祈りは「神の心」と一体化する方法が、
最終的な段階の祈りである。
一切の現象のつかみを放して
神に全托するのである。
有限の中で祈っている感じの神想観から、
無限なるものを観じる神想観へと
「観」のやり方が質的に向上する必要がある。
(祈りの科学 谷口雅春)
【吾々が、祈りによって富を実現しようと思うならば、凡ゆる所に自分の富を見出すことができるのである。無限供給の本源なる大生命がエーテルのように吾々をとりまいているのである。吾吾はそれを見出す程度にそれを得るべく約束されているのである。想像を絶した程に神の供給は豊かにみちみちているのである。吾々はその供給に限りがあるという凡ゆる「有限」の感じを自分の心の中から追い出さなければならない。有限の感じが追いだされれば追い出される程吾々は有限から解放されるのである。吾々の要求が大きければ大きい程神から流れ入る所の供給が大きくなるのである。吾々の註文はいつもみたさるのである。】
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