スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

ますます深刻化する賃貸住宅不足の問題 (その1)

2014-07-14 20:38:44 | スウェーデン・その他の社会
住宅というのは所得にかかわらず誰もが必要とする基本的な財であるから、誰でも住宅の質に見合った適正な家賃を払うことで、安心した暮らしを送ることができるべきだ。と書くと、確かにもっともだと思える。もし、賃貸住宅の家賃がその住宅に対する需要と供給で決まってしまうと、景気の変動にともなって、あまりに高い家賃が付けられ、所得の低い人は住めなくなってしまうこともあるかもしれない。だからといって、ここで「家賃は需給に関係なく、一定額に設定しましょう」と決めてしまうと、さてどうなるか・・・?

スウェーデンの都市部で年を追うごとに深刻化している賃貸住宅不足の問題の根源は、この経済メカニズムを無視した家賃決定の仕方にある。そして、今では同様の問題が、地方の町でも顕在化している。



【 賃貸住宅の家賃の決まり方 】

スウェーデンでの賃貸住宅の家賃は、需給に関係なく、その住宅に住む人にとっての「利用価値」に基いて決められる。この利用価値には、住宅の部屋の数や大きさ、室内の設備(例、キッチン・調理器具・冷蔵庫など)、共有スペースの設備(エレベーター、洗濯室)などが含まれる。一方、便利な街の中心にあるのか、それともずっと離れた郊外にあるかといった立地条件は加味されない。つまり、住宅の大きさや質が同じであれば、それがスウェーデンのどこにあろうとほとんど同じ家賃が設定されるのである。しかも、この制度は自治体の管轄する公営の住宅会社だけでなく、賃貸物件を持つ民間の住宅会社にも適用される

家賃の決定に際しては、それぞれ全国組織である賃貸居住人組合、住宅業界団体、公営住宅会社連合会がまず中央交渉を行い、家賃のベースを決める。そして、そこで決められたベースを元に、それぞれの住宅会社とその地域の賃貸居住人組合が個別の物件の家賃を決めていく。プロセスとしては、労働市場の賃金水準の決め方とよく似ている。家賃のベースを決めるときに近年まで参考にされてきたのは、自治体が管轄する住宅公社の家賃だ。住宅公社は利潤を追求せず、住宅の資本コストや管理に掛かる人件費をカバーできるだけの家賃を設定するが、それがベースとなり、民間会社の賃貸住宅の家賃もそれにほぼ準じた水準に設定されてきたのである。

この制度が導入されたのは1969年だが、それ以前も家賃規制は存在し、それは第一次世界大戦にまで遡る。スウェーデンは非参戦国だったが、戦争に伴う好景気のために都市部で住宅不足が発生し、賃貸住宅の家賃が急激に上昇したため、その時点で住んでいる人が急に家を追い出されることがないよう保護することが目的で、家賃規制が導入された。第一次世界大戦が終われば住宅不足も解消したため撤廃されたものの、第二次世界大戦で再び住宅不足に陥り、同様の家賃規制が導入。それがその後も維持され続け、1969年から現在の制度に移行した。

制度のそもそもの目的は、住宅の需給変動にともなう家賃の変動から賃貸居住人を保護することだ。

この制度のおかげで、スウェーデンの賃貸住宅の家賃は便利な街中でも驚くほど安い。ストックホルム市の中心部の魅力的な立地にあるワンルーム(キッチン付き、35-40平米)の賃貸住宅が月々3500クローナ(約5万円)前後で借りられる。

いや、正確に言えば、「運が良ければ」借りられるのである。


【 家賃規制がもたらす需要超過 】

大学で経済学を学ぶと、まず最初にミクロ経済学の理論と現実社会への応用をひと通り教えられる。私もミクロ経済学の授業の一部を担当したことがあるが、需要と供給によって本来は価格が決められている財・サービスの価格に対し、市場外の力によって規制を加えた場合にどうなるかを説明する際の具体例として、住宅市場をよく使う。

規制によって均衡価格よりも低い価格を設定した場合、供給に対して需要が上回る需要超過の状態になる。また、消費者余剰と生産者余剰の和も小さくなるので、社会全体にとって非効率が生じる(右図の影の部分)、と教える。


需要超過が発生した場合、もし(入札などによって)一番高い価格(この場合、家賃)を提示した人が賃貸契約を結べるというシステムであれば、需要と供給は自然と調整され、両者が一致する。これが市場メカニズムだ。しかし、価格が規制されていればそのような調整はない。では、限られた数の賃貸物件をどのようにして、借りたい人たちに配分するのか? 一つの方法は「待った時間の長さに応じて」である。

スウェーデンの自治体の多くは、賃貸住宅の斡旋サービスを管理している。1993年まで一つの法律があり、賃貸物件を持つ住宅会社は、自治体公社や民間会社を問わず、空きができるとそれを自治体に伝える義務があり、自治体の斡旋サービスを通じて新しい入居者を見つけるというシステムになっていた。そのような義務は今は撤廃されたが、今でも自治体の住宅公社や大手の民間住宅会社は自治体の賃貸斡旋サービスを利用して入居者を見つけている。

自治体による賃貸斡旋サービスでは、賃貸住宅に住みたい人はまず登録をする。登録をした日から「待ち日数」がカウントされる。空き物件がアナウンスされると、関心を持った人はその意思表明をする。そんな人が複数いれば「待ち日数」の一番長い人にその物件が与えられる

