『今日の出来心』

シンガーソングライター&作詞家“久保田洋司”の365日書き下ろし公開日記です
since 2000.3.7

2006年2月28日(火)

2006年02月28日 00時00分01秒 | Weblog
「国家の品格」、読んでみたらとっても良かった。僕もずっとそう思ってたと感じるところがいっぱいあって、うれしかった。自分で言おうとすると、言葉足らずで、なんだかいつも否定されたようなことだったからである。もっと本読まなきゃと思った。葉隠や新渡戸稲造の武士道のことも出てきたし、ビートルズのことも。
武士道といえば、松本隆さんのホームページの対談のコーナーで、松本さんも、武士道とおっしゃってて、ま、これはたまたまかもしれないけど、うれしかった。
関係ないけど、小泉首相が、「あんなことで入院なら、私は毎日入院だ」と言ったのがよかった。つい、なんでもいいほうに考えてしまうけど、これはこれで、いいと思う。

洋司

2006年2月27日(月)

2006年02月27日 00時00分01秒 | Weblog
ある方のホームページの日記に、石巻。
ホテルを出て、路地から路地を歩かれ、「鮮魚店の前を通り過ぎて後戻りした」と書いておられる。何気ないようで、じわっとさせていただける一行であった。店前の、かごに、ごっそりの、毛がにの写真。昨日、ここに、毛ガニさんのことを少し書いたので、なんだか、偶然でうれしい。

このごろ、港がいいんだよね、とキャプテンストライダムの永友君に言ったら、すごい共感してくれて、これも、うれしかった。ほかでは、え?と言われたりするからである。
キャプテン~といえば、彼らの108日間限定サイト「一〇八町夢日記(ぴゃくやちょうゆめにっき)」の、ブログで、ベースの梅田君が、味噌汁について書いていた。今では自分で作るほど、こだわりもあるようで、梅田家の味噌を味わってみたい気持ちにさせられる。そういえは、伊豆の合宿レコーディングの時、梅田君が朝食を用意してくれた。ドラムの菊住君は、風呂担当だった。いいお湯であった。

味噌汁にもどると、僕が、味噌汁を美味いと思うようになったのは、お酒を飲むようになってからだと思う。シジミ汁など、お酒を飲んだあとの体には、特にいいとか聞いたことがある。僕は、お酒は年に数えるほどしか飲まないんだけど。知人は、毎日飲む缶ビールはお酒のうちに入らないと、言っていた。僕の言うお酒は、缶ビールは相当なお酒である。

よく飲む人は皆さん、味噌汁が大好きという。そういえば、自動販売機で缶の味噌汁を売ってるのを見たことがある。お酒が好きな知人が、買っていた。お酒のあとの味噌汁が美味いとわかった時、外国では、どうしてるのだろうと思ったものである。コンソメスープなんかも、まぁまぁだけど。

洋司

2006年2月26日(日)

2006年02月26日 00時00分01秒 | Weblog
「2月26日にはささやかな二人の絆」という歌詞に触れたときには、びっくりしたものである。サザンオールスターズの1981年のアルバム「ステレオ太陽族」の中の「素顔で踊らせて」という曲である。「あのころオレは15歳」って、ジブラの曲にあるが、そのころ僕はまさに15歳で、このアルバムを聞いて青春を送っていたのである。

シンコーミュージックから出ている「アルバム新譜シリーズ」の「全曲集ギター弾き語り」の譜面も買って、もちろん弾いて歌っていたのであるが、この楽譜集、リード・ギターのタブ譜もついていたり、メンバー一人一人の、このアルバムのレコーディングの感想やら、曲への思い入れやらのコメントが出てたり、桑田さんの、全曲のマニアックな「演奏解説」が4ページにもわたってあり、さらに編集者の曲解説もあり、ライブ中のメンバーの写真などもとってもよくって、大好きな本である。桑田さんの解説など、「キラーストリート」のより、ずっと良かったりして。

