『今日の出来心』

シンガーソングライター&作詞家“久保田洋司”の365日書き下ろし公開日記です
since 2000.3.7

2008年6月30日(月)

2008年06月30日 00時00分01秒 | Weblog
「ジャバジャバ・ジビジビ・ジュブジュブ」、「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ」。前者は「大雲経」の、後者は薬師如来に呼びかけて守護を願うときの真言である。聞いたことがある方もおられるかも。僕も「オン・コロコロ~」はテレビの、薬師寺のことを扱った番組で、聞いた気がする。歯が痛くなったときなどに、「アブラウンケンソワカ」っていうおまじない、聞いたことがある方もおられるかも。あれは「オン・ア・ビ・ラ・ウン・ケン・ソワカ」っていう「陀羅尼(だらに)」が元になっているそう。そういうの、近所のおばあさんや、親戚のおじさん、なんかが知ってるというのが、面白い気がするのであるが。それらは、元はサンスクリット語であるが、サンスクリット語にしても、意味がはっきりしない言葉だそうで、意味がわかんなくても、もう、とにかく唱えるもののようである。インドの昔の修行者が、経典の暗記のために、短い詩のような形にして、唱えていたのが始まりともいわれる。仏教の始まったころは、不思議な力をもつそれらの呪文は、禁止されたそうであるが、後の大乗仏教では、おおいに取り入れられることになった。お経そのものが、そのようなものでもあるし、膨大な量の経典を一発で暗記できるようにと、空海なんかが、必死で唱えた真言も、それである。言霊信仰にも通じるところもあるが、前に書いた、万葉集の挽歌などの、死の敬避表現なども、言葉そのものの不思議な力のためである。言えば「痛いの痛いの飛んでけ~」とか「ありがとう」「お疲れ様」とか、「頑張る」というのも、「我(が)に張る」の変化というけれど、意味など考えない。頑張ると言えば、頑張るし、頑張ろう、と言えば、頑張ろう、となる。いろんな言葉で、我々、励まされたりしているのである。

洋司

2008年6月29日(日)

2008年06月29日 00時00分01秒 | Weblog
顛倒夢想(てんどうむそう)。般若心経に出てくる、物事をさかさまにとらえ、妄想に悩まされる、というようなこと、なのである。ある、般若心経をやさしく解説してくれる本に、「まじめ」に「正直」に暮らせることが、そのまま幸福なのであり「功徳」なのです、と。「功徳」というものを「善行をつんだ報い」あるいは「善行に対する見返り」と考えないようにしましょう。「善行」そのものが「功徳」なのですよ、と。我々、つい、これだけ頑張ったのだから、いいことあるよ、と思うものであるが、頑張れること自体が、幸福だということである。そういえば、そんなことを、祖母が言っていたような気がするのである。

洋司

2008年6月28日(土)

2008年06月28日 00時00分01秒 | Weblog
古代の日本人にとって、一日の始まりは、朝ではなくて、日没だったという。始まりという感覚も、また違ったものかもしれない。今の我々とは、まったく違った感覚で暮らしていたのだろうけれど、それでも、僕たちは、その頃から変わらぬ、日本人の持っている、独特の感じ方を、体のどこかが、覚えているような気がするのである。個人的な趣味であるが、僕はそういうものを、とても愛おしく感じるのである。死者は、山奥深くにある、別の世界に、暮らしていると信じられていて、死んだ人を探して、山の中へ入っていく、というような話や歌も、多いのである。万葉集の巻七に挽歌が、いくつか収められている。どれも良くて、じーんとするのである。一四〇九「秋山の 黄葉(もみち)あはれと うらぶれて 入りにし妹(いも)は 待てど来まさず」 じーんとする、ぐらいしか言えないのであるが。

洋司

2008年6月27日(金)

2008年06月27日 00時00分01秒 | Weblog
傘を差している時に、雨が上がる。歩いている人たちが次第に傘を閉じはじめたり、通り過ぎる車がワイパーを動かしていなかったり、水たまりが静かに澄んでいたり、鳥が鳴いたり。それらを見聞きし、傘を閉じてもいいかと思う。いろいろ思っているあいだに、目的地に到着してしまうか、もうちょっとで到着するかという時など、雨は上がっているのに、傘を差しているということは、ある。雨の線路の高架下などをくぐる時、傘を差したまま通る。雨の降っていないところで、雨傘を差すというのと、雨が降っているのに、手に持っている雨傘を差さずに歩いているというのと、シュールで、ファンタジックな、世界の人々であろうか。

洋司