『今日の出来心』

シンガーソングライター&作詞家“久保田洋司”の365日書き下ろし公開日記です
since 2000.3.7

2011年4月30日(土)

2011年04月30日 00時00分01秒 | Weblog
「メール」を、「ネズミ」と同じアクセントで発音することにも、
だいぶ、慣れました。

元々のアクセントで言うほうが、
少なくなったかも、と言うか、
元々、あんまり、メールなんて言わなかったかも、
しれません。
元々のアクセントなら、「イノチ」と同じ感じかな。

それにしても、「ネズミ」「イノチ」とは。

僕が、中学の時から使っている三省堂の、
「新明解国語辞典」の、
付表、「東京アクセントの型の一覧表」に、
代表例として、あげられている単語です。

そういう言葉の選択が、面白いところでもあります。

「ネズミ」じゃなくても、「望み」でもいいわけですが、
「ネズミ」を選んでるところが、かわいいところです。

「ネズミ」と「望み」は、同じアクセント。
「ひかり」も、アクセントそのものは、同じですが、
そのあとに、助詞が、高くつくか低くつくかの、
違いがあります。

「メールの~」というのと、「ネズミの~」
というのは、「の~」が高くつきますが。
「ひかりの~」の「の~」は、低くつくという感じ。

「ネズミ」があって、いきなり「イノチ」って、
深刻な感じがするのも、素敵なところ。

そこは、「ゴリラ」とか「パンダ」でも、いいですよ。
「洋司」も、普通に発音すれば、この仲間。
ただ、尾道の父などが「洋司」と言う場合は、
「together」と同じ。
辞書では、「心」とか「境」とかと同じですが。

本日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。

洋司

2011年4月29日(金)

2011年04月29日 00時00分01秒 | Weblog
昨日は、朝、万葉集の講座へ。
またまた、素晴しいお話をたっぷり。

巻十の夏の相聞、いわゆる恋の歌です。

巻十の1981
ほととぎす 来鳴く五月の 短夜も
ひとりし寝れば 明かしかねつも

(訳)
ほととぎすが来鳴く 五月の短夜でも 独りで寝ると、
明かしかねることよ

夜は短いのに、もんもんとして寝られず、
なかなか明けない、みたいな。

こういう感覚は、平安時代の人々にも、
共感されたみたいで、
参考に、「蜻蛉日記」のお話も、
聞かせていただきました。

独り寝る夜が、どんなに長いか、
あなたにはわかりますか? と。

「蜻蛉日記は、全編、女の愚痴」と、
先生、面白く話してくださいましたよ。

「蜻蛉~」の、この「独り寝」ですが、
そこには、物語が。

当時は、通い婚。多妻。
藤原兼家の、奥さんのうちで、
一番美人で、頭のいい女性が、作者。

だけど、この女性、プライドが高く、
自分から、甘えたり、すがったりしないタイプ。

最初は、喜んで通った兼家も、
この女性とは、だんだん、間遠くなる。

ある日、久しぶりに訪ねてきた兼家が、
何度、戸をたたいても、
プライドが高い、女性は、
いそいそ迎えたりせず、しかとを決め込む。
開けてもらえないので、兼家は帰ってしまう。
そのあとで、女性、
一時間開けなくても、外で待っていてほしかった、と。
それで、一人寝る夜が~、などと兼家に、歌を送った、と。

難しいですね。


昨日夜は、はっかいさんの民族音楽ユニット、
「シャルキィロマ」のライブに。

対バンの「R・O・M・A」は、
村松邦男さん、安部OHJIさんのバンド。

どちらも、それぞれで、とってもかっこよかったですよ。

僕は、予想外でしたが、「R・O・M・A」のステージに、
飛び入り参加。

一曲、コーラスを、
その場で教わって歌わせていただきました。

ステージ上での、バンドのグルーブ、
生の音楽の、直中にいる感じが、
とっても気持ちよかったんですよ。

MMRがゴールデンウイーク休暇で、この「今日の出来心」、
10日ぐらい、アップされませんから、
あとで、まとめて読んでいただくことになりますね。

その間、あんまり、長くならないように、
気をつけようと思います。

今日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。

洋司

2011年4月28日(木)

2011年04月28日 00時00分01秒 | Weblog
昨晩は、ある食事会に出かけました。

数ヶ月ぶりにお会いする方々と、
すでに懐かしく。

「あれ、少し、太られました?」と言っていただき、
そうかもしれなくて、ちょっと気をつけようかな、
と、あらためて思っているところです。

男同士の会話の中のそれは、
軽く流された、ほんの一瞬でしたが、
今朝になっても、こだまし続けています。

クリエイティブで、言葉や思いを大切にされる、
皆さんのお話、大変、素晴しく、楽しく、
聞かせていただきました。

深夜、雨は上がりかけ、でも、風が強い中を、
駅から歩いて帰りましたが、
その時間も、楽しいのでした。

本日は、
前にも、書きましたが、
はっかいさんの民族音楽ユニット
「シャルキィロマ」のライブが、錦糸町であります。
はっかいさんのブログに詳細があります。
こちら

錦糸町 PAPPY'Sで、R・O・M・Aとの対バン。
R・O・M・Aは、
The東南西北の多くの曲のアレンジや、
曲の共作もしていただいた、安倍OHJIさんや、
「君の名前を呼びたい」のアレンジをしてくださって、
昨年の伊藤銀次さんのバースデイライブで、ご一緒した、
シュガーベイブの村松邦男さんのバンド。

