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“神を直接体験する”ような感じの祈りで内的変化が起った女性

2019-07-08 09:53:50 | 日記

神想観という観法は

 “神を直接体験する”祈りであるのだ。

まさに“神を直接体験する”祈りが

本当の神想観なのだが、

私の場合は

徐々に徐々にそうなってきたのであって、

始めから“実相”に触れることが

できたわけではない。

でも神想観に熟達すればするほど

その方向へ行くとは断言できる。

どういう祈り方で実相を観ずれば実相が顕われるかという方法論については、

私はアディントンの言う“科学的祈り”の方法を多く取り入れて

実相を顕わせる方向に来たといえる。

アディントンの『奇蹟の時は今』という本は

神想観の原理についての

素晴らしい解説書であった、

というのが

私の偽らざる真実であり、

事実だから事実として報告する。

でも神想観の中で私が使用する言語は

雅春先生がご指導くださった言語以外は

使っていない。

特に“神が顕われる”言語は

「実相円満完全」「神の子円満完全」

「実相は即ちわれ、われ即ち実相」

「私は神の子である」

の言葉であり、

アディントンの説くRealizationを導く言葉である。

また私が

自分の「人間我」をつまり自分自身を

神におあずけいたします、

といった自己を神にお返しする、

絶対他力の無条件降伏的祈りを毎日するようになってから、

神我が現象我の中に浸透して来た感じがある。

無我になるほど実相の観が効くのである。

(参考 奇蹟の時は今 アディントン 谷口雅春訳 日本教文社)

【われわれの女の友だちのひとりは、それこそ好い実例である。多年にわたって彼女は人間社会から“退け者”にされているように感じて、はなはだ淋しい、不愉快な生活を送っていたのであった。ところが彼女は“科学的祈り”について学習する機会をもったのである。彼女は“祈り”を通して人生と調和ある関係に自分をあらしめることができるということを知ったのだった。過去を顧みるならば、彼女が、遥か彼方の天にまします神に祈っておった前々の時には、却って手の届かない感じで却って寂寥の感じを増した位であったが、今や彼女は、彼女が居る“今此処”に“愛の神が現前し給う”と感じて“神を直接体験する”というような感じで祈ることを知ったのであった。彼女はそのような“神との一体感”の中に自己を浸透させるような祈りをするようになった。すると、徐々にではあるが、過去にあった如き“人生から疎外されている”というような感じが剥落(はくらく)して行ったのである。彼女の心にそのような完全な内的変化が起ったとき、彼女の友達が外から見たら彼女は全く別人になってしまっていた。それだから友だちはみな「何かあなたに起ったのですか」と不思議がって尋ねるほどになったのだった。】


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