『今日の出来心』

シンガーソングライター&作詞家“久保田洋司”の365日書き下ろし公開日記です
since 2000.3.7

2011年3月31日(木)

2011年03月31日 00時00分01秒 | Weblog
ジョンとヨーコの「ダブルファンタジー」のタイトルについて、
ジョンが言ってるんですが、
「フリージアの仲間の花の名前なんだけど、
ふたりの人間が同時に同じイメージを思い描く、
それが大事なことだ、という意味にぼくたちは捉えた。
たとえ一緒にいられても、
ふたつの違うイメージを抱いてしまっては、
そのとき立場が強い相手のほうのファンタジーが満たされて、
もうひとりは無残なことになるだけなんだ。」と。

「イマジン」のころからの、
ジョンとヨーコのテーマみたいなものでしょうか。

いつも互いに、同じようなものをイメージ出来たら、
素敵なことですね。

今日も素敵な一日を。
今日も、美しい明日に向かって、歌ってます。

洋司

2011年3月30日(水)

2011年03月30日 00時00分01秒 | Weblog
ジョン・レノンとオノ・ヨーコのアルバム、
「ダブル・ファンタジー」のドキュメンタリー本、
「メイキング・オブ・ダブルファンタジー」を、
読んでるところです。

1980年の「ダブルファンタジー」や、同時期の録音になる、
その後の「ミルク・アンド・ハニー」収録の曲の制作や、
レコーディングの様々なことが、
当時のスタッフやミュージシャンや、
もちろん、ジョンとヨーコのインタビュー記事なんかもあって、
臨場感たっぷり、といいますか、
その場の展開に、ちょっと参加してるような気分に、
させてもらいながら、わくわく読んでいます。

ジョンから、「ダコタに来て」って、電話かかってきたら、
どうします?

まだ、3分の1ぐらいしか読んでませんけど、
レコーディングが、いい感じで、どんどん進んでいく様子、
ミュージシャンたちの興奮なんかも、伝わってきます。

なにより、5年ぶりの新作レコーディングで、
ジョンも、ノリノリで、皆もジョンのことが大好きで、
進んでいく感じが、とってもいいです。

ミュージシャンの誰かが言ってたのは、
たとえ、そこいるその男が、自分の敬愛する、
ビートルズのジョンだってことを、知らなかったとしても、
オレは、魅力的なその男を、すぐに大好きになっただろう、と。


1980年といえば、
僕など尾道のはずれの、中学2年生で、
男子バレー部で、
新聞配達しながら、ギターやいろんな歌や、
そのほかにも、中学生らしい、いろんなことを、
覚えてた頃ですけど、
「ダブル・ファンタジー」を入手してからは、
それを、ステレオで、大きい音で、聞くのが、
大好きでした。
(2曲目は、小さい音にしましたが。前にも書いたとおり、
ご近所から、僕じゃなくて父が誤解を受けたらいけないなと、
思い。まいっか)

いろいろ思い出せば、僕の通ってた中学は、
まだ、古い木造二階建ての校舎で、板張りの廊下や階段は、
穴が開いてしまったり、台風が来ると、壁が落ちたり、
窓も木枠の、薄いガラス窓、寒い冬は、ストーブ、
グラウンドもとっても狭くって、
でも、それだからこその、いろんな味わいがあったものでした。

僕が、中学2年の夏ごろ、別の場所の鉄筋コンクリートの、
新校舎に移りました。

急な坂道をぐねぐね、のぼらないといけない、
山のてっぺんの校舎。

「ダブル・ファンタジー」が出たのは、1980年の11月だから、
僕が聞いたころは、もう、新校舎に通っていたころですね。

「メイキング・オブ~」を読んでると、あわせて、
その頃の、自分の風景とかも、一緒に、思い出します。

山を開いて、造った校舎ですから、
夏となると、まわりは、草ぼうぼうというか、
すごい草木の匂いが、ぷんぷんしてて、空はとにかく青くて、
新校舎の、新しい塗装のような匂いも、ぷんぷんしてて、
そんな、1980年の夏に、ニューヨークでは、
あの、レコーディングが行われてたんだなぁ、と、
今、30年経っても、とっても、青々した感じを、
すぐそこに、思い出します。

ビートルズとは、だいぶ違う、
どっしりと、たっぷりとした感じ、
だけど、とってもジョンらしい感じ、
力強くて、やさしくて、美しくて。

今も、憧れ続けています。

ちょっと長くなりました。
今日も、素敵な一日を。
美しい明日へ、心をこめて歌います。

洋司

2011年3月29日(火)

