スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

愛されたニュースキャスター

2009-04-03 02:30:30 | コラム
悲しいニュースを知ったのは、スウェーデンへ戻る飛行機の中で読んだ新聞でだった。

公共放送であるSVT(スウェーデン・テレビ)21時のニュースの顔的存在だったキャスター、Jarl Alfredius(ヤール・アルフレディウス)が亡くなったとのことだった。そんなに歳ではなかったのに、と思って調べてみると、やはり66歳という、今後もまだまだ活躍できたはずの若さで亡くなっていた。



大学でジャーナリズムを学び、公共ラジオであるSR(スウェーデン・ラジオ)の報道部で勤務した後、SVT(スウェーデン・テレビ)に転身。1986年からは21時のニュース番組『Aktuellt(アクトゥエルト)』のキャスターを務めてきた。

「彼はインタビューする相手や取り上げようとする問題に対して、常に積極的な関心を示せる人だった。自分が大切だと考える物事に対する、ジャーナリストとしての熱意は素晴らしかった。」と、彼をよく知る同僚は語っている。

1993年には包囲下にあったボスニア・サラエヴォに自身が乗り込み、現地からニュースを送ったこともあった。

サラエヴォの臨時スタジオ


サラエヴォの通称「スナイパー通り」から

22年にわたってキャスターを務めてきたニュース番組『Aktuellt』を降板したのは昨年8月のこと。前立腺がんが見つかったためだった。しかし、この時点で病状はかなり進行していたようだ。

そして、今年の3月17日、妻と息子の芸術作品の展示会にあわせてお別れ会を開いたといわれる。親しい友人や同僚に送られた招待状には「お互い、もう一度会えるチャンスだよ」と彼自身が書いていた。

がんが骨にまで転移していた彼は、歩行補助器で体を支えながら会場に現れた。会場にはキャスターの同僚や一緒に働いたカメラマン、報道部のデスクの人たちなどが集まっていた。中には、23年前に彼をラジオ局からSVT(スウェーデン・テレビ)に引き抜いた、当時の担当者もいたという。その晩は、昔話で盛り上がり、昔の記憶が次から次へと語られ、尽きることがなかった。そして、最後には本人を含め、多くの人が涙を流したという。

最後の日々は、病院からストックホルム郊外の自宅に戻り、妻と共に静かな時間を過ごした。そして、「お別れ会」からちょうど2週間たった3月31日、静かに息を引き取った。


2007年3月に生中継した社会民主党と保守党の党首論戦より


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (あや)
2009-04-05 09:47:52
一人のジャーナリストの死がどれだけ社会に与える影響が大きいか。
「伝える」という職業は、信頼関係によるものなのだと思います。
筑紫哲也さんを思い出してしまいました。
どことなくルックスも似ているような。。感じがしません?
返信する
Unknown (Yoshi)
2009-04-05 23:50:43
>筑紫哲也さんを思い出してしまいました。

私も実はそう感じていましたよ。
返信する

コメントを投稿