上海で日本語を話している中国の若者達

中国人に囲まれて日本語で通していく日常の出来事を書き綴っています。

無駄話

2013年04月27日 | 日記

意外と記憶に残っているもの一つが無駄話。

それが、先々貴重な意味を持つこともある。

今から二十年以上昔、中央競馬会在宅投票システム「PAT」の試験運用の為、後楽園球場(東京ドーム)横のJRAの電算センター(外からはそれと判らない様にひっそりと建っていたが、セキュリティが軍施設並みに、めちゃめちゃ厳しかった)に、農林水産省のキャリア官僚、JRAの役員、任天堂・NEC・富士通の各社のエンジニアと一緒に、なぜかNTTから分離独立したばかりのNTTDATAのバッジを付けて詰めていた事がある。
しかし、40万人が一時に接続する日本史上初の大規模賭博電子システム(当時はインターネットが普及する以前)で、何が起きるか判らないと、競馬開催中は毎週の様に一日中缶詰にされた。
ひたすらに永い時間が流れると、だんだんと差し障りの無い話題が無くなって、其々が、話のネタを振る無駄話に華を咲かせるようになった。
その時、暇つぶしにお話をうかがったのが、当時任天堂開発部の課長だった上村雅之さん。ファミコンの開発者にして名付け親。今の私と同じぐらいのお歳だった。
ライバルだが、同じファミコン用端末機のメーカーの人間ということもあって、ファミコン開発に至るまでの様々なお話を何時間もお聞きした。
話していて、任天堂の技術者は謙虚で紳士なんだなぁと思った。


今日、ネットの記事で久方ぶりに上村さんのお元気な姿を見て、当時のことを思い出して懐かしくなった。
今思うと、非常に貴重な経験をさせていただいたものだと思う。


京濾高鉄で北京

2013年04月27日 | 日記

今回は飛行機を使わず、上海⇔北京を高速鉄道で出張。

 


北京の街が意外ほど空気が汚れていなくて、せっかく用意したPM2.5用のマスクの出番が無くてがっかり。
お客様が王府井界隈だったので、夕食時に少し散策。

 


ここは数年前と変わっていません。


夕食は老舗羊肉鍋屋で。

 


王府井に面した目抜き通り店なのに地元民の家族連れが多く、リーズナブルで美味しいお店でした。

帰りは2ブロック先の地下鉄駅まで天安門前をブラブラと。

 



フランスの大統領が来ていた様で、天安門広場にはフランス国旗が掲げられていました。

上海に戻ると、駆け込むように合点承知之助にGO。

 


美味しい鮪が迎えてくれました。
(これ、赤身なのですが、ほとんど中トロですね。採算取れてますか~。)

北京には、まだ進出していない合点寿司。
日系コンビにも観掛けず、私にとって北京は、まだまだ出張先にしか過ぎなさそうです。