2011年03月29日 00時00分01秒 | Weblog
先の三崎、ミサキプレッソの藤沢さんから、
「深夜までみんなで飲みました」とメールが来ました。

僕も、また、近くに宿でも取って、
泊り込みで、三崎に、行きたいなぁ、など、思うことです。

三崎港から、白秋号(渡船)ですぐの、城ヶ島。
大橋もかかってますから、伊藤銀次さんなんか、
大橋を、走って渡られるそうですが、
その、城ヶ島に、北原白秋記念館があります。

僕も、前、入ったことがあって、
展示されてる資料をみれば、
昔の多くの有名な作家たちも、
城ヶ島を訪れた云々と。

何日も滞在して、休養なり、執筆なり、されたのでしょう。
日帰りなんて、ないですよね。
京急、快速特急なんて、なかったでしょうから。

先日は、僕は、早めにおいとましました。
片道3時間以上かかるので、
日帰りだと、やはり、ちょっと早めに、
ということになってしまいます。
その、遠出感が、また、いいんですけどね。

で、帰りの、京急で、
昼間、
かもめ児童合唱団で歌ってた、
小学生のお嬢さんと、そのお母さんと、
一緒になりました。

昼間、僕が、
よくあんなに、たくさん歌覚えてるね、
歌ってるとき、お日様まぶしかったでしょ、
など、いろいろ聞けば、
にこにこ、答えてくれたお嬢さんで、
帰りの電車では、途中から、眠くなったみたいで、
お母さんにもたっれて、寝ていました。

で、途中の駅で、お二人降りられるとき、
お嬢さんも、眠そうにしながらも、
きちんと、お辞儀してくれるのでした。

僕なども、昼間、どれほど、かもめの歌に、
心温められたことか。

このお嬢さんだって、
数年すれば、中学にあがられるだろうし、
かもめを卒業されたりもするんだろうなぁ、と、
今の、歌声や、にこにこや、寝顔なんかが、また、
ありがたく感じることでした。

僕にしても、数年前と同じように歌うなど、たぶん、
そんなに、ないでしょうし、
「トナカイ」の曲も、アルバム発表から時間が過ぎて、
ライブ等で、歌うたびに、歌い方も少しずつ変わったりするなぁ、と、
思ったり。

美しい明日を思いながら過ごす、今の大切さ、ありがたさも、
また、感じられます。

いつもありがとう。

洋司

2011年3月28日(月)

2011年03月28日 00時00分01秒 | Weblog
昨日のミサキプレゼント、いや、
ミサキプレッソでの、感動さめやらぬ朝です。

急なインフォメーションでしたが、
ファンクラブもみなさんも、たくさん駆けつけてくださり、
ありがとうございました。

お話をお聞きすれば、
やはり、それぞれに、心痛むところもあおりのようで、
それでも、三崎で、あたたかい気持ちや、音楽に触れられて、
良かったと、みなさん、言ってくださいました。

外は、夕方から、ぐっと冷えてきたんですが、
心は、ぽかぽかでした。

僕も、ほんとうに、みなさんと、お会いできて、
嬉しかったですよ。

また、昨日の記事にも書きましたが、
来たくても、来られないみなさんの、気持ちとか、
考えると、ただもう、届け届けと、思って、
こちらは、思いをこめて、元気に歌うのみ、で、
きっといつか、すぐそばで、
聞いていただける日も来ると、ちょっと先の、
楽しみとして、約束をしましょう。

昨日、キダ先生がおっしゃってたことで、
ほかには、
被災者からの問い合わせを受けたり、指示をしたり、
そういう市の職員の方々も、やはり被災されてて、
ご自身も家が流されていたり、ご家族とはぐれていたり、
それでも、不眠不休で、当たられている、というお話。

伊藤銀次さんもおっしゃってたのは、
みんな混乱して、なにをどうしたらいいかわからないとき、
それを、しっかり、まとめて、適切な指示を出していける人が、
必要、と。

キダ先生は、昨年、気仙沼等、を旅されてて、
思い出もおありで、
僕も以前から、その写真を見せていただいたり、
お話をうかがったりしていたものでした。

昨日は、その時の写真と、今回、行って写してこられた写真を、
合わせて、見せてくださいました。

あんなに美しく、皆が暮らしていた、活気のある港、
そのことは、忘れたれたかのように、今、
悲惨な状況だけ、テレビに映る、というようなことも、
おっしゃってました。

