インドみたいな、信仰心の深い国をひとりで旅してると、
いつのまにか、現地の人と、宗教的な話題になることがあります。
ゆえんさんは、ここらへん勉強不足で、
話が噛み合ない事が多々あるのですが、
参考までに、どんな会話が成されたか、
紹介したいと思います。
※インドでも人によって考え方には個人差があるっぽいので、
あくまで個人の主観ということでご認識ください。
・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~
長距離列車で隣になった、マリオのおっちゃん。
参照:インドの一等車輛にて~謎の金持ちインド人~
この人とは、、4時間ほど車内でお隣でして、
「仕事は?」「月収は?」「家族の仕事は?」
などなど、不躾な質問を浴びせられまくったのですが、
そんな質問攻めの項目のひとつに、
「死者とは、どのように関わるの?」
というお題がありました。
・・・え・・死者・・?
お化けってこと・・?
なにそれ怖い・・・
困惑した表情を瞬時に見破ったマリオのおっちゃん。
続けて気の利いた補足を入れてくれます。
「つまり、君の国では、
人が亡くなったとき、関係者はどのように振る舞い、
死者はどこに行くと考えられているのか、
ということを伺いたいのだが。」
・・・うわぁ・・・むずい・・・
あたしまだ若いんで(嘘)
そういうのよく知らないんだよね・・・
「えっと・・ まず、亡くなったその日に、
セレモニー、スモールセレモニーするの。(←通夜って言いたい)
で、翌日に、本格的セレモニーをするの・・・。(←葬儀って言いたい)」
とかなんとか、その後も、つたない表現力で、
四十九日や納骨について知りうる限りを言い終えると、
「ふむ・・やはりな・・」
と、いかにも「知ってました」という表情で、
頷きながら納得してました。
「つまり、死者が最終的に行き着くのは、墓、ということだね。
だとすると、死後に生まれ変わる、という概念は無いのかな?」
と、聞いてきた。どうやら、
「死後の身体が墓に閉じ込められてしまったら、
一体どうやって、生まれ変わると言うの?」
という疑問らしい。
・・え・・いや・・ なんとなくだけど・・
死んだら、魂が ぴゅ~って抜けて、
いい子にしてたら、天国に行って、しばしご歓談して、
で、また魂が、どっかの赤ちゃんに ぴゅ~って宿って、
次の人生始まる・・って感じじゃないんっすかね・・?
↑これ合ってんの??
この後、議論すること数十分。
どうやら、インドでは、
生まれ変わるという概念として、
魂とか、精神的なことだけでなく、
物質的な概念も併せ持っているようです。
そもそも人間の身体って、主に、
炭素(C)、水素(H)、酸素(O)、窒素(N)とかで構成されていて、
燃やせば、そのほとんどは、
灰(C)とか、二酸化炭素(CO2)とか、水(H2O)とかに、
なる・・んだっけ・・・?
(細かい事は忘れたけど)
かつては自分の肉体であった物質が、
死後、別の形になって、存在し続ける。
それが、空気とか、水になって、
草木や花になったりして、
それを捕食した動物、人間になったりするかもしれない。
物質的な意味も含めた輪廻か・・
・・なるほど・・
その発想は無かった・・
帰国後、wiki先生に聞いてみた。
--<wiki先生「ヒンドゥー教における輪廻」>------------------------
ここでは、「輪廻」という語は用いられず、「五火」と「二道」の説として現れる。
(中略)
五火説とは、5つの祭火になぞらえ、死者は月にいったんとどまり、
雨となって地に戻り、植物に吸収されて穀類となり、
それを食べた男の精子となって、
女との性的な交わりによって胎内に注ぎ込まれて胎児となり、
そして再び誕生するという考え方である。
二道説とは、再生のある道(祖霊たちの道)と再生のない道(神々の道)の2つを指し、
再生のある道(輪廻)とはすなわち五火説の内容を示している。
------------------------------------------------------------------
へぇ・・
これ読んだだけだったら、
全っっっ然、理解できなかったと思うけど、
マリオのおっちゃんの、ありがたいお説教のおかげ(?)で、
なんか、ちょっと分かる気がしました。
この会話に至る数日前に、ガンジス川の火葬場で、
ひとつの人生を終えた肉体が、炎に包まれて、
美しい自然に帰っていく姿を見ました。
参照:ガンジス川にある火葬場に行った時のことを話します
あの荘厳な光景を思い出してみると、
単純に「死んだらお墓に・・」という話だけを聞いたインド人が、
誇らしげに輪廻の思想を語る気持ち、分からなくもない。
ヒンドゥ教徒には、お墓が無いそうな。
※タージマハールはお墓だし、町中にもお墓はありますが、
それはだいたい、ムスリムの人のお墓です。
今生きてる人間の目線で考えると、
お墓があれば、年に何度かお参りしたり、
人生の節目に、報告できたりするんだけど、
いつかは自分も死ぬって考えると、
ぱーっと自然に帰ろうぜっ!て気持ちも、
分からなくもないと、言えなくもないかな。
・・・一応、旅先では、
自称仏教徒を公言しているため(本当にごめんなさい)、
本来は、仏教のこういう話、きちんと説明できなきゃダメなんだよね・・
今回の件で、無知っぷりが痛く身にしみたので、
仏教の基本的な思想について、ぐぐっとくことにします。
・・最後に・・
インドでお祈りしている人たちの姿をご覧いただきながら、
お別れしたいと思います。
ガンジス川のほとりで

