顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

またまた千波湖畔のサクラ…遅桜 五題 

2018年04月12日 | 水戸の観光
千波湖畔のサクラの最終回、ラストバッターは何故か八重桜たち、それもちょっと珍しい5種をご紹介いたします。

ギョイコウ(御衣黄
御衣とは、貴族の着物のことで、緑色の花びらが、平安時代の貴族の衣服の萌黄色に似ていることが由来です。京都の仁和寺で栽培されたのが始まりだといわれており、今では沖縄県を除く全国各地でみられるようになりました。

フゲンゾウ(普賢象
花の中心の1~2本の雌蕊が緑色の葉のようになって突き出て、先端がそり返っている様子を普賢菩薩の乗った象の鼻、あるいは牙に見立てた命名だそうです。

ショウゲツ(松月)
フゲンゾウ同様に雌蕊が葉化して細い葉っぱのようになっているのが特徴です。この特徴は3種の桜に見られるそうですが、もう一つのイチヨウ(一葉)という桜は湖畔桜のリストにはありません。
原種は東京の荒川堤にあったという、淡色のとても美しい八重桜です。
 
ウコン(鬱金)
花弁に葉緑体をもちギョイコウと性質は似ています。数百種のサクラのうちで唯一、淡黄色の花を咲かせる種で、名前はショウガ科のウコンの根茎で染めた色に花の色が似ていることから付きました。

ヨウキヒ(楊貴妃)
優雅、豊満な八重の姿は、傾国の美女の名に恥じない艶やかさを撒き散らしているようです。奈良興福寺の僧玄宗が愛でたことから、同じ名前の中国の皇帝が愛した楊貴妃の名を付けたといわれています。

今年も桜をいっぱい見過ぎました。まさに「花疲れ」という季語の世界になります。華やいだ後の物憂い気分、けだるさは、何となく艶も含んでいるようにも感じます。

遅桜遅きを花の上手かな  正岡子規
楊貴妃も四十を盛遅ざくら  紫道

花疲れ膝をくづせば女らし  鈴木真砂女
花疲れ生きの疲れもあるらしき  能村登四郎

大群落3種…ひたちなか海浜公園の春

2018年04月10日 | 季節の花
花と緑に囲まれた国営ひたち海浜公園は、茨城県を代表する観光スポットになりました。広い園内は、7つのエリアに分かれており、自然の中で楽しめるレジャースポットや花畑があります。

特に花畑は季節に合わせた大群落のテーマフラワー、春にはスイセンやチューリップ、ネモフィラ、夏にはバラ、ジニア、ヒマワリ、秋にはコキアやコスモスを、大群落で演出し訪れる人々の目を楽しませてくれます。

約550品種、100万本のスイセンは、まるで松林の下に黄色を主体に絨毯を敷き詰めたかのような美しさで、周りのヤマザクラ、モモなどと春のハーモニーを奏でます。
地中海沿岸からアフリカ北部が原産で、園芸品種として色や形の異なる多くの種類がありますが、英国王立協会により13の系統に分類されており、この分類が世界的な基準となっているそうです。

約240品種25万本のチューリップが松林の中でカラフルな色の饗宴を見せています。
ユリ科の球根植物で、16世紀頃トルコからヨーロッパにもたらされ、盛んに品種改良が行われ、オランダを中心としたヨーロッパの上流階級で異常な人気となり、チューリップ狂時代と呼ばれたこともありました。

ネモフィラだけの450万本が起伏に富んだ海辺の砂丘をブルー一色に染めます。
今年は例年より10日程度早く、いま五分咲き(4月6日)なのでGW期間中まで見頃が持つかどうか心配です。昨年度入園者227万人という新記録を達成しましたが、自然の思し召しに期待するしかありません。

秋に種をまき春に花を咲かせるムラサキ科(旧ハゼリソウ科)ネモフィラ属の一年草です。和名を「瑠璃唐草(るりからくさ)」、英名は「baby blue eyesベイビーブルーアイズ」といい、近くで見ると愛らしく可憐な花です。
それにしても、毎回思うことは、ネモフィラやコキアなどあまりメジャーでない植物を主役に採用した、国営公園スタッフに拍手をおくりたいと思います。

大群落を見続けていると、林間にこぼれ種子で出たようなスイセンに目を惹かれます。ウェブ図鑑で見ると、キズイセン(黄水仙)の中のジョンキル水仙か糸水仙?種類が多すぎて確定できません。

もともとこの地にあったヤマザクラの素朴な美しさも捨てがたいものです。この一帯が射爆場跡地と言っていた頃、秋になると立入禁止の看板を尻目に、よくキノコ採りに入ったものでした。