そして、僕、久保田洋司、といえば、
6月25日(土)、新宿ミノトール2にて、ライブ。
7月2日(土)、尾道ANDYにて、ライブ。
ANDYでは、ピアノに明日香さん、ベースに清水伸吾くんを、
お迎えしてのライブとなります。

詳細は、また、時々書きます。
どうぞよろしくお願いします。

本日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。

洋司

2011年4月27日(水)

2011年04月27日 00時00分01秒 | Weblog
今朝のレコードは、
「ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン」
1954年12月22日と24日のニューヨーク録音。

クリフォード・ブラウンは、
昨日書いた、サラ・ヴォーンのレコードでも、
トランペットを吹いてます。

全曲、クインシー・ジョーンズのアレンジ。

ヘレン・メリルの歌声は、しばしば、
「ニューヨークのため息」と評される、と。

1930年7月21日生まれ、と。

この録音の時は、24歳ですか。

14歳から、ジャスクラブで歌うようになったそうですから、
すでにキャリアは、10年なんですね。

ニューヨークは、僕が20歳ころに2週間ぐらい、
一人で行って、
ただ、コンサートやミュージカルを、
毎日見て過ごしたことがあるんですが、
すごすぎて、ま、言葉の問題もあって、
よくわからなかったという状態でした。

キャッツ
ビー・ハイブ
リトル・ショップ・オブ・ホラー
ママ・アイ・ウォント・トゥー・シング
スター・ライト・エクスプレスなどの、
当時流行ってた、大きめのミュージカルや、
オフ・オフ・ブロードウェイといわれる、
小さな劇場のものも、いくつか見、
コンサートは、これも当時人気の、
ハワード・ジョーンズ、
ブライアン・アダムス、
なんかが、
マジソンスクエアーガーデンでやってたので、
見ました。
ブライアン・アダムスの前座に、
ブレイク直前のフーターズが出てました。
エイドリアン・ブリューのベアーズも見たし、
ビリー・ジョエルも見たかな。
とにかく、テレビでよく見る人たちが、
次々、普通にコンサートしてるっていうのが、
なんか、すごいな、と思ったような。

やはり当時ヒットしてた人気の女性バンドで、
プリンスが曲書いてたりした、
バングルスも野外で見ました。
機材トラブルで、しばらく演奏中断して、
キーボードのおじさんが、
間をつないでた、みたいな。

あと、ロックバンドが次々出てるクラブとか、
ジャズクラブとかの小さいところにも、
いくつか行きました。
出てるバンドが皆、無茶苦茶上手くて、
さすが、ニューヨークでした。

偶然、サイズの松浦さん、
チャカさんもいらしたのかな、
マネージャーさん、
ソニーの今泉さん、
ダンサーの南流石さんたちと合流して、
ディスコにも行きました。

ダコタハウスにも行ったし、
セントラルパーク、リバティー島なども、
観光しました。
リバティー島に行こうとして乗ったフェリーが、
スタッテン島行きだったので、
思いがけない島に、着いてしまったり。

そんなこと書いてるうちに、
「ニューヨークのため息」のレコードは、
終わってて、
今は、マイルスの、
「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」。
それも、すでにB面。

コルトレーンのサックス・ソロが聞こえてます。

1961年のニューヨーク録音。

ふらっと尾道のあとは、
ふらっとニューヨークも、
いいな、などと。
遠出もだいぶ遠出ですが。

ま、「ため息」ってところで、
こちらも、デビュー曲、ため息の~、でしたもので。

マイナーコードね。
具体的には、曲のキーが、Amってことですけど。

ちょっと長くなりました。

本日も、素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌ってます。

洋司

2011年4月26日(火)

2011年04月26日 00時00分01秒 | Weblog
今朝は、サラ・ヴォーンのLPレコード、
「サラ・ヴォーン・ウィズ・クリフォード・ブラウン」
を、聞いてるところです。

1954年12月18日録音。

今、A面が終わったので、B面にするところ。

と、聞いてるあいだに、もう、B面の3曲目で、
と書いてるうちに、もう4曲目。

サラ・ヴォーンが、1924年の3月27日生まれ、
だそうで、だから、このレコード録音時は、
29歳かぁ。

ずっと年上の人が歌ってる感じですけど、
若いんですよね。

29歳ぐらいのラブ・ソングですから、
もう、だいぶ大人なラブ・ソングなわけです。

B面、終わってしまいました。

続けて取り出したのは、
エラ・フィッツジェラルドの
「ザ・ファースト・レディー・ソング」

1947年から55年ぐらいまでに、
録音されたものが収録されてるみたいです。

エラは、1917年4月25日生まれ。
やっぱり、30歳ぐらいまでの録音ですね。

今の僕からすると、15歳ぐらい年下の女の人が、
歌ってる歌に、もう、だいぶ、
連れてってもらってる感じです。

18歳で、上京して、事務所に、
30歳ぐらいの女の人が、
いらっしゃって、もう、とっても大人で、
こちらは、もうただ、小さくなるばかり、
みたいな感じでしたけどね。

桑田さんなんか、このあいだラジオで、
いつもの桑田さんの調子で、
彼女募集中、60歳までOKって、おっしゃってました。

桑田さんが、55歳ですから、5歳ぐらい年上なら、
60歳ですから、ま、普通のことでしょうか。

22歳ぐらいで、「女呼んでブギ」だった人が、
60歳ってところに、リスナー、感慨でしたけど、
僕など、45歳(正確には44歳)でも、
19歳のころに、「胸がきしむよ~」などといってた、
あの胸は、今も、変わらないような気がしますし。

万葉集も、ジャズのレコードも、
桑田さんも、久保田洋司も、
生命力で。

本日も素敵な一日でありますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。

洋司