今日10月6日、中道保守(右派)連合4党による連立内閣が発表された。新首相ラインフェルト(Reinfeldt:41歳)は22人の閣僚を発表。与党4党の議席数を考慮して、
保守(穏健)党・・・11閣僚
中央党・・・4閣僚
自由(国民)党・・・4閣僚
キリスト教民主党・・・3閣僚
という配分となった。
外務大臣には、ある大物。それから、財務大臣という要職に38歳の党・経済問題担当の参謀が抜擢された。また、一番若い閣僚は32歳、と、相変わらずスウェーデン政界の若々しさを見せ付けてくれる。
詳細は次回に送るとして、とても興味深い、ある人事から。
ここで以前に書いたように、これまでの社会民主党政権で春以来、外務大臣を担当してきたのはJan Eliasson(ヤン・エリアソン)というベテラン外交官だった。前任者がスキャンダルで退陣に追い込まれ、そのポストに選ばれたのが彼だったのだが、意外な人事だったために世間を驚かした。
Jan Eliassonはベテランの外務官僚であるだけでなく、(外交官には珍しく!?)しっかりとした理想とビジョンをもった外交官で、中東での和平調停や国連での活躍など、業績もあったので、誰もが納得する適任者だった。
これに比べ、今回の選挙で政権をとった中道保守(右派)ブロックには、彼に匹敵するような“きらびやか”な人材がいなかった。新首相自身も、外交問題の経験は浅いし、国際的な知名度もない。さて誰が外務大臣になるのか(なれるのか)?と噂されていた。一説には、キリスト教民主党が国際援助に力を入れていた関係で、前の党首であるAlf Svenssonという“お爺さん”がなるんじゃないか…?なんて、話もあったけれど、国際的な知名度も低く、斬新さに欠けていた。
そして、今日の人事で発表された新外相は、Carl Bildt(カール・ビルト)。そう、泣く子も黙るCarl Bildt。彼は、以前に保守党(穏健党)の党首を務め、90年代初頭の経済危機に乗じて保守党をはじめとする右派政権が誕生した1991-94年には、首相を務めているのだ。(就任時42歳)
新首相ReinfeldtとCarl Bildt
彼はスウェーデンのEU加盟とEUへの統合を積極的に推進し、ヨーロッパ統合に対するビジョンを自著「Uppdrag Europa(“ヨーロッパ”という任務)」に綴っている。90年代はじめの右派政権も長続きせず、94年の総選挙で敗北したあとは、活躍の舞台をスウェーデンから国外に移す。旧ユーゴスラヴィア紛争において、EU特命の調停者という役目を1995年に引き受け、アメリカや国連との協力の末に、同年秋のデイトン合意の実現に貢献している。その後は、紛争終結後のボスニア=ヘルツェゴヴィナの内政・民生を司る最高責任者(High Representative)に就任している。また1999年には、国連事務総長による特命で、バルカン半島における国連代表の職務を果たしている。バルカン半島・旧ユーゴでのこれらの経験は、別の自著「Uppdrag Fred(“平和”という任務)」に、詳細に綴られている。(ボスニアの細かい地名が立て続けに登場し、かなりマニア向けかも…)
一方で1998年の総選挙時にはスウェーデンに舞い戻り、党首として選挙活動をするものの、自身の保守党は再び敗退を期し、それからはスウェーデンの政界からは姿を消していたのであった。
新首相Reinfeldtはそんな“国際派”の彼を起用することで、自身の弱点である国際・外交面を強力に穴埋めしようとしたのだった。
ただ、ReinfeldtとBildtは同じ党の中で仲が悪い、と噂されていただけに、今日の人事は世間にとっては寝耳に水で、Jan Eliassonの時と同じように大きなニュースとなった。二人の仲の悪さは90年代からで、Bildt政権が94年の総選挙で敗北すると、まだ若き議員だったReinfeldtはBildtのリーダーシップに対し、痛烈な内部批判を行っている。これを契機にReinfeldtは、党内で反主流派のうねりを水面下で起こして行き、最終的に主流派に打ち勝ち、党をひっくり返す形で、現在、こうして党首になり、首相になるまでに至っているのだ。だから、かつての“目の上のたんこぶ”であった元党首・元首相のBildtを外相に起用したのは意外だった。Bildt自身は2001年を最後に議員職から退いていたから、今回の起用は、議会外から、ということになる。
Carl Bildtの外交手腕と国際的なネットワークの強さは、誰もが認めるところである。しかし、スウェーデンの政治家の中ではかなりの“アメリカ寄り”であることが、批判されてもいる。また、スウェーデン国内では、財界と太いパイプを持つことが有名で、投資機関や石油・鉱山企業の執行部に名を連ねてもいる。特に、その中の一つ、スウェーデンの石油・鉱山企業であるLundin Oilがアフリカで石油開発で地元住民に強制立ち退きを強い、飢餓の問題を起こしたときなどは、彼も痛烈な批判を世論から受けたりしている。