沐浴するひとびと

ではまた!
いつのまにか、現地の人と、宗教的な話題になることがあります。
ゆえんさんは、ここらへん勉強不足で、
話が噛み合ない事が多々あるのですが、
参考までに、どんな会話が成されたか、
紹介したいと思います。
※インドでも人によって考え方には個人差があるっぽいので、
あくまで個人の主観ということでご認識ください。
・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~・~~
長距離列車で隣になった、マリオのおっちゃん。
参照:インドの一等車輛にて~謎の金持ちインド人~
この人とは、、4時間ほど車内でお隣でして、
「仕事は?」「月収は?」「家族の仕事は?」
などなど、不躾な質問を浴びせられまくったのですが、
そんな質問攻めの項目のひとつに、
「死者とは、どのように関わるの?」
というお題がありました。
・・・え・・死者・・?
お化けってこと・・?
なにそれ怖い・・・
困惑した表情を瞬時に見破ったマリオのおっちゃん。
続けて気の利いた補足を入れてくれます。
「つまり、君の国では、
人が亡くなったとき、関係者はどのように振る舞い、
死者はどこに行くと考えられているのか、
ということを伺いたいのだが。」
・・・うわぁ・・・むずい・・・
あたしまだ若いんで(嘘)
そういうのよく知らないんだよね・・・
「えっと・・ まず、亡くなったその日に、
セレモニー、スモールセレモニーするの。(←通夜って言いたい)
で、翌日に、本格的セレモニーをするの・・・。(←葬儀って言いたい)」
とかなんとか、その後も、つたない表現力で、
四十九日や納骨について知りうる限りを言い終えると、
「ふむ・・やはりな・・」
と、いかにも「知ってました」という表情で、
頷きながら納得してました。
「つまり、死者が最終的に行き着くのは、墓、ということだね。
だとすると、死後に生まれ変わる、という概念は無いのかな?」
と、聞いてきた。どうやら、
「死後の身体が墓に閉じ込められてしまったら、
一体どうやって、生まれ変わると言うの?」
という疑問らしい。
・・え・・いや・・ なんとなくだけど・・
死んだら、魂が ぴゅ~って抜けて、
いい子にしてたら、天国に行って、しばしご歓談して、
で、また魂が、どっかの赤ちゃんに ぴゅ~って宿って、
次の人生始まる・・って感じじゃないんっすかね・・?
↑これ合ってんの??
この後、議論すること数十分。
どうやら、インドでは、
生まれ変わるという概念として、
魂とか、精神的なことだけでなく、
物質的な概念も併せ持っているようです。
そもそも人間の身体って、主に、
炭素(C)、水素(H)、酸素(O)、窒素(N)とかで構成されていて、
燃やせば、そのほとんどは、
灰(C)とか、二酸化炭素(CO2)とか、水(H2O)とかに、
なる・・んだっけ・・・?
(細かい事は忘れたけど)
かつては自分の肉体であった物質が、
死後、別の形になって、存在し続ける。
それが、空気とか、水になって、
草木や花になったりして、
それを捕食した動物、人間になったりするかもしれない。
物質的な意味も含めた輪廻か・・
・・なるほど・・
その発想は無かった・・
帰国後、wiki先生に聞いてみた。
--<wiki先生「ヒンドゥー教における輪廻」>------------------------
ここでは、「輪廻」という語は用いられず、「五火」と「二道」の説として現れる。
(中略)
五火説とは、5つの祭火になぞらえ、死者は月にいったんとどまり、
雨となって地に戻り、植物に吸収されて穀類となり、
それを食べた男の精子となって、
女との性的な交わりによって胎内に注ぎ込まれて胎児となり、
そして再び誕生するという考え方である。
二道説とは、再生のある道(祖霊たちの道)と再生のない道(神々の道)の2つを指し、
再生のある道(輪廻)とはすなわち五火説の内容を示している。
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へぇ・・
これ読んだだけだったら、
全っっっ然、理解できなかったと思うけど、
マリオのおっちゃんの、ありがたいお説教のおかげ(?)で、
なんか、ちょっと分かる気がしました。
この会話に至る数日前に、ガンジス川の火葬場で、
ひとつの人生を終えた肉体が、炎に包まれて、
美しい自然に帰っていく姿を見ました。
参照:ガンジス川にある火葬場に行った時のことを話します
あの荘厳な光景を思い出してみると、
単純に「死んだらお墓に・・」という話だけを聞いたインド人が、
誇らしげに輪廻の思想を語る気持ち、分からなくもない。
ヒンドゥ教徒には、お墓が無いそうな。
※タージマハールはお墓だし、町中にもお墓はありますが、
それはだいたい、ムスリムの人のお墓です。
今生きてる人間の目線で考えると、
お墓があれば、年に何度かお参りしたり、
人生の節目に、報告できたりするんだけど、
いつかは自分も死ぬって考えると、
ぱーっと自然に帰ろうぜっ!て気持ちも、
分からなくもないと、言えなくもないかな。
・・・一応、旅先では、
自称仏教徒を公言しているため(本当にごめんなさい)、
本来は、仏教のこういう話、きちんと説明できなきゃダメなんだよね・・
今回の件で、無知っぷりが痛く身にしみたので、
仏教の基本的な思想について、ぐぐっとくことにします。
・・最後に・・
インドでお祈りしている人たちの姿をご覧いただきながら、
お別れしたいと思います。
ガンジス川のほとりで

沐浴するひとびと

ではまた!