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一日一書 744 たにしのなげき

2015-11-27 13:14:25 | 一日一書

 

山本洋三「たにしのなげき」(全文)

 

 

 

全文は以下の通りです。

 

    たにしのなげき

 

カナダモのおいしげる

水そうの中

たにしには毎日お散歩です

──やあごきげんよう

──あらどちらへ

──うんちょっとそこまで

毎日毎日おんなじ景色

たんぼのどじょうがなつかしい

たにしは時々

立ちどまり

ホッとため息つくのです

すると

小さな泡がプクリと生まれ

天井でパチンと消えてしまいます

 

 

 

ぼくが高校3年生のときに書いた詩です。

いやはや、何という幼稚さでしょうか。

ぼくの周囲では、松原秀行君(「パスワードシリーズ」で今や児童文学の泰斗)などが

才能あふれる詩を書いて、同人誌に発表していたのですから

こんな詩を書いているぼくなんぞは、もう、身の置き所のない思いでした。

でも、ノートの片隅にこんな詩を書いては、いつか松原みたいな詩を書ける日が来るかもしれない

なんて思っていたのかもしれません。(永遠に来ませんでしたが)

 

まあ、そんなわけで

ずっと、こんな幼稚な詩には、コンプレックスしか感じてこなかったわけですが

近ごろ、こうやって、「書」とするための「素材」にしつつ

改めて読むと、この詩などは、案外「いけてる」って思ったりもするわけです。

 

受験勉強の真っただ中にあった当時

勉強部屋に置いてあった水槽を見ながら書いたのですが

「水槽」に閉じ込められた「たにし」は

まさにぼく自身であったわけですし、

「たにしのなげき」は、もちろん、やり場のない当時のぼくの「なげき」でもあったわけです。

 

で、今のぼくも、結局、状況としてはあまり変わっていないんじゃないか、

そんなふうに思えるのです。

 

「時間」という「水槽」の中で

「毎日毎日おんなじ景色」を眺めている。

「なげき」は「泡」となって、水面にのぼっていくけれど

「天井」で、虚しく消えていってしまう。

 

 

「たんぼのどじょう」は、今ごろなにをしているのでしょうか。

って、そもそも「たんぼのどじょう」は誰なんだろう?

 

 

 

 

 

 


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