賃貸住宅を求めている人は多い。住宅を探す場合、賃貸以外の選択肢としては分譲住宅だが、分譲住宅は住宅ローンを組む必要があるし、ある程度の貯金も必要となる。それに、分譲住宅の価格は賃貸住宅とは違って市場メカニズムで決まるうえに、月々の手数料もあるから、利子支払いなどを含めた毎月の総コストは、部屋の数や住宅の質がそれと同等の賃貸住宅の家賃に比べたらずっと高くなる。所得の低い人や、定職を持たない若者は住宅ローンを組むのが難しいから、月々の家賃を収めるだけで手軽に住める賃貸住宅を求めている。

さらに、スウェーデンは人口が順調に増え続けており、しかも、都市部や地方の中核都市に人口が集まっている。その結果、賃貸住宅への需要がますます高まっているのである。

例えば、ストックホルム市が管理している賃貸斡旋サービスに現在、登録している人の数は43万人に達している。(このうち50%は既にストックホルム市の住民であり、34%はストックホルム県の別の市に住んでいる人。残りは県外、もしくは不明。この斡旋サービスが扱っているのは主にストックホルム市内にある住宅公社や民間会社の物件だが、周辺自治体の物件の一部も扱っている)

下のグラフは、このストックホルム市の管理する賃貸斡旋サービス登録者総数(水色)とその年の新規登録者数(青色)の推移を表したものだ。見ると分かるように、登録者総数はこの10年で2004年の10万人から4倍以上に膨れ上がっていることが分かる。


現在、登録している43万人の中には、今は分譲住宅などに住んでおり賃貸住宅は必要ないけれど、賃貸のほうが月々のコストが安いから、とりあえず登録しておいて待ち日数を稼ぎ、将来的に賃貸住宅を手に入れたいと目論んでいる人も多い。一方、今すぐにでも賃貸住宅を求めている人は、この43万人のうち8万人ほどいる

登録者数が増えていけば、空き物件に対する競争が激しくなるから、契約を勝ち取るために必要な「待ち日数」の長さもどんどん長くなっていく。下のグラフは、賃貸物件の契約を勝ち取った人の「待ち年数」の分布を2011年、2012年、2013年に分けて示したものだ。


2011年には「4-6年」が一番多かったが、全体的な分布は年を追うごとに右にシフトし、2013年は「6-8年」が一番多くなっている。ただ、これはあくまでストックホルム市の賃貸斡旋サービスが仲介した物件の全体の統計であることに注意してほしい。ストックホルム市内の魅力的な場所にある賃貸住宅に住むために必要な「待ち年数」は15年から20年と言われる。だから、子供が生まれた時に子供の名前で登録しておけば、その子が成人した頃に賃貸アパートが手に入るというような状態だ。

(ただ、自治体の賃貸斡旋サービスにはそれぞれの規定があり、例えば、ストックホルム市の斡旋サービスの場合は18歳以上でなければ登録できない。また、ストックホルム市のサービスでは登録料を1年ごとに徴収されるが、自治体によっては無料で登録できる斡旋サービスもある。さらに、賃貸住宅を獲得した場合に、それまでの「待ち日数」がリセットされる斡旋サービスもある一方で、そのまま「待ち日数」が溜まり続け、数年後に別の賃貸住宅を探したいときにそれを活用できる斡旋サービスもある。ストックホルム市内にある共同組合形式の賃貸住宅会社はストックホルム市の斡旋サービスを利用せず、独自の登録システム(待ち行列)を管理しているが、そこでも「待ち日数」が溜まり続ける。何十年も前から登録している人がたくさんいるので、その組合の持つ賃貸住宅の空き部屋を獲得したいと思えば、30-35年待ちが当たり前というトンデモナイ状態だ。)

こんな状態だから、一つの空き物件が斡旋サービスの登録者に通知されると、その物件に対して2000人や3000人が関心を示すケースも全く珍しくない。もちろん、契約を勝ち取れるのはその中で待ち日数の一番長い人だ。(下見をして1番の人が辞退すれば、2番目の人にチャンスが回ってくる。)

ヨーテボリ市の管理する賃貸斡旋サービスでは、一つの空き物件に対して関心を示す人の数は平均で800-900人という。(ストックホルムの数字は調べてみたが分からなかった)


【 若者に対するしわ寄せ 】

この結果、不利を被っているのは、例えば若者や、別の町からストックホルムに引っ越してきた人だ。特に、仕事や勉学のためにストックホルムに住みたい、もしくは、住まなければならない人は、待ち日数も少ないから、賃貸住宅の契約をすぐに手に入れるのは不可能に近い。「数年間待ってから~♪」なんて余裕もない。

一方、長い間待つ苦労を重ねた上で、ようやく賃貸物件を手に入れた人にとっては、賃貸契約そのものが既得権益となる。街の中心の魅力的な立地条件にある物件が、街のずーっと郊外にある同様の物件と比べて、家賃がほとんど変わらないのである。それに、分譲住宅と比べても月々のコストははるかに安い。だから、手放したくない。その結果、本来なら分譲住宅に住むくらいの経済的余裕のある人が、安い賃貸に住み続けているケースもたくさんある。それに、彼らは入居した時点で何年も待ち続けてきた人なので、中高年も多い。住んでいる賃貸住宅が、ライフライクルの変化にともなって自分の生活に合わなくなり、例えば、本当はもっと大きな(もしくは小さな)アパートに住みたい、と思っても、手放すのが惜しくて住み続ける。そのような人たちが、経済的に余裕のない若者が最も必要としている賃貸住宅にずっと居座り、賃貸住宅市場の流動性を阻害しているのである。

では、そもそもなぜ賃貸住宅の数が増えないのか? それについては次回。

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