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「靜」のうちにあずける時、「聖」なる癒しの力があらわれる

2014-01-20 08:25:10 | 日記
「靜」のうちにあずける時、「聖」なる癒しの力があらわれる、という。
そのために必要なことは、自分が「神の子」であることを、認め、受け入れることである。参考になる文章を転載する。


【(参考 生命の実相第38巻幸福篇下 谷口雅春著)
<八月六日>
「靜」のうちにあずける時、そこに「聖」なる癒しの力があらわれる。「靜」は「生」であり、「清」であり、「聖」であり、生かし、であり、清めである。
絶対安静療法などのことを言っているのではない。心がただ委せきりになって、全托の心境で万事を委ねるのである。
絶対安静療法などといって身体を安静にしていても、心が「靜」になりきらない者は、「愛」の生かす力を受けることはできないのである。
我の力による力みを捨てること。
静かに静かに、自分が委せきりになっているかどうか。無理はないか。焦りはないか。
ひたすら歓びのみある心持ちに落ちつけるとき、活動していても、活動していなくとも、「靜」の力を受けることができるのである。】

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