『今日の出来心』

シンガーソングライター&作詞家“久保田洋司”の365日書き下ろし公開日記です
since 2000.3.7

2010年11月30日(火)

2010年11月30日 00時00分01秒 | Weblog
新作「トナカイ」、
いよいよ明日12月1日発売です。

同時発売のアナログレコードの「トナカイ」が、
一足先に、うちに届きました。

ターンテーブルも二十数年ぶりに手に入れて、
早速、針を落として、楽しんでます。
聞く楽しみが、ありますね。

しまいこんでた古いレコードも、
出してきて、嬉しく、聞いてます。

新作「トナカイ」、どうぞよろしく。
詳しくは、こちら

洋司

2010年11月29日(月)

2010年11月29日 00時00分01秒 | Weblog
その方の友人は、ギタリスト。

一緒に、部屋にいて、そのギタリスト、
黙ってるなぁ、と思うと、だいたい、
ギターを見ている、と。

なんで、ギターを見ているのかと問えば、
指盤を押さえているところを想像しながら、
曲を作ってる、と。

ギターは、だいたい、キーによって、
スケールの押さえるところが決まるから、
弾くときも、そのポジションを頼りにすることが、
よくある。

ブルーノートみたいな、ペンタトニック、
いわゆる、5音で出来てるスケールなんかも、
いくつかのポジションを覚えておけば、
アドリブソロなんかに、非常に役立つのである。

僕も、そのへんは、だいぶ練習したことがある。

どちらかというと、僕なんかは、
ヤマハとかシンコーミュージック系の教則本で、
練習した。

加納順くんは、たぶん、もっと、独学系だから、
僕なんかとは、ポジショニングが違うんだろうと思う。
The東南西北の加納くんのソロを、コピーしようとすると、
なんだかいつも、難しい。

僕と加納くんは、
竜童組のギターの永井充男先生から、
デビュー当時、直接、
スケールについて指導を受けていた。

ちょっと高度で、僕も加納くんも、
あまり身につかなかったのであった。

12月18日にむけて、練習中である。

大池くんや清水くんから、時々誉められるのが嬉しい。
でも、油断すると、本番で、いけないことになるので、
何度も何度も、練習しているのであった。

洋司

2010年11月28日(日)

2010年11月28日 00時00分01秒 | Weblog
中学生のころに、毎日、
ギターを弾きながら歌っていたレパートリーの中に、
ビートルズの、
「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」
があった。

当時、広島市内で、弾き語りコンテストがあり、
僕も出て、その曲も含めて、2曲ぐらい歌って、
初めて、賞をもらったことがあったのであった。

何十人も出ていて、
賞をもらったのは、僕を含めて、
3~4人ぐらいだったと思うけど。

前にも書いたような気がするが、
尾道から、中学生が、ギターを持って、
広島市内に、歌を歌いにくれば、
それだけで、特別賞なのであった。

そのころ、たまたま福山で、
「レット・イット・ビー」の映画をやっていて、見て、
ポール・マッカートニーがピアノで、
この曲を歌っていると知り、
僕も、真似して、ピアノで歌うことになったので、
それ以来、この曲を、ギターでは、
歌ったことがなかったと思うのである。

来月の尾道でのThe東南西北では、
アフターショーパーティーがあり、
そこでは、たぶん、また、
ビートルズのコピーバンド時代の、
The東南西北になるので、
いろいろ選曲をし、「ザ・ロング・アンド~」も、
中学生ぶりに、ギターで、弾いてみているのであった。

高校生のThe東南西北のころは、
ピアノで弾いていたけど、今回は、ギターである。

あの曲のジョンの、ベースが好きである。
フェンダーの6弦ベースで、1拍弾いたら休む、みたいな、
弾き方である。
10年ぐらい前か、
僕の「銀のスプーン」って曲の録音のときは、
そのようにしてベースを弾いた覚えがある。

ベースの鳴ってるときもいいが、
鳴ってないときの、シーンとするような緊張感なのか、
あれが、好きである。

とにかく、中学生のころは、全部、丸覚えしていたものを、
すっかり忘れていて、また、コピーをしなおして、
あれ、こんなコード押さえてたかな、みたいな。
で、ごそごそするうちに、突然、
記憶が繋がることがあるのである。
おぉ、押さえてた押さえてた、と。

忘れてしまっても、忘れはしないよ、脳のどこかが。
である。

洋司

2010年11月27日(土)

2010年11月27日 00時00分01秒 | Weblog
三崎の藤沢さんからメールが届きました。

本日、11月27日から、12月12日まで、
三崎西銀座「貝がらホール」で、
椙山良作短歌展、開催と。

詳細は藤沢さんのブログをご覧ください。
こちら

椙山良作さんの歌集を、
僕は、昨年、藤沢さんからお借りし、
それが、すごく良くて、
その後も、藤沢さんと、何度も
椙山さんの短歌の話で、盛り上がりました。

何気ない日常の、そこに、例えば、老いることで、
見えてくる、独特の風景を、本当に上手に、切り取られ、
喜びや、寂しさや、ありがたさや、
なにか、きらりと、人生の、生きてきたという、
きらめきが、あるんです。

とってもいいですよ。

今日は、藤沢さんが「監督」をされている、
「かもめ児童合唱団」の「空き地ライブ!」も、
「サトウ薬局駐車場」で14時から、あるそうです。

いいなぁ。

ちょっとうずうずしてきました。

洋司

2010年11月26日(金)

2010年11月26日 00時00分01秒 | Weblog
昨日は、万葉集の講座。
昨日も、素晴しいお話をお聞きでき、
新しい気持ちになりました。

日本人がごく自然に持っている季節感が、
どのあたりで形成されたのか、
ということが、歌を通して、わかってくる、と。

月といえば秋、という固定観念が、
万葉の時代には、まだなくて、
春の月も、普通に、歌に詠まれます。

月の光というものが、奈良朝のころになると、
美的に歌われるようになりますが、
それ以前、月の光は、
生活に必要な、実用的なものです。

月も星もない夜は、漆黒の闇。
現代人は、経験しにくいことですが、
真っ暗な闇では、出かけられません。
月の光がないと。

巻十では、
霞の向こうに照っているはずの月。
春になって葉が茂り、
その木陰のせいでぼんやりとしか照らない月。
まだ、見えない月。
そういうものが歌われましたが、
平安になると、春の月は、
歌にするには値しない、と切り捨てられていきます。

それで、月といえば、秋という季節感が、
だんだん、日本人に、定着していく。

野遊びについての歌。
万葉のころの、背後に民間の習俗を背負った、
官人の野遊び、というお話が面白いところでした。

奈良時代の官人は、朝早くから公の仕事をし、
昼からは、自分の土地の管理などの仕事をし、
とっても忙しかったようで、そんな中、
春の野での宴は、本当に楽しみなものだったと。

それに比べて、平安後期、鎌倉になると、もう、
武士の世の中。
朝廷の人々は実権を持たなくなり、
掛け値なく、暇。

桜をかざしにして、一日を過ごしている。

春の物憂い感じ。

万葉では、もっと、元気な感じがある、と。

万葉集から、元気をもらえる気がするのは、
そこに、生きていくということの、力強さがあり、
自然の生命力があり、
そういうものが、生き生きと輝いているからでしょうか。

また、生命力をもらいました。

洋司