意外と記憶に残っているもの一つが無駄話。
それが、先々貴重な意味を持つこともある。
今から二十年以上昔、中央競馬会在宅投票システム「PAT」の試験運用の為、後楽園球場(東京ドーム)横のJRAの電算センター(外からはそれと判らない様にひっそりと建っていたが、セキュリティが軍施設並みに、めちゃめちゃ厳しかった)に、農林水産省のキャリア官僚、JRAの役員、任天堂・NEC・富士通の各社のエンジニアと一緒に、なぜかNTTから分離独立したばかりのNTTDATAのバッジを付けて詰めていた事がある。
しかし、40万人が一時に接続する日本史上初の大規模賭博電子システム(当時はインターネットが普及する以前)で、何が起きるか判らないと、競馬開催中は毎週の様に一日中缶詰にされた。
ひたすらに永い時間が流れると、だんだんと差し障りの無い話題が無くなって、其々が、話のネタを振る無駄話に華を咲かせるようになった。
その時、暇つぶしにお話をうかがったのが、当時任天堂開発部の課長だった上村雅之さん。ファミコンの開発者にして名付け親。今の私と同じぐらいのお歳だった。
ライバルだが、同じファミコン用端末機のメーカーの人間ということもあって、ファミコン開発に至るまでの様々なお話を何時間もお聞きした。
話していて、任天堂の技術者は謙虚で紳士なんだなぁと思った。
今日、ネットの記事で久方ぶりに上村さんのお元気な姿を見て、当時のことを思い出して懐かしくなった。
今思うと、非常に貴重な経験をさせていただいたものだと思う。