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神想観中迷いの心が浮かんだらそれは「ウソの心」ですから、神に対座することをし直せばよろしいです。

2021-07-04 12:58:34 | 日記
神想観中迷いの心が浮かんだらそれは「ウソの心」ですから、神に対座することをし直せばよろしいです。

私たちは神想観の最中にも
現象的な何かへの意識のつかみを感じ、
スッキリしないもどかしさを
感じることがあります。
いやむしろ
祈り始めたときには
実相を観じることができず、
現象的な事(雑念)が浮かんで、
仕方がないものなのです。
やがて少しずつですが
神を観じることができるようになり、
さらに神様に対座して祈ることができるようになってくると
神と親子関係ができ、
祈りの最中の現象への「つかまれごと」は
減ってくるのです。
潜在意識が祈る最中にぶ厚くのしかかるのを
吹っ切ってしまうために
間断なき祈りが必要であり、
潜在意識の完全なる浄化が成されるまで、
やり続けなければなりません。
祈りの最中にふっと浮かぶ人間の迷い心は
本来はないウソの心でありますから、
そのようなものが浮かんだら
神様に心振り向けて
神様相手に神想観を行えばよいのであります。
 

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