昨日のブログ投稿(今日も同一のものをブログ末尾に載せた)の男性のために
アディントンが祈ったのは
“主の祈り”であったと
彼は書いている。
つまり「実相」を祈った、
ということである。
この男性の具体的な現象的な不幸な事態の回復を祈ったのではなく、
彼の完全なる実相をのみ祈ったということが
大事なのである。
(参考 奇蹟の時は今 アディントン 谷口雅春訳 日本教文社)
【何が起ったのであるか? 最初、此の男がわたしに電話して来た際には、わたしは彼を可哀想だと思わなかった。わたしは彼が健康を恢復するには、何を為すべきか、商売をどうすべきか、家庭生活はどうすればよいかなどの助言を与えなかった。わたしは電話を通じて彼と共に、実相完全円満の祈りをしたのだった。わたしたちは、所謂る“科学的”な“実相の祈り”を一緒に行って、彼は健康であり、完全であり、なくてならぬものは何不自由もないという真理を確認する思念を行ない、彼が神の愛に浸されている実相を念じたのであった。わたし達は一緒に、“主の祈り”を行なった。すべての困難や欠乏は、神との分離の感じが潜在意識にあるから起るのであるから、神との一体感を回復しなければならない。神との一体感を回復するには“主の祈り”に及ぶものは何もないのである。わたしは彼が現在、現象的にはどうあろうとも、“今”完全な健康と、繁栄せる事業と、調和せる家庭生活とを、既に享受しつつあるという実相をわたしと一緒に念じなさい、そしてそれを信じなさいといったのである。言葉を換えて言えば、彼が最初にわたしに送って来たところの消極的な暗いイメージを潜在意識から消すようにしたのだった。】
昨日投稿のこの男性に関する文章
(参考 奇蹟の時は今 アディントン 谷口雅春訳 日本教文社)
【ちょうど今、アリゾナ州のタスコンから良い報道の電話がわたしにかかって来たのである。一カ月前、この男は、大分ながい間、病気が治らないでいるし、自分の商売は破産寸前の苦境にたたされているし、家庭の中にもいろいろとゴタゴタが絶えないでいるという電話をかけて来たのであった。当時、この男はもうドン底に陥っていたのであった。現象面から見たら、この男は、ちょっと暗澹たる境涯に立っていたのだった。
その男が、今日わたしに良き知らせの電話をかけて来たのだった。直ぐ、わたしには、彼が、霊的にも、精神的にも、肉体的にも回復したんだということが察せられた。外部から判断した光景では彼は今肉体的には健康になったし、商売の方も繁栄を見るに至ったし、家庭生活も再び調和した状態になっているのである。そこに、御覧の通り、中心になる自覚という一事が癒されれば、万事が癒されるという結果を産むのである。】
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