ここはもと陸軍水戸飛行場(前渡飛行場)として建設され戦後はアメリカ軍水戸射爆撃場となり、昭和48年(1973)返還されました。平成3年(1991)開業の国営公園の総面積は350ha、この面積は東京ディズニーランドの5倍、ニューヨークのセントラルパークと同じくらいの面積ですが、実際に公園として利用されているのは南側の191.9ha(開業中の面積)で、全体のまだ約55%だそうです。

ところで群生と群落の違いを調べました。
群生は同じ種類の植物が同一環境に群がって生育していることで、群落は種々の植物が同一環境の中で一緒に生育していることと出ていました。ネモフィラは同一種なので群生、スイセンとチューリップはいろんな色や形なので群落の方がいいのかな…、とわからなくなりました。

ふたたび千波湖周辺の桜

2018年04月07日 | 水戸の観光
サクラは散り際になると、花びらの中心部に紅い色が出てきます。梅でも一部見られる現象ですが、受粉後に花弁が必要なくなり萼から切り離されると、花弁で出来て幹に流れるアントシアニンが、花弁中心部に留まり紅い色素として残るためと言われています。
開花の早かった今年は、ほとんどの桜でこの現象が見られる4月4日撮影、30種といわれる湖畔の桜の一部ですが、散ってしまった花が多い中まだ咲いてない桜も何種かありました。
タイハク(太白)
桜の中も最大級の白い花、日本では絶滅品種とされていたものがイギリスで発見され、1932年その接ぎ穂が逆輸入されたものです。
カンザン(関山)
八重の代表品種、オオシマザクラを母種とする里桜の仲間で、人為的な交配や野生の交雑により多数の種類があり、ロンドンなどでも街路樹としてよく植えられているそうです。
カスミザクラ(霞桜)
花柄に短い毛が生えているためにケヤマザクラなどとも呼ばれます。命名の由来は遠くから見たこの樹の様子が霞のように見えることからきているそうです。
ヤエベニシダレ(八重紅枝垂)
エドヒガンの栽培品種。江戸時代から栽培されています。明治時代に宮城県仙台市長であった遠藤氏が多く植えたことから、「遠藤桜」とも呼ばれています。
ヤマザクラ(山桜)
我が国の桜の基本野生種の中でも代表的な種類で、古くから詩や歌に詠まれ親しまれてきました。主に本州中部以南に自生しており、花とともに出る赤茶色の若葉が特徴です。
センダイシダレ(仙台枝垂)
吉野枝垂、枝垂山桜などと呼ばれるものと同じ栽培品種だと考えられているそうです。山桜や大島桜の雰囲気を持っています。
ショウワザクラ(昭和桜)
伊豆大島公園内に植えられたソメイヨシノの実生から発見し選抜した桜で、ソメイヨシノの特徴がよく出ています。
オオシマザクラ(大島桜)
伊豆七島や房総半島などに自生する桜です。桜餅の桜の葉には、この桜が使われることが多いそうです。
バイゴジジュズカケザクラ(梅護寺数珠掛桜)
越後に流されていた親鸞聖人が道端の桜の枝に数珠を掛けて念じたところ花が数珠の形になったという伝説に由来します。菊咲きの花は、まだ開いていませんでした。
オオヤマザクラ(大山桜)
本州中部以北に自生するオオヤマザクラは、花色が紅色でヤマザクラより濃く、別名ベニヤマザクラとも呼ばれます。
ジュウガツザクラ(十月桜)
秋の10月頃から冬の間中咲き続け、真冬には小さい花ですが4月になると大きい八重の花を最後に精一杯開きます。
桜川のサクラ
偕楽園下を流れる桜川は、光圀公が旧岩瀬町(桜川市)磯部の山桜を上流の河和田付近に数百本植えたことから名前が付きました。その系統の山桜が、偕楽園の吐玉泉付近に植えられています。
ところで千波湖畔の南の崖には、多くの湧き水が滲み出しているのが見えます。堆積岩の水戸層(泥岩)の上に、礫(小石)や砂などの上市礫層が覆い、その間から地下水が湧き出していると案内板に記されています。
台地に滲み込んだ雨水等が長い年月を経て湧き出しているので驚くほど澄んでいます。千波湖はこの湧き水と桜川などの表流水により水辺環境を形成していますが、湖の浄化には流入する量がまだまだ足りないと言われています。
街の真ん中に、いろんな植物や生き物が息づくこんな自然豊かな水辺環境があることを誇りに、ぜひこれからも守っていきたいものです。

涸沼自然公園の春4月

2018年04月05日 | 季節の花


山がコブシや桜に覆われるこの季節、つい上ばかり見て歩いてしまいますが、足元をよく見れば小さい花が春を謳歌しているのに気が付きます。

ありふれたスミレの代表、タチツボスミレ(立坪菫)は、落花を纏いながら桜に負けるものかと盛んに自己主張しているようです。(少し演出を加えた写真になってしまいました)

