スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

倫理意識とアイデンティティー

2008-06-06 17:09:31 | コラム


企業経営における倫理は、スウェーデンでもよく話題になる。「私たちは地球環境や途上国の労働環境への配慮を行っている」というような綺麗なスローガンの裏で、実際にはそれに反した操業活動を黙認していた、というスキャンダルもたまにマスコミ沙汰になる。

昨年暮れのスーパーマーケットICAのミンチ肉の賞味期限ラベル貼り替えもそうだし、数週間前にはスウェーデンの代表的企業であるEricsson(エリクソン)が契約を結ぶバングラディシュの下請け企業が劣悪な労働環境の下で部品を製造している、というスキャンダルが公になった。その下請け企業は児童労働を使い、さらには、有毒な薬品を生産工程に用いているのに労働者が素手で作業を行い、廃液を垂れ流して環境汚染を引き起こしている、というものだった。これはEricsson自体が関与しているものではなかったが、下請け企業に対する監督責任を追及され、Ericssonのスポークスマンがテレビの前で謝罪していた。

スウェーデンではSwedWatchという非営利団体が、スウェーデン企業の国外での活動に厳しい目を光らしており、スキャンダルをマスコミに公表したりしている。

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さて、私は毎朝ラジオで目を覚ます。6時半頃にニュース番組が流れ始め、夢うつつでそれを聞きながら、7時半か8時までには起き上がる、という感じだ。ニュース番組の中では毎日「一日の始まりのエッセー」が流れる。社会の様々な分野で活躍している人たちが、その日一日のやる気を与えてくれる、自らのメッセージやエッセーを朗読するのだ。

つい先日に聞いたエッセーが良かった。その日は、企業経営の倫理について教えている経営学部の教授だった。

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将来の企業リーダーを育てる特別講義の中で、企業倫理や社会的責務について講義したときだった。講義の後、一人の外国人学生が相談したいことがあると私のもとにやってきた。いくつかの有名な国際企業での勤務経験がある青年だった。今、新しい仕事を探しているところで、数日後に面接を受けるのだという。

しかし、彼には気掛かりなことがあった。それぞれの企業で働いていた期間が1、2年程度で、面接ではそのことがマイナスになるかもしれないし、面接官に突っ込まれるかもしれない、とのことだった。

では、どうして短期間で企業を変えたのか? と私が尋ねると、それはその企業のやり方が自分の信念に反するものだったから、と彼は答えるのだ。その企業は違法行為や倫理に反する行為を意図的にやっており、彼はそれを黙認できず辞めざるをなかったからだ、という。

さて、彼はこれから受ける面接で、このことを正直に打ち明かすべきだろうか? 面接を受ける企業は、彼のそのような信念を受け入れてくれるのだろうか? そもそも、社会的責務という意識を貫くことは、この現実社会の中で果たして自分の得になりうるのだろうか?

この質問に対して、私はこう答えた。そのときに考えるべき重要なことは、自分のキャリアにとって何が有利か、ということではなく、自分のアイデンティティーとは何か、つまり自分が何者でありどんな信念を持っているか、である、と。

もし君が、違法行為をしても構わない、とか、人々の人権を侵害しようが構わない、というような職場環境の中で仕事をすることを余儀なくされるのであれば、君は結局、自分自身に対するコントロールを失ってしまうことになる。すべての価値には値段が付けられているが、もし君が、人生における最も基本的な価値まで売り渡してしまうのであれば、自分自身に対する尊厳を失うことになるのだ

今まで君が自分の魂を売るようなことを避けてきたのであれば、なぜ今、敢えてそれをする必要があるのか? 君にはまだ将来があるのだよ。魂を売ってしまうのではなく、倫理意識を重視する君のアイデンティティーを一つの資質として企業に売り込んでみてはどうか。君のような社員がいれば、その企業は将来スキャンダルで告発され、テレビの前で謝罪するという恥をかく必要がなくなるだろうに。

哲学者チャールズ・テーラーは次のように述べている。「自分や周りの人たちが、自然の限界や助けを必要とする他人の声、創造主の作った法則などといった事柄が私たちの人生に対して持っている決定的な意味を忘れて、目先の利益や自己中心的な振る舞いに走ったり、自分は何でもできるといった思い込みを持ったりするならば、私たちが自分自身に対して抱いているイメージは卑小なものになってしまう。人生とは、他者と手を携えることによって、目先の些細なことを超えた真の重要性を持つ何か、例えば、世の中を良くする、とか、貧困を撲滅する、とかといったもの追求することであるべきだと考える。」と。

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