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花と実をつける梅の木は、梅の木としての一生をとげる、知恵と愛をもつ“神”さまなのであった。

2020-02-05 10:35:49 | 日記

「花も心をもっている」と昔聞いたことがあった。

谷口先生がここ(以下)に書かれたように

植物の一生は

その植物の知恵と愛そのものだから、

植物のいのち自体が

“神”なのであった。

例えば花を咲かせ実をつける“梅の木”は

“梅の木”としての一生をとげる“神”さまなのであった。

現象のすべてが

知恵と愛をもつ“いのち”(神)なのであった。

(参考 神と偕に生きる真理365章 谷口雅春 日本教文社)

【鳥類は、季節が冬に近づけばその羽根の装いが豊かになり、厚い外套を来たように羽毛が密生するのである。夏近づけば夏服に着かえるかの如く、羽根の装いが軽くなり、厚い外套を脱いで、恰も夏服に着かえるのである。植物にもこれが起る。同じ摂氏10度でも、夏を過ぎて摂氏10度が近づけば、欅の葉は黄色くなって落葉しはじめて冬の支度をするのである。ところが冬も終りに近づいて春が間近になると知ると、摂氏10度よりも寒い日であっても、前途の春をチャンと予知して欅は、新しい緑の若葉を出しはじめるのである。脳髄も神経組織もないかのように見えている植物も「知る」力をもっており、「知った事」に対して準備をする不思議な智性をもっているのである。その「不思議な智性」が植物に宿る「神」である。神は到る処に充ちていられる。釈尊はこの真理を直感せられた。そうして「有情非情同時成道、山川草木国土悉皆成仏」と讃嘆せられたのである。それを簡単に説明するならば、「有情」即ち「情有るもの」(動物等)も、「非情」即ち情非ざる者(鉱物、植物等)も「同時」即ち「超時の今」神の大生命(道)が現成せるものである。そして山も川も草も木も国土も悉く皆、仏のいのちの現成せるものである。宇宙の一切悉く神なる大生命の顕現成らざるものは無いという意味である。

 この覚りに立って生活するとき、一切を礼拝し、一切に感謝する相互礼拝、相互感謝の生活が始まるのである。】

一切が“神”である、“実相独在”であるという意味が、

具体的にわかるご文章だ。


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