神が私たちを選んで
私たちの実相に触れ給うたのだ、
と今日のご文章にて
分りました。
謙虚に実相の探求を続けましょう。
「一ぺんに実相が開花したと思ったら、思い上りである。何人もまだ、種子の生命が目覚めたばかりである。」
と仰るように、
“生命の実相”の花は、
これから少しずつ開いて行くのだろう。
多分「種子の生命が目覚めたばかり」なのであるから。
人類光明化は始まったばかりなのかも知れない。
(参考 神と偕に生きる真理365章 谷口雅春 日本教文社)
【神が、吾々の内にやどる実相に触れ給い、実相が目醒めて来ることが必要なのである。諸君が「生長の家」を知ったのは、実は、諸君自身が知ったのではなく、神が諸君の実相たる“神の子”に触れ、その眠りを醒まさせられたのである。換言すれば「汝われを選びしにあらず、われ汝を選びしなり」と神は諸君に対して呼びかけていられるのである。諸君はこの光栄に感激感謝しなければならないのである。無論「種子」の中には、発芽し、生長し、花開き、実を結ぶ実相が宿っている。しかしその実相を具体的に目醒めしめるのは「水火土(しおつち)の神」の大いなる生命力に触れなければならないのである。水火土の神とは、宇宙普遍の唯一の神が、「おしめり」(水)と「ぬくもり」(火)と「土」との三大原理として発現したまうたものである。人間も亦「水火土の神」の恩寵に触れて、その実相が目醒めてくるのである。(谷口雅春著『秘められたる神示』参照)一ぺんに実相が開花したと思ったら、思い上りである。何人もまだ、種子の生命が目覚めたばかりである。】
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