがすがしいものとして映りました。

あれだけ多くの犠牲を伴って勝ち得た領土を、「仕置」という名目で簡単に切り貼りさせられ、北へ北へと追いやられる悲哀は切ない限りですが、現代社会にも「左遷」はつき物。レビュ丸も家康のように、「災い転じて福となす」という考えを常に念頭に置きたいものだと思いました。

秀次の側女になるよう強要された駒姫、もしかしたら小次郎の妻になっていたかも知れない女性ですよね・・・。第8話のメモを読み返していたら、義光から輝宗にそんなハナシを持ちかけた経緯があったことを発見しました。もしかしたら、これも駒姫の哀れを誘うための「壮大なる伏線」なのかしらん!?
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成長し続ける政宗 (庵主)
2009-05-23 22:21:31
レビュ丸さん

後半になってまいりましたね。
前半の、ついていくのが大変なくらいの奥羽戦国事情、戦・戦のあけくれからうってかわって、秀吉に振り回される政宗と、目にも豪華な桃山時代の風俗、戦とはちがう政治駆け引き…など、ずいぶん空気が変わってしまいますけど、おっしゃるように、政宗のキャラクターに筋が通っていて、梵天丸時代からの成長の流れが途絶えていない。進化し続け、なお若さや覇気を感じさせるところがドラマの魅力と申せましょう。

家康の励ましや、このあと出てきますけど虎哉和尚との再会などで、政宗が「いちいち胸に落ちる!」と感極まるのですけど、ホント、バブル時代の企業戦士のみならず、いまの閉塞時代の社会人にも胸に落ちるところが多いドラマですよね。
そういうところに大河ドラマの存在意義があるので、NHKには姿勢を正して、初心にもどっていただきたいと切に願うところです。
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