エメット・フォックスは
“科学的祈り”を
極めて単純化している。
祈る時は、
ただ「神について想いをめぐらす」ことだけを
すればよいというのだ。
ただし「現象から心を放って」である。
この「神について想いを馳せる」という時の「神」とは
善の神、創造の神、実相世界のことであることは
いうまでもない。
ただ現象から心を放って、
ひたすら実相を祈ることだけすればよいのだと、
単純化してくれているので、
これは素晴らしい福音である。
私もそのように祈りを
単純化する、直ちに!
想えば“神想観”という観法は
「神を想う観」なのだ。
(参考 奇蹟の時は今 アディントン 谷口雅春訳 日本教文社)
【“科学的祈り”に於いて為すべきところの方法についてはエメット・フォックスは、それは本質的に単純そのものだと教えているのである。彼はその事を次の如く表現している。~
「あなたが為さねばならぬところの全てはこのようにするだけでよいのである~直面している困難がたといどのようなものであるにせよ、その困難について想い煩うことを停止せよ。その代りに神について想念をめぐらすのだ。これが根本的法則である。そして、もしあなたがこの通りにするならば、その困難な問題が何であるにせよ、間もなく現実に消えてしまうであろう。その直面する問題がどんな種類のものであるにせよ相違はないのである。それは大事件かも知れないし、一瑣事であるかも知れない。それは健康に関することであるにせよ、経済問題に関するにせよ、法廷闘争であるにせよ、争論喧嘩であるにせよ、衝突事故であるにせよ……そのほか想像し得るあらゆる問題、それが何であるにせよ、それについて思い煩うことを停止せよ、そしてその代りに神について想いを馳せるのだ~これがあなたの為さねばならぬすべてなのだ。」(原著註 エメット・フォックス著『建設的想念の力』)】
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