ある歌は、なかなかイメージどおりに歌いきれず、16テイク録音していたのである。それも、全部、良いテイクを残すために努力し、何回も歌い直した末の、16テイクである。冗談ではなく、100回以上歌った。今思えば、歌い過ぎである。はじめに8テイク録っておいたものが、いまひとつに思えて、後日、8テイク録り直した。ところが、編集のために聞き返してみると、はじめの、それもごく初期の録音がいいのである。後になるほど、文字通り、歌い過ぎていて、なにか表現が過多である。日をおいたから、感じ方も変わったのかもしれない。録音の直後だったら、後のほうのテイクを中心に、編集したかもしれない。声やニュアンスがだいぶ違うものになる。耳が、編集の耳になっているのである。さらに何年もたってから、聞き比べたとしたら、どれも同じに聞こえたりもするかもしれないし、最後のテイクが一番いいように聞こえたりするのかもしれない。今日の段階で編集し完成されたものが、正調となり、ほかのものは、別テイクということになる。一種のスリルである。
洋司
洋司