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この身このまま(あるがまま)で仏性

2017-03-14 11:35:57 | 日記
実相世界は仏性そのままであり、
現象世界はその写し世であるのだから、
人間は
この身このままで仏性である。
済度の姿である。
だから「あるがまま」でよいのである。

(参考 正法眼蔵を読む 唯仏与仏の巻 谷口清超著)
<尽大地是自己>
それ故、法輪を転ずる時も、そこに如是の光があり、如是の声がある。仏がこの世に姿を現し衆生を済度されることも、その光があらわれ、声が鳴り響く姿である。これを無生の知見(実相智)と言う。「現身度生」は「度生現身」でもある。衆生済度が即ち現身であり、済度のために法身が現身をことさら現し出すのではない。現身がそのまま度(済度)であることを疑うな。この度(そのままの救い)こそが仏法の極致であると心得るべきである。人々を救うことに、仏法は極めつくされていると自覚し、説法し、証(さとり)を深めて行くがよい。仏身もその出現も、全て再度の姿である。これを説き伝えよ。それも現身済度の一つの現れであるぞ。このことを悟り証したならば、得道の朝より、涅槃にいる夕にいたるまで、一字一句も説かなかったと言っても、それは説法の言葉の使い方であり、自由自在である。


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