上発地村から

標高934mぐらい日記

遥かなる雲南の旅 第十二幕(金水河キャンセルで勐拉へ編)

2018年05月11日 | Weblog
宿の確保をした我々は心置きなく金水河の街の散策に出かけた。
空は雲一つない快晴、気温もぐんぐん上がって半袖に短パンで十分なカラッとしたさわやかな暑さ、宿のとなりの酒屋でビールを買って飲みたいような気分だった。道は必要以上に広く、昔ながらの街並みではない。多分大昔は国境もあいまいでベトナム領との間を普通に行ったり来たりしていたんだと思うが突如「こっから中国、あっちはベトナムだ!」って線引きされてしまったんだろう、このあたりであいまいに暮らしていた少数民族はさぞ困惑したに違いない。民族の分断はなにも朝鮮半島だけの出来事ではなく世界のあちこちで起こっている。農民市場の前には「国境を越えてはいけません」と看板に書いてあり、越えたらこんな罰則があるよみたいな事が記してあった。雑貨屋に入るとベトナム人の観光客相手なのかよくわからないが、中国国内の名だたるワインが揃えてあり、ワイン好きのS氏は目を輝かせて驚いていた。そのまま大きな屋根のある市場らしきドーム型の建物に行ってみる。建物の中はがらんとしていて大量のゴミが散乱していた。掃除のおばさんが数人ゴミをほうきで履いているぐらいでどうやら朝市が終わりみんな帰ってしまった後のようだった。残っていた野菜売りのおばさんに「明日も同じように市が立つんですか?」と聞いてみたが、どうやら明日はやらないらしい。それを聞いたS氏は少し残念そうな表情になっていった。市場を後にし僕らは国境のゲートを目指し進んでいく、途中立派な小学校があったり、携帯電話の立派な電波塔が立っている。あちこちの建物の屋根には中国国旗が真っ赤にはためいていて、中華人民共和国の町だっていうのをを過剰演出していた。先ほど訪れた国境警察のある通りに出て対岸のベトナムに目をやる。バナナ畑が斜面の上のほうまで広がっていて、とにかくほとんどの畑はバナナで埋め尽くされていた。これがフェアトレード品であるのかは定かではないが、農民が最も潤うであろう作物であることは一目瞭然だ。
近年フィリピン産を中心としたバナナの生産量が「新パナマ病」の蔓延でかなり落ち込んでいるのだが、どうやら中国にも少なからず影響が出てきているらしい。なんとか早期に食い止めてほしいものだ。日本では一時期キャベツの産地で「根こぶ病」っていう恐ろしい病害が蔓延したんだけれど、今はいい農薬のおかげでパンデミックは抑えられている。農薬の適正な使用と無理のない栽培方法をしていかないとこういった病害の発生は抑えられないかもしれないが、対岸の風景はそういった意味で少しやりすぎの感は否めない…
バナナ畑からもう少し視線を下げ国境を流れる川に目をやると、いい体つきをしたベトナム側にいる男性がパンイチで洗濯をしていた。俺は外の風景に気をとられていたのだが、S氏は日本から持ってきた自分でまとめた事前資料を広げ何事か悩んでいる。ここを訪れた日本人旅行者がブログに書いた朝市が立つスケジュール表を見てその間違いに気づいていたようだった。どうやらブログを書いた人が勘違いして僕らが狙ってきた金水河の朝市の日を一日間違えて書き記していたのだ。当然今日朝市が開かれ明日は何も開催されない。S氏はガックリしていた。俺はそういうことはよくあることだとS氏をなかば慰めるというか、納得させようとした。それよりも今見ている風景を楽しもうと川に再び目をやるとさっきの男性がパンツを脱ぎ始めているではないか!?
どうやら衣服の洗濯を終え、自分の体まで洗濯しようとしているようだった。しかしここは中越国境の川(ベトナムは漢字で越南と表記される)一歩間違えればわいせつ物陳列罪で中国の国境警察に銃殺されるんじゃないかとこっちがヒヤヒヤしてしまった。男性は石鹸で全身をこすり体を洗ったあと水中にザブンと首まで浸かっていた。僕らはS氏をのバケツで洗濯をしてるけど彼は国境の川でざぶざぶ洗濯、人間のスケールは彼のほうが数段上だった。