「けだるく歌ってみると雰囲気が出ると思います」とか「初恋の人のことでも考えて口ずさんでみたらどうでしょうね」とか、中3の僕は、わくわくしながら読んだものである。「素顔で踊らせて」のところなど見ると、「(前略)ラテンのボンゴとかCPなんていうのがフューチャーされてるわけなんですけれども、結局、これね、四部構成っていうのかな、ぼくたち、メロ、ワビ、サビとか言ってるんですけれども(後略)」って感じ。「ラッパとおじさん」って曲では、「ちなみにサイド・ギターは桑田クンです。あれはとってもうまいですね」とご自分で。歌中で聞かれる、クラプトンっぽい、リフみたいな感じのギターのことである。この曲、1コーラス目のあとイントロに戻る一瞬の間が、中学生の頃から不思議で、毛ガニさんにお会いした時、お聞きしたことがある。あの間の意味はどういうことですかと。毛ガニさん「そうだっけ?」と。僕があとで思ったのは、イントロから1コーラスが終わるまでのベイシックのテイクを2コーラス目にそのままもう一度つないで使っている。そのテープのつなぎのタイミングが微妙に拍からずれているだけのことであろう。しかし、非常に微妙で、好きな間である。桑田さんが、ヤマハの、たしかSJ800という、エレキギターを弾いている写真も載っている。ストラトとテレキャスの間の子みたいな面白いギターで、僕など、当時欲しいと思ったギターである。

長くなった。

洋司

2006年2月25日(土)

2006年02月25日 00時00分01秒 | Weblog
新渡戸稲造の「武士道」に、「サムライ」の起源について、西洋人にわかるように解説してある

「彼らは特権的な階級であって、元来はその地位を戦闘によってあがなった、荒々しい性格の持ち主であったにちがいない」。「(前略)長い年月にわたり絶え間なくつづいた戦乱の世にあって、もっとも男らしく、かつもっとも勇猛な人びとの間からごく自然にえりぬかれた者であった。その時代の選別の過程を通じて、臆病な者、ひよわな者たちは、自然にとり除かれた(後略)」。「戦闘におけるフェア・プレイ。この野蛮さと児戯めいた原始的な感覚のうちに、なんと豊かな倫理の萌芽(後略)」。

思うに、たんに、臆病な、ひよわな者だけでなく、フェア・プレイのできないものは、除かれていった時期があったはずで、そのあたりが、ずっと興味である。そして、葉隠には、その時どうするか、というようなことが、きっちり書かれている。

三島の小説をずっと読んでいたら、いつの間にか、知っている考え方であると思うが、三島本人の行動はどうあれ、僕などは、大好きなものだと思っている。

洋司

2006年2月24日(金)

2006年02月24日 00時00分01秒 | Weblog
葉隠によると、江戸時代、世も太平のころになると、いわゆる男の女化が見られたそうである。お化粧をしたり、花の模様の着物を着たり、刀の鍔の装飾に凝ったり、ま、ちょっとなよっとしたお侍が多く出たそうである。昭和30~40年代も似たようなことだと、三島は書いている。松本隆さんは、80年代に、なよっとした男が多いので逆に男っぽい詞を書いたとおっしゃってた。

戦国時代には、男とか女とか言ってる場合でもないこともあったり、様々な制度もあやふやだったりとかで、男女は対等だったそうである。今の僕らから見ると、男みたいな女だらけだったのかもしれない。男だって、ことさらに男っぽいということも、もしかするとなかったのかもしれない。なにしろ、お前は男の子だから、強くなけりゃ、おなたは女の子ですから、やさしくなければ、などと育てるのは、ほおっておいたら、男は弱弱に、女は強強に育っちゃうからだ、などという話も聞く。

男の匂いぷんぷんとは、いつの頃の男のことを思うか、といえば、僕らは昭和30年~40年代だったり、お侍だったりを想像する。そこにそういう男らがいたのも本当だろうと思うのである。女っぽいのがいるから、男臭いのが目立ったということかもしれない。

それが、現在どうか、と見てみると、女っぽくする男は、けっこういて、逆にそういう人から、男の匂う感じを受けることがある。男臭いっていうのとは、ちょっと違うかもしれない。女にしても、自分のことをオレなどという女子を見かけることがある。どこかちょっと、戦国時代なのかもしれないと、思うところである。

洋司