阪神淡路の震災の時、先生は医学の勉強をされてるころで、
そのときには、何もすることができなかった、と。

今度の災害は、何百年たっても、
語り継がれることになろう。
今、自分が、ここにいて、
なにか、できないで、どうする、と。

いろんな思いが、キダ先生を、突き動かしたんですね。

先生のお話を、聞かせていただいただけでも、僕ら、
なにか、勇気をいただきました。

なにも、できないんじゃないって、思います。

人と会って、前向きな話をしたり、歌を歌ったり、
微笑みを、交し合ったり、明日もがんばろうと思ったり、
そんなことも、合わせて、
やっぱり、素敵な、イベントでした。

ミサキプレゼントでした。

本日も素敵な一日に、
美しい明日へ。

洋司

2011年3月27日(日)

2011年03月27日 00時00分01秒 | Weblog
本日は、三崎のミサキプレッソ1周年パーティーに、
行ってきました。

僕が、ミサキプレッソに到着したのは、
丁度13時ごろ。

ミサキプレッソの前の、駐車場に、
音響システムがセッティングされ、
てっぱんの焼き物や、ビールなんかも、
用意されて、大勢人も集まってて、
元気出る感じでしたよ。

13時から、まず、
かもめ児童合唱団の歌、の予定が、
サウンドチェックや、練習なんかもあってか、
開始は、14時から、と。

でも、かもめの子達の練習風景を見てるだけで、
もう、心が、思いっきり癒されました。

練習のあとのちょっとの休憩の時に、
かもめの、男の子たちが、
「やったー、自由になれたんだー」とか、いいながら、
たーって、走ってどこかへ行く元気な姿も、
とってもよかったです。

かもめの本番では、たくさんの曲を、
小さな子たちも、みんな覚えてて、
時々かわいい振り付けもありつつ、
元気な歌声を、
1時間ぐらい、聞かせてくれましたよ。
見てる人、聞いてる人、皆、
心のやすらぎや、微笑みや、元気や、あたたかな気持ちを、
いっぱい、もらったと思います。

そして、16時ごろから、パーティーの始まり。

まず、気仙沼に、ヘリで飛ばれて、避難所や町を回られ、
医療に当たられた、三崎の医師、キダ先生からのお話。
実際に、現場で体験されたことや、
必要なものは、刻々、変わっているのだ、というような、
ニュース等では、聞けない、お話を、うかがうことが出来、
あらためて、今、どうしたらいいか、
考えるきっかけを、与えてくださいました。
だんだん夕方になり、外は寒くなってきましたが、
被災地の方々は、寒い中に、いらっしゃる。
この寒い、ということを、共有する心が大事というお話も、
とってもリアリティーを感じました。
その心に寄り添えば、何が必要なのか、考えられる、と。
貴重なお話でした。


そのあと、
伊藤銀次さん、黒澤秀樹さんのユニット、アンクル・ジャムが、
まず、数曲。
美しいハーモニーを聞かせてくださいました。

続いて、
朝本千可さんの、かっこいいアルトサックスの演奏、
演奏後の笑顔とお辞儀、素敵でした。

続いて、
清水靖晃さんの、テナーサックスの演奏も、
寒さを忘れるほど、素晴しかったです。

続いて、
breathmarkさん、谷川俊太郎さんの詩に曲をつけて、
とっても深い感じで、歌われました。

続いて、僕。
「カセットテープ」をまず、ありがとうの気持ちで。
そして、来る時見た、桜の花の印象から、
「蕾~つぼみ~」を。
集まってくださった皆さんへ、
町や、海や、空に向かって、
素敵な今日へ、美しい明日へ、
そんな、このところの僕の思いをこめて、
歌わせていただきました。
藤沢さんが、もう一曲、と言ってくださり、
ジョンの「スターティング・オーバー」も。
あたたかい拍手を、いただきました。

続いて、
再び、アンクル・ジャム。
オリジナル曲を、元気に、美しく、聞かせてくださり、
会場、皆、手拍子で、盛り上がりました。

このパーティーで、
皆、本当に、元気や、心のぬくもりや、
素敵な気持ちや、優しい気持ちや、
いいエネルギーを、いっぱいいただいたと思います。

ミサキプレッソの、ミサキプレゼントとなりましたよ。

本当に、参加できてよかったと、
心から、思います。

藤沢さんはじめ、三崎の、皆さん、
本当に、素晴しい機会を、ありがとうございました。

いろんな状況の中、集まってくださった皆さんも、
本当にありがとうございました。

いろんな状況や思いの中、来たくても来ることができなかった皆さん、
三崎からの、思いや、音楽、ちょっとでも、感じていただけたら、
と思い、長く書かせていただきました。

久保田洋司、もう少ししたら、
次のライブの予定なども、お知らせできると思います。

この三崎で得たエネルギーを持って、
また、その日に向かって、
素敵な明日に向かって、
続けて、歌ってます。

洋司