顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

水戸市の旧町名「銭谷前」…寛永通宝発祥の地

2024年09月05日 | 水戸の観光
水戸市では昭和37年施行された「住居表示に関する法律」によって、長い間親しまれてきた町名が164も失われました。せめてその歴史を残そうと昭和61年から4年かけて107か所に設置された旧町名の標示石柱を調べていると、江戸時代前期の寛永通宝がここで初めて造られたという地名がありました。

銭谷前という旧町名標示石柱には、「寛永の頃銭谷稲荷の地で鋳銭が行われ銭屋という地名ができた。その前が銭谷前という浜田村の小字名となり明治二十二年市制施行に当り水戸市に編入された」と書かれています。


この地の銭谷稲生神社のある場所で、寛永2年(1625)水戸の富商佐藤新助が寛永通宝銭を鋳造しました。後には本六町目裏や上町でも鋳造しますが、最初のこの地が銭屋という地名になり、後に銭谷と記されました。その後銭谷稲荷の前のこの地は、浜田村の銭谷前という小字名でした。


というのは、初期の徳川幕府では、金や銀の貨幣は金座、銀座で作っていましたが、銅銭は幕府の公鋳銭がなく、中世の日本に流通していた中国の永楽銭やそれを模した「鐚銭(びたせん)」という私鋳銭が使われていました。当時は流通銭貨の絶対量の不足が問題となっており、この状況に危機感を持った3代将軍家光は、寛永13年(1636)に水戸の佐藤新助が幕府と水戸藩に許可をもらって鋳造していた私鋳銭「寛永通宝」を幕府の公鋳銭としました。なんと江戸時代の公定銅銭「寛永通宝」はここから生まれました。

銭谷稲生神社内にある鋳銭場跡の碑です。

文政10年(1827)に書かれた石川慎斎の「水戸紀年」には、寛永14年(1637)に水戸で鋳造された銭を「水戸銭」といい、同17年の鋳銭額は毎月二、三百貫にもおよんだと記されています。1貫文は銭貨1000枚(1000文)のことなので、毎月2,30万枚の銅銭が世に出ていたことになります。

その後、公鋳銭としての「寛永通宝」は江戸と近江坂本に銭座が設けられますが、水戸藩など7つの藩でも幕府の許可を得て銭座を設けて鋳造を続けています。寛永17年(1640)頃になって寛永通宝が国内に普及し銭相場が安定すると、銭相場の下落を防ぐために他所での鋳造が停止されました。この時期に鋳造された寛永通宝は「古寛永」と呼ばれ、水戸で鋳造されたものが数多く残っているそうです。

この頃慶安4年(1651)には由井正雪の慶安の変が起こり、関与が疑われた紀州藩主と銭を鋳造していた水戸藩を皮肉った落首が江戸市中に張り出されたそうです。
家康の 跡を取らぬか 紀伊の殿 
銭がほしくば 水戸をくわへよ


古銭販売サイトには水戸銭としての寛永通宝がいろいろ出ています。その写真をお借りしました。真贋は不明ですが、大量に鋳造されて流通したので価格は数百円程度でした。



さて銭谷前碑の斜向かいにある鋳銭所跡に建つ銭谷稲生(いねなり)神社です。


いまは「いなり神社」がほとんど「稲荷」と表記されていますが、古くは「稲生(いね・なり)」という名前があり、そこから転じて「稲荷(いなり)」の名になったといわれていますので、「稲生」も「稲荷」も同じ名です。


赤い鳥居と幟が立ち並んだ神社は、人通りの少ない裏通りですが、目を惹く一画になっています。




祭神は保食命(うけもちのみこと)で食を司る女神、鋳銭場跡を宅地とした玉屋権兵衛が氏神を宝暦13年(1763)(または明和3年(1766))に遷社したと伝わっています。


覆い堂の中にある本殿の千木は外削ぎ、鰹木は偶数(3本)で男神のものですが例外も多いというので気にしないことにしています。
境内には天満宮、道祖神社、足尾神社、子安神社、疱瘡守護神社などの末社が並んでいました。


水戸藩が幕末に鋳造したといわれる藩内貨幣「水戸大黒銭」のモニュメント、表面には縁起のいい大黒像、裏面には寿比南山の文字が刻まれています。25文相当で通用したともいわれますが、詳細は不明の幻の貨幣です。


同じく幕末水戸藩の貨幣「水戸虎銭」を載せた銭塚です。当初、銭座職人への賃金の支払い用に使用していましたが、次第に市中や藩外にも通用するようになり、市中では50文の価値として使用されたと伝わっています。


銭谷盆唄発祥之地の碑です。
水戸では昭和初期まで「水戸の盆踊り」と「銭谷の盆踊り」という二つの系統の盆踊りが盛大に開催されてきました。近くに住んでいる知り合いに聞いたら、ものすごい賑わいだったと話していました。
「銭谷盆唄」  ハーア イヨウ  銭谷ェ田圃からェ蛇が出たとても 
 銭谷ェ通いはェやめられぬ (ハア アリヤ アリヤ アリヤサ)


だんだん行動範囲が狭くブログ更新間隔も長くなってきましたが、この年になっても身の回りには知らないことばかりです。いつもこの近くを通っていて200m先のスーパーも行きつけの店なのに初めての訪問でした。