『今日の出来心』

シンガーソングライター&作詞家“久保田洋司”の365日書き下ろし公開日記です
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2008年11月30日(日)

2008年11月30日 00時00分01秒 | Weblog
ジョギングしているコースの、
ちょっとした土手の雑草が、
また刈られていたのである。

夏に刈られていたときには、
むんむんとむせるような、草の匂いがしたものであるが、
さすがに、この季節では、その匂いも、だいぶ薄いのである。

先日、田舎から届いた、白菜やら、パセリやら、
名前は知らないけれど、青々とした、小さな葉の植物、
それらの、濃い緑の味が、僕は好きである。
特に、パセリは、好物である。

猿が、木の実やら、
木の皮をはいで、
食っているささくれるような感覚より、
牛や羊などの草食動物が、
草を食む、その時の、気持ちよさ、
みたいなもののほうが、
身近に想像できる。

子供の頃に、8ミリカメラで写してもらった、
僕が、豆菓子を食べる姿、
ちょうど、松の木の幹に、寄り添って、
やや背中向きに、豆の皮をむきながら口に運ぶ姿が、
思いがけず、お猿さんにそっくりであったので、
なにか、未知の生物を見たような、戦慄さえ覚えながらも、
自分と、類人猿のつながりを、
一気に近距離に感じたことであったが、
それよりも、今は、
草食の動物の食に、
親近感を覚えるような気がするのである。

猿に似たおじいさん。
山羊に似たおじいさん。

洋司

2008年11月29日(土)

2008年11月29日 00時00分01秒 | Weblog
お酒は、普段、基本的には、
全く飲まないけれど、

酢は、ずっと飲んでいるのである。
主に黒酢。

ハチミツが入ったものとか、
フルーツのものとか、
もろみ酢とか、
試してみるのであるが、
このところは、ただの黒酢である。
水で、だいぶ薄めるけれど、
なかなか酸っぱい。

二十年ほど前に、妹や従妹と暮らしていたときに、
ダイエットに、美容にと、
従妹が言い出したのだったか、
黒大豆を黒酢に漬け込んだものを、
毎日、食べたり飲んだりしていたのである。

僕も、それに参加したのであるが、
あれは、だいぶ、不味かった。
あんまり、続かなくて、
だれも食べなくなった黒いものが、
ビンの中に、よく漬かって、
しばらくあったような。

それに比べたら、
酢を、飲むのは、
意外と、続いていて、
たぶん、健康にも、
いいような、気がしている。

一時期は、カプセルやタブレットになった、
もろみ、とか、黒酢を、しばらく飲んでいたが、
これ、味もせず、クスリみたいな気分になって、
健康なのだか、なんだか、
ちょっと、変な感じであった。

やっぱり、これが酸っぱいんだ、
と思いながら、飲むのがいいようである。

辛酸をなめる、ではないが、
何かに似ているような気がする。

洋司

2008年11月28日(金)

2008年11月28日 00時00分01秒 | Weblog
飼っていたフェレットがいなくなった、
という張り紙を見たのである。

イタチ科の動物である。

ジョギング中に、よく、それらしき動物を目撃していたことを、
ここに書いていた。

それかもしれない、と思ったのであるが、
いなくなったのは、10月のはじめごろらしく、
僕が目撃をしていたのは、
もっと前のことである。

少なくとも、二匹のフェレットが、
この近辺、
屋外に、
生息していることになる。

もし、それらが雌雄で、
ある日、出会って、
家族が増えるとなると、

ますます、
僕と出会う可能性も、
増えるではないか。

しかし、調べてみると、
現実には、フェレットは、
ペットとして飼えるように、
去勢・不妊、臭腺の除去手術等、
人の手が加えられていることが、ほとんどのようである。

また、
そうした手術をしていないものを、
知らずに入手して、
飼いきれなくなって、
などということもあるらしい。

これからは寒くなろう。
どこかに、穴でも掘って、
温かくしていればいいけれど。

洋司

2008年11月27日(木)

2008年11月27日 00時00分01秒 | Weblog
万葉集の講座で、朝から出かけたのである。

今は、巻八の、夏の雑歌を勉強中。
(僕は、今年の夏ごろからの、途中参加なのであるが、
講座はこれまですでに8年、巻一からずっと続いているのである。)

こんな寒い日に、ほととぎすもないもんですね、と
先生も笑って話される。

万葉集の歌を、一首ずつ丁寧に、また、
関連することがら、例えば、中国の詩や、当時の生活、様々な説なども、
教えていただける。

万葉集の丈夫(ますらお)ぶりにたいして、
古今和歌集の手弱女(たおやめ)ぶり、
古今集は、持って回った、観念的ないいかたをするという、
このお話が面白かった。

古今集の歌人たちは、
万葉集の、悲しい、嬉しい、を生(なま)のまま言うのがいやで、
そういうことを、言わないで、表現するのが、プライドであった等々。
万葉集は、平安時代の人たちの感性には、
合わなかった、ということである。

素朴で、古臭いものに、感じたのかもしれない。

大伴家持の歌は、季節を暦法で切って歌うなど、
古今集っぽいものがあるというけれど、
古今集の、足元にも及ばないのだと。

そんなお話を聞いているだけで、体の中がじわーっとするほど、
楽しいのであった。

洋司

2008年11月26日(水)

2008年11月26日 00時00分01秒 | Weblog
水曜日なので、
「万葉集~ココロ・ニ・マド・ヲ~」、
新しい歌が、更新されたのである。

人の噂がうるさいので、
朝の川を渡る、
という、
今の時代に考えると、
なんのことやらわからないのであるが、
そこは、是非、
「万葉集~ココロ・ニ・マド・ヲ~」のサイトか、
iTunesのPodcastで、
解説も聞いていただけると、
そういうことか、とお分かりいただけると思う。

但馬皇女(たじまのひめみこ)。
まわりから、いろいろ言われても、
のちの世まで残る歌を作るのである。

ブリトニー、
と書くと、まったく、
この場に、似合わないことであるが、
ブリトニー、
驚異的な復活、とどこかの国で、
表彰されたそうである。

マドンナのステージにブリトニーが登場するシーンを、
めざましテレビで見たが、
ステージで、なにをしているわけでもないのに、
いろいろを越えたせいか、
あのマドンナより、すごく見えた。

あれこれ言われても、がんばる、というのは、
相当に、つらいことであろうと思う。
もし、そういう場面におられる方、
思い切って言ってしまうが、
「ゆめゆめ」を聞いたり、
「万葉集~」を聞いたりして、
少しでも、和んでいただけたら、と
思うのである。

洋司