コメントありがとうございます。
いまこさん、ちょうど話題にしたことが、テレビで取り上げられると、楽しいですね。
というわけで、久保田洋司、昨日、万葉集の講座に出かければ、通りかかった場所が一面の落ち葉。
朝の光に照り映えて、青空とともに、とってもきれいだったので、写真に。
講座は、巻十二、物に寄せて思いを陳べる歌が続いています。
霧に寄せる恋の歌。
我妹子に 恋ひすべながり 胸を熱み 朝戸開くれば 見ゆる霧かも 【万葉集巻十二 3034】
訳)あの娘が 恋しくてたまらず 胸が燃えるように熱くて 朝戸を開けると 見える嘆きの霧よ
「胸熱」という言葉、ちょっと前によく聞きましたし、
胸が熱い、など、普通に使う言葉ですが、
万葉集のころは、目新しい表現だったようです。
中国唐代の小説「遊仙窟」に、「腸熱きこと焼くが如し」「心肝熱し」という表現があって、
そこから来てるんだろう、と。
遣唐使が持ち帰る、唐の書物を、当時の日本の官人たちは、教養として、よく読んだんですね。
社交のために必要だったのかもしれませんが、
新しい表現と出会うことは、とっても感動的で、刺激的だったかもしれませんね。
朝戸、というのは、男が、夜のあいだに訪れていた女のもとを去るときに開ける戸、
というような意味の言葉として定着していたそう。
それで、霧ですが、
当時は、自分の嘆きは、ため息になり、それが霧になる、と考えられていました。
息や言葉が、雲になる、というような歌もあります。
単に、朝、戸を開けたら、霧だった、という歌ではなくて、
この女を恋しくてたまらない男の、気持ちいっぱいの歌なんですね。
「恋ひすべなかり」の「かり」には、万葉仮名で「鴈」の字があててあります。
これは、「がり」と読むか「かり」と読むか。
「がり」なら、~したがるの「がる」。
「かり」なら、四段動詞につく助動詞。~くあり、がつまった形。
恋ひすべながり、でも、恋ひすべなかり、でも、結局、
意味は、恋しくてしかたがない、ということになります。
一つの歌でも、これくらいの説明は、普通にありまして、
それを、とってもわかりやすく教えてくださるんですから、本当に、楽しいんです。
何年か前に、別の講座にも、平行して通ってたんですが、
そっちは、100人くらいの受講者がいて、規模が大きく、
歌の意味だけを、さっと解説して、次々、進むような内容でしたから、
なかなか、ついていけなくて、通う距離や時間帯も、難しく、
一期で、やめてしまいました。
万葉集に興味があっても、自分で本を読むだけでは、
あまり、わからないし、講座があっても、自分にあわなければ、
やはり、続かないし、そういう意味でも、今、通ってるところは、
近く、易しく、丁寧で、本当に、良かったな、と思ってます。
おまけに、先生と誕生日が同じ、というご縁も感じています。
巻二十の4516番歌まで、まだまだと思うか、もう少しと思うか。
教わったことも、けっこう忘れながら、通り過ぎます。
でも、一つ一つの感動を、大事に、楽しみに通いたいと思います。
さ、松村雄基さんのライブやディナーショー、
モーメント・クリスマスセッションのリハーサルも近づいてきて、
個人練習や譜面書きが、真夜中まで、かかります。
毎日、ものすごく練習してるのは、12月8日、神戸チキンジョージで開催の、
「レノンナイト」の「ネタ」。
真剣です。
がんばろう。
素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司