『今日の出来心』

シンガーソングライター&作詞家“久保田洋司”の365日書き下ろし公開日記です
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2010年11月26日(金)

2010年11月26日 00時00分01秒 | Weblog
昨日は、万葉集の講座。
昨日も、素晴しいお話をお聞きでき、
新しい気持ちになりました。

日本人がごく自然に持っている季節感が、
どのあたりで形成されたのか、
ということが、歌を通して、わかってくる、と。

月といえば秋、という固定観念が、
万葉の時代には、まだなくて、
春の月も、普通に、歌に詠まれます。

月の光というものが、奈良朝のころになると、
美的に歌われるようになりますが、
それ以前、月の光は、
生活に必要な、実用的なものです。

月も星もない夜は、漆黒の闇。
現代人は、経験しにくいことですが、
真っ暗な闇では、出かけられません。
月の光がないと。

巻十では、
霞の向こうに照っているはずの月。
春になって葉が茂り、
その木陰のせいでぼんやりとしか照らない月。
まだ、見えない月。
そういうものが歌われましたが、
平安になると、春の月は、
歌にするには値しない、と切り捨てられていきます。

それで、月といえば、秋という季節感が、
だんだん、日本人に、定着していく。

野遊びについての歌。
万葉のころの、背後に民間の習俗を背負った、
官人の野遊び、というお話が面白いところでした。

奈良時代の官人は、朝早くから公の仕事をし、
昼からは、自分の土地の管理などの仕事をし、
とっても忙しかったようで、そんな中、
春の野での宴は、本当に楽しみなものだったと。

それに比べて、平安後期、鎌倉になると、もう、
武士の世の中。
朝廷の人々は実権を持たなくなり、
掛け値なく、暇。

桜をかざしにして、一日を過ごしている。

春の物憂い感じ。

万葉では、もっと、元気な感じがある、と。

万葉集から、元気をもらえる気がするのは、
そこに、生きていくということの、力強さがあり、
自然の生命力があり、
そういうものが、生き生きと輝いているからでしょうか。

また、生命力をもらいました。

洋司