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神想観の本質は唯「神」を素直に受けるにある

2021-05-02 11:18:39 | 日記
神想観は<「神」を自己の内に素直にみとめる>のである。
即ち自分の内に“神の子”の存在をみとめるのである。
しかもそれこそが存在の全てであるとみとめるのである。
自分の本体が“見えない神の子”なり、である。
「幼な児の心で」と谷口先生は
いつもお書きになっているが、
自分の本体を神(神の子)と思えるまでに「信」を徹底できるかどうか、
ここが勝負所である。
(神と偕に生きる真理365章)
【神想観は「内部的生まれ更り」をするためにこそ行ずべきである。「神」を自己の内に素直にみとめるのである。「神」は既に汝の内にあるけれども幼な児の心で素直にみとめない時はあらわれないのである。神想観は「神わが内にありたまい、われ神の内にある」実相即ち真実を観るのである。神は一切の“善き物”を自己の内に蔵したまい、それを我らが素直に受けることによって、その「善き物」が現象的にも展開するのである。神を自己の内に素直に見出し、それを受けることが最初の出発であり、最後の決着でなければならない。神と別なるもの、神の善意に相反するもの、他を押しのけて自分が利得を得るもの・・・それらのものを神想観中に求めたりするならば、それは神想観の本質を破壊してしまうことになるのである。神はすべての「善」である。神以外のものを求める必要はないのである。】
 

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