スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

モナ・サリーンの退陣表明

2010-11-15 01:42:16 | スウェーデン・その他の政治
社会民主党の党首モナ・サリーンが辞任することを発表した。

9月の総選挙で政権の奪還に失敗した。社会民主党の得票率は30%強であり、今でもスウェーデンで最大の党であることは間違いないが、30%という水準はこの党の歴史から見ると非常に低い水準だ。

選挙での敗退と支持率の低迷を受けて、社会民主党内部では敗戦分析が進められていた。ワーキンググループが作られ、彼らによる敗戦分析レポートが来年の党大会までに作成され、党執行部と党の掲げる政策の刷新が議論されることなっていた。選挙の直後から党首モナ・サリーンの辞任を求める声が挙がっていたが、彼女は党首を続けると表明していた。

しかし、先週に入ると、彼女は党内部での危機意識を高めたいという意図からか「私を含め、党の執行部メンバーは全員、来年の党大会において一度辞職し、その上で再選を目指すというプロセスを踏むべきだ」と発表し、自らも来年の党大会で党のメンバーの信任を改めて問うことを表明した。しかし、彼女のこの動きは、当初の意図を越えて党内に大きな波紋をもたらし、党の内部では選挙での敗退の責任をなすりつける動きが始まっていった。大きな党であるだけに、一度混乱が生じ始めると収拾がつかなくなる。党の幹部の中には、負け組の一部にはなりたくないと保身に走るものもいて見苦しい。

次第にエスカレートしていく混乱を受けて、この日曜日には党の幹部と地方組織の代表による特別会合が開かれた。会合に向かう途中のモナ・サリーンはそれまで同様、今後も党を率いていくと表明していたものの、会合が終わってから記者会見を開き、来年の党大会では党首の再選に立候補しないことを発表したのだった。辞任表明ということだ。さらに、国会議員のポストからも身をひくことも表明した。


思い出せば、4年前、2006年9月の国政選挙の夜、社会民主党の敗戦が明らかになったとき、当時の党首であり首相であったヨーラン・パーションが辞任を発表し、その直後から次の党首探しが始まっていった。選挙で右に流れた風向きを変えて、4年後の選挙で勝利に導くことが次の党首に託された使命だった。

しかし、社会民主党の支持率は新しい党首に選出されるのを待たずして自然と回復。2007年3月に党首に選ばれたモナ・サリーンには、その回復基調を維持し、2010年9月の国政選挙において政権を奪還することが期待されたのだった。中道保守政権が失業保険改革などで不人気となっていたため、風向きが再び社会民主党に向かっていた当時の状況から考えれば、それは難しいことではないと思われた。

しかし、途中で何かが狂ってしまったのだ。それは次回に。


モナ・サリーン 25歳

1957年生まれのモナ・サリーンが国会議員に初めて選ばれたのは1982年、25歳のことだった。やる気に満ち溢れる若手議員で、中年のベテラン議員を相手に少し生意気そうに挑戦的な議論をふっかけることもしばしばだった。党内での評価も高かったし、若者や女性の支持が高かった。暗殺されたオロフ・パルメの後を引き継いだ党首イングヴァル・カールソンも彼女を認めて1990年に労働市場大臣に抜擢した。また、1991年の国政選挙を直前にしたテレビ上での公開討論には党首カールソンと一緒に出演し、議論に参加したりもした。

だから、カールソンが1995年に党首と首相を辞任することを発表した後も、その後継として当然ながら彼女の名が挙がり、有力視されていた(カールソン政権で副大臣も務めていた)。しかし、この時、彼女が国会議員という公務のためのクレジット・カードを使って私的な買い物をしていたことが明るみになり、このことが取りざたされて社会民主党初の女性党首(しかもまだ30代という若さ)の夢は潰えてしまった。このときの買い物というのは実はチョコレート程度で、法には触れないものだった。残念ながら彼女は人気が高い反面、敵もたくさんいたようで、彼女を好まない党の内部の者がメディアにリークしたのだった。

このチョコレート・スキャンダルで一度は国会議員の職を退いたものの、90年代終わりから次第にカムバックしていき、ヨーラン・パーション政権のもとで大臣職をいくつか経験した。パーション政権は2004年から2006年まで環境省を改めて「環境と持続可能な発展省」と呼んでいたことがあったが、モナ・サリーンはこの持続可能な発展担当大臣を務めたこともあった。

そして、ヨーラン・パーションの後継として2007年に党首となったわけだが、残念ながら時期として遅すぎたといわざるを得ないかもしれない。80年代・90年代のフレッシュさはあまり感じられず、のらりくらりとゆっくりしゃべる中年の女性というイメージばかりが強く出るようになっていた。

<彼女の28年間の政治家キャリアを綴るニュース動画>

モナ・サリーンが可哀想で仕方がない。1995年の党首選においてスキャンダルがリークされたために政治家としての一番よいタイミング(政治家としての旬?)を逃してしまったこともさることながら、2007年に晴れて党首の座についた時には、社会民主党は活力を失い、方向性を見失った党に化していた。また、相変わらず、党内部や労働組合の中に敵が少なからずいたため、彼らと戦わざるを得ず、余分なエネルギーを費やしてきた(前回の記事に関連することだが、社会民主党こそエリート化した議員の多い党で、権力争いに躍起になっている人が比較的多いことが有名だ)。そして、国政選挙のキャンペーンでは、支持率が伸び悩む中、疲れが見え始め、そのことによってさらに支持が低迷するという悪循環が生じていた。だから、そんな疲れが今、限界に達し、辞任の決断に至ったのだろう。

しかし、国会議員まで辞任してしまうのは残念だ。適切なタイミングと環境と良い仲間がいれば、もっと活躍することができただろうに。