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バラの赤い花は誰が見ても赤く見える。主観的存在であると同時に客観的存在である。これを主観客観相即相入と言うのであります。

2020-07-24 10:49:50 | 日記
「相即相入」というのは
「主観客観相即相入」というのであります。
これは自分だけが主観的にバラが赤く見えるわけでなく、
誰にもそう見える客観的見え方で存在しているからです。
(真理第7巻 谷口雅春)
第一章 相即相入と生使命菩薩
<相即相入と云うこと>(その5)
【そのように、その赤い色とか黄色に紅葉しているとか云う「色」は、主観的存在である。と云うのは心の中から出て来るからであります。心の中から出て来るのが主観的存在であります。そんならあの黄色は、自分がただ、心で勝手にこの黄色の色を出して来るのだったら、すべての人が「あのイチョウの木は黄色に紅葉している」と、こういう風に思えない筈なのですけれども、すべての人がそれを見て「あ、あの木の葉が、黄色に紅葉している、イチョウの葉が黄色く紅葉している」というように、万人が同じようにそれを見るのは何故でしょうか。バラの赤い花は誰が見ても赤く見える。すると、これは唯の主観的存在ではないということになる。たしかに客観的にもあるということになる。主観的存在であると同時に客観的存在である。これを主観客観相即相入と言うのであります。主観と客観とが一つになっているのであります。―こう云う話は一寸哲学的な問題になりますけれども・・・。】



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