紫の濃い小さな花は、ヒメスミレ(姫菫)。アスファルトの隙間などからも生えるほど強い性質に似合わず、スミレらしい可憐さが感じられます。

この公園はニホンタンポポ(日本蒲公英)がまだ多く残っています。萼片が反り返っていない種は、近辺でも貴重な存在になっています。

ムラサキサギゴケ(紫鷺苔)は苔のように地面に這っていますが多年草です。珍しい白花の群落が近くにありました。こちらは、白花に紫とは言えず、単にサギコケ(鷺苔)と呼ぶそうです。

名前に似合わず地味なヒメオドリコソウ(姫踊り子草)と、名前に似合わず可憐なイヌフグリ(犬陰嚢)が仲良く群生しています。

ヘビイチゴ(蛇苺)の花です。苺そっくりの赤い実は名前のせいか、山野跋扈の少年時代も手を出したことはありません。毒ではないけど、美味しくもないようです。

灌木のモミジイチゴ(紅葉苺)は下向きに花を咲かせますので、少し持ち上げて撮影しました。細かい棘が、山歩きの邪魔をしますが、6月頃に生る黄色の実はみずみずしい甘さで食用になります。

切り株にミズゴケ(水苔)の花…、花ではなく胞子体というようですが、苔の花はなんと「母の愛」という花言葉まであるそうです。しかも元禄時代から使われた、れっきとした夏の季語として歳時記に載っています。
岩角や火縄すり消す苔の花  太祇
汲みあてゝ花苔剥げし釣瓶かな  杉田久女


林の中に植えられたクリスマスローズ、東ヨーロッパから西アジア原産で日本の風土にすっかり馴染み、我が家でも樹の下でどんどん増えています。

公園内の桜も満開を過ぎました。斜面の高低差がまた違った趣きを演出してくれます。ここもまもなく一面の新緑に覆われる季節に移っていきます。

笠間城 下屋敷跡

2018年04月03日 | 歴史散歩

笠間城は鎌倉時代初期に宇都宮一族の笠間時朝が築いてから370年余、18代綱家は宗家に逆らって北条氏に味方したため、秀吉の命令で攻め滅ぼされました。その後慶長3年((1598)に秀吉配下の名将蒲生氏郷の家老蒲生郷成が3万石で入封、この時に石垣などが整備され、中世の山城から関東では珍しい石垣天守台のある近世の山城に大きく変貌しました。

その後、城主になった浅野長直は、山頂近くの本丸にあった藩庁が狭く、しかも毎日山道を行き来するには大変な苦労があるため、城下町に近い現在地に移し、周囲を土塁と白壁の塀で囲んで平屋造の荘厳な御殿を建てました。
現在その一帯は、佐白山麓公園として市民の憩いの場所になっています。

長直は下屋敷が出城の一部なので幕府に届けなかったところ、新城を建てたとの噂が立ち、幕府は監察使を派遣することになりました。そこで急遽塀を取り壊し、一夜にして木の枝で作る粗朶(そだ)垣根に造り替え、事なきを得ました。しかし、急場凌ぎのため杭柱が逆さに打ち込まれた所もあったので、下屋敷の逆杭(さかさくい)という伝説になりました。(笠間市ホームページより)

中世の山城時代にはこの本丸跡が笠間城の中心でした。標高176mの地にあり、下屋敷からは標高差120m、屈強な侍でも毎日通うのは大変なことです。

天守曲輪の東で岩石が露岩しているこの場所は、石倉と呼ばれています。この花崗岩を切り出して蒲生郷成の時代に石垣、石段など曲輪の整備を行ったのではないかとされています。

寛文2年(1662)当時の笠間藩主井上氏の家臣中島友重が、佐白山正福寺の梵鐘を借り受け、大町にあった極楽寺に鐘つき堂(鐘楼)を建て、鐘をついて城下の人々に時を知らせたのがこの時鐘の始まりといわれています。維新後明治22年に再開し、昭和39年まで、4代にわたる撞き手が朝5時から夜7時まで、町の人々に時を告げていたのを偲びこの鐘楼が再建されました。

笠間満州分村懐古之碑  碑文によると、昭和18年元満州国東安省宝清縣南哈嘱地区に笠間町を母体とした第12次開拓団が、14000町歩の開拓に取り組むも終戦により計画の半ばで幾多尊き殉難者を出し挫折の止むなきに至り、その殉難者を慰霊するために昭和28年建立とあります。

忠臣蔵の大石内蔵助の祖父で、笠間藩家老だった大石良欽の屋敷跡がこの下屋敷跡のすぐ近くにあります。浅野氏は、元和8年(1622)から笠間藩主で、その後正保2年(1645)赤穂へ移封になり56年後に討ち入り事件が起こります。

公園内に義士顕彰碑とその隣には、その謂れを記した義士顕彰碑建立記が建っています。これには、「誠は人の道にして古今を貫く大道たり…」と、赤穂浪士の忠義を称える文面が刻まれています。