さらに雅春先生のお悟りは
深遠壮大なものとなります。
でも実は
人間一人一人は間違いなくこれと同じで
崇高で偉大なる“神の子”“仏”なのであります。
この素晴らしい事実を
人々に伝える目的で
谷口雅春先生は
世に出たのです。
聖者中の聖者であります。
これに気がついた人は
世に伝えましょう。
真理のみを伝えましょう。
(生命の実相第20巻 谷口雅春著)
【『法華経』の中で、釈迦自身が、
「我実に成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由他劫であると言った久遠の仏のみが実在であったのである。その久遠の仏が今ここに生きているのだ! 十字架上に磔(はりつ)けられて、「神よ、神よ、なんぞ我れを捨て給うや」と哀号したイエスは本来無かったのだ。永遠の神性―「アブラハムの生まれぬ前から生き通し」とみずから言ったキリストのみが実在であったのだ。自分もまた、明治26年11月22日に母の肉体より誕生したのではなかった。そして、現在の今はじめて悟ったのでもなかったのである。ここのままで、久遠の昔、そして久遠の今、はじめなき始めから仏であった自分であったのだ。」】
最後に書かれている「現在の今はじめて悟ったのでもなかったのである。ここのままで、久遠の昔、そして久遠の今、はじめなき始めから仏であった自分であったのだ。」
という部分は、
たった今、
人間は「無量寿のいのち」を生きている「久遠の実在」なのであるという、
意味であります。
また「ここのままで」と書かれているのは、
人間の本体の仏なるものは、
移動したりしていないで、
ただ実相界においてどっしりと坐している「大仏」さまであるからです。
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