国境のゲートは結構遠くにあり、多分行ってもただの人工物の建物だろうということで行くのを諦め、再度町の中心部に向かった。途中瑶族(ヤオ族)のおばさん4名が鋤簾(じょれん)のようなモノを担いで歩いてきた。畑仕事ではなく公共工事帰りのような感じで、ピンクの細かいすだれ状のネクタイをしていてとてもかわいい。しかしその人たち以外は民族服を着た人たちに出会うことはなかった。ここで夜になって酒でも飲みながらマッタリするのも悪くないと思ったが、さっき確認したとうり明朝の市は開かれない。事前資料を見て二人で協議した結果、この町を後にしてさっき乗って来た性病タクシーを個人的にチャーターし明朝市が立つらしい勐拉(モンラー)へ急遽向かうことにした。ここからは60kmぐらい一時間ちょっとのドライブになる。のんびり客待ちしていたさっきの佐川タクシー運転手と交渉し90元で勐拉まで乗せて行ってくれるよう話をつけた。そうと決まれば善は急げ、今晩宿泊予定だった元カノホテルに戻りキャンセルを告げると、一旦広げた荷物を素早くまとめてチェックアウトした。一度別れた彼女と二度目の別れ、少し急すぎる展開に俺は名残惜しく後ろ髪を引かれる思いだった。タクシーに戻るとなぜか車内に先客がいた。多分俺達のおごりで他の乗客たちを佐賀佐川運転手が乗せたんだろう。S氏は二人だけでゆったり乗っていき、途中面白い村や場所があったら停まって見学していこうと思ってたらしく思わぬ相乗りでその計画は崩れてしまった。加えて助手席も取られてしまい少々怒っている。
それでも性病タクシーはカラッとした暑さの中を快調に走っていき夕方五時頃には勐拉に無事到着した。「町に着いたら宿探し」が鉄則。僕らは目についた向かいの宿に飛び込みフロントに行って泊まれるかどうか聞いてみたが、受付ねえさんはめんどくさそうに「満室です」と言って僕らを門前払いした。そのまま次の宿に向かうもそこも門前払い。どう見ても満室感はないのだが、なにやら俺たちは敬遠されているようだった。
その後もう一軒「勐拉賓館」という看板を見つけ入っていってみる。フロントに誰もいないので少し大きめの声で「すいませーん」っと言いながら周囲を探す、間もなくちょっと太めのおばさんがのしのしと現れた。我われが日本人だということを告げ、パスポートを渡し空き部屋があるかどうか尋ねると彼女はパスポートを見ながら何となくめんどくさい感を醸し出していた。S氏とのやりとりでやはり近所にある警察に行ってパスポートコントロールをしてもらってきてから来てくれと言っているらしかった。案内された警察に行き金水河と同じように写真を撮られたりして審査を受ける。オッケーが出て宿に戻るも、宿の太っちょおばさんは「証明するもんがないじゃない!」とクレームをつけ、しかたないので一緒に警察に行き、さっきオッケーを出してもらった警察官に話をつけてもらってなんとか宿泊をさせてもらうことになった。もし警察署が閉まっていたらどうなっちゃってたんだろうと思うが、まあこの旅では何か問題が発生してもなんとかなってきたのでそれはそれでなんとかなっていたような気がする。
今日二回目のチェックイン、部屋に入ったらあろうことかメインの照明の蛍光灯が外されていて灯りがつかない。こんどは太っちょおばさんに逆にクレームをつけに行った。部屋に来てみてもらったら、ついているじゃないかと言って分かりにくいところにあったスイッチをオンにしたらなぜか部屋が明るくなった。照明をよくよく見ると蛍光灯が外された後のところに薄っぺらいLEDライトが埋め込まれたシートみたいなのが貼ってある。俺は彼女に向かって変な苦笑いをし頭を掻いた。僕らは日本から来たそんなこともしらない地方の田舎者だったのだ。自分たちのほうが進歩した暮らしをしていると勘違いをしていた、電波が弱くて家の中ではロクに携帯が繋がらない、テレビ東京すら映らないところに住んでるにもかかわらず。 
もう中国の秘境だって蛍光灯なんか使っちゃいないのだ……

ここにきて何かつかみどころのない疎外感を感じて少しはしゃいだ気持ちを落ち着けた。秘境を求めて奥地までやってきたものの、自分達はあんまり歓迎されてないただの外国人二人組なんだっていう事に気づいたのだ。勐拉に到着してからは過度に秘境であることを期待しすぎるのはやめようと思いはじめていた。 

この町の朝市を見るまでは……

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