保守(穏健)党・・・11閣僚
中央党・・・4閣僚
自由(国民)党・・・4閣僚
キリスト教民主党・・・3閣僚
という配分となった。
外務大臣には、ある大物。それから、財務大臣という要職に38歳の党・経済問題担当の参謀が抜擢された。また、一番若い閣僚は32歳、と、相変わらずスウェーデン政界の若々しさを見せ付けてくれる。
詳細は次回に送るとして、とても興味深い、ある人事から。
ここで以前に書いたように、これまでの社会民主党政権で春以来、外務大臣を担当してきたのはJan Eliasson(ヤン・エリアソン)というベテラン外交官だった。前任者がスキャンダルで退陣に追い込まれ、そのポストに選ばれたのが彼だったのだが、意外な人事だったために世間を驚かした。
Jan Eliassonはベテランの外務官僚であるだけでなく、(外交官には珍しく!?)しっかりとした理想とビジョンをもった外交官で、中東での和平調停や国連での活躍など、業績もあったので、誰もが納得する適任者だった。
これに比べ、今回の選挙で政権をとった中道保守(右派)ブロックには、彼に匹敵するような“きらびやか”な人材がいなかった。新首相自身も、外交問題の経験は浅いし、国際的な知名度もない。さて誰が外務大臣になるのか(なれるのか)?と噂されていた。一説には、キリスト教民主党が国際援助に力を入れていた関係で、前の党首であるAlf Svenssonという“お爺さん”がなるんじゃないか…?なんて、話もあったけれど、国際的な知名度も低く、斬新さに欠けていた。
そして、今日の人事で発表された新外相は、Carl Bildt(カール・ビルト)。そう、泣く子も黙るCarl Bildt。彼は、以前に保守党(穏健党)の党首を務め、90年代初頭の経済危機に乗じて保守党をはじめとする右派政権が誕生した1991-94年には、首相を務めているのだ。(就任時42歳)
新首相ReinfeldtとCarl Bildt
彼はスウェーデンのEU加盟とEUへの統合を積極的に推進し、ヨーロッパ統合に対するビジョンを自著「Uppdrag Europa(“ヨーロッパ”という任務)」に綴っている。90年代はじめの右派政権も長続きせず、94年の総選挙で敗北したあとは、活躍の舞台をスウェーデンから国外に移す。旧ユーゴスラヴィア紛争において、EU特命の調停者という役目を1995年に引き受け、アメリカや国連との協力の末に、同年秋のデイトン合意の実現に貢献している。その後は、紛争終結後のボスニア=ヘルツェゴヴィナの内政・民生を司る最高責任者(High Representative)に就任している。また1999年には、国連事務総長による特命で、バルカン半島における国連代表の職務を果たしている。バルカン半島・旧ユーゴでのこれらの経験は、別の自著「Uppdrag Fred(“平和”という任務)」に、詳細に綴られている。(ボスニアの細かい地名が立て続けに登場し、かなりマニア向けかも…)
一方で1998年の総選挙時にはスウェーデンに舞い戻り、党首として選挙活動をするものの、自身の保守党は再び敗退を期し、それからはスウェーデンの政界からは姿を消していたのであった。
新首相Reinfeldtはそんな“国際派”の彼を起用することで、自身の弱点である国際・外交面を強力に穴埋めしようとしたのだった。
ただ、ReinfeldtとBildtは同じ党の中で仲が悪い、と噂されていただけに、今日の人事は世間にとっては寝耳に水で、Jan Eliassonの時と同じように大きなニュースとなった。二人の仲の悪さは90年代からで、Bildt政権が94年の総選挙で敗北すると、まだ若き議員だったReinfeldtはBildtのリーダーシップに対し、痛烈な内部批判を行っている。これを契機にReinfeldtは、党内で反主流派のうねりを水面下で起こして行き、最終的に主流派に打ち勝ち、党をひっくり返す形で、現在、こうして党首になり、首相になるまでに至っているのだ。だから、かつての“目の上のたんこぶ”であった元党首・元首相のBildtを外相に起用したのは意外だった。Bildt自身は2001年を最後に議員職から退いていたから、今回の起用は、議会外から、ということになる。
Carl Bildtの外交手腕と国際的なネットワークの強さは、誰もが認めるところである。しかし、スウェーデンの政治家の中ではかなりの“アメリカ寄り”であることが、批判されてもいる。また、スウェーデン国内では、財界と太いパイプを持つことが有名で、投資機関や石油・鉱山企業の執行部に名を連ねてもいる。特に、その中の一つ、スウェーデンの石油・鉱山企業であるLundin Oilがアフリカで石油開発で地元住民に強制立ち退きを強い、飢餓の問題を起こしたときなどは、彼も痛烈な批判を世論から受けたりしている。
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