『今日の出来心』

シンガーソングライター&作詞家“久保田洋司”の365日書き下ろし公開日記です
since 2000.3.7

2005年6月30日(木)

2005年06月30日 00時00分01秒 | Weblog
明星とか平凡とかの雑誌に出させてもらってたころは、バンドのメンバー皆、上半身裸で、撮影スタジオの鉄棒にぶら下がり、騒いでいるような場面を撮影されたりしたものである。
非日常で、非常識的な場面であるが、雑誌の中では、わりと伝統的な方法だったかもしれない。
あるいは、モデルの女性が来て、皆でその人を見つめている、というようなものもあった。
後に、従妹が短大に通った時、学校でそのモデルの人と友達になり、過去にこんな仕事をしたと、聞いたとか。

撮影にはだんだん慣れたけれど、どんな撮影でも、けっこうテンションを上げてのぞむことになる。それはカメラマンさんも、かなり上げめで、仕事をされるからである。
撮られる時、普通にしていることは、あまりなかったように思う。
撮影の後は、手足がびりびりするほど、血が巡った感があった。
ま、そうやって撮影して、やっと、元気な若者たちみたいな写真に、ぎりぎりで、だから、普通にしているときに、どなたかとお会いすれば、今日はおとなしいですね、とかよく言われたものである。

40歳ぐらいになると、写真で、はしゃぐこともなくていいのは気が楽である。
ずっと、これぐらいの感覚をめざしていたような気がする。
ただし、いつもなにか、みなぎるような者でありたいと思うところである。

洋司

2005年6月29日(水)

2005年06月29日 00時00分01秒 | Weblog
コメントありがたく。
そうですね。以前テレビで、なかにし礼がかつての満州を訪ねた時の映像など、見たことありますが、想像を絶する過酷な時があったようですね。そこへの心の向かい方など、歌をとおして、よく書かれてる本でした。

いよいよ、7月もせまり、そうなると、予定表にレコーディングの文字が詰まっている。
その予定を前倒しで、どんどん進めてきているわけであるが、なにしろ、他のことは無視しての、無謀とも言える予定表である。
この前倒しがなければ、あっという間に抜き去られるものになるかもしれず、それでも、うかうかしていると、じわりじわり、追いつかれ、あるとき、さっと追い越されてしまう、ということにもなりかねない。
そろばん4級で、検定試験で、友達は皆3級になり、次には、年下のものまで3級になったのに、僕はどうしても合格できずにすごした日々を思い出す。
伝票算、前にも書いたが、見るだけで、頭痛がするようになったのである。苦手だと思うと、お腹や頭が痛くなるのは本当らしい。
弟は確か、とっととやめて、子供は遊ぶのが仕事と、友達らと野山に出かけたようだし、妹はさっさと段を取った。
長男、要領悪し。

洋司

2005年6月28日(火)

2005年06月28日 00時00分01秒 | Weblog
なかにし礼の「黄昏に歌え」。
自伝的小説というか、赤裸々小説。
あるところからすすめられ、早速読んでみれば、壮絶である。
満州で王子様みたいに生まれ育ったところが、戦争ですべてを失い、過酷な旅を経て日本へ。
シャンソンとの出会い。裕次郎との思いがけない出会い。作詞家としての大成功。
兄の大借金の肩代わりでまた、すべてを失う絶望的な日々。
歌への愛情や閃きについてもしっかり書いてあり、めくるめくものである。

毎日、いろんな本を読んでいる。
録音作業をする。
読む前の録音と読んでからの録音が、なんとなく違って感じるのも面白く。

洋司

2005年6月27日(月)

2005年06月27日 00時00分01秒 | Weblog
だいぶ暑くなってきた。
机のライトをつけているだけで、こんなに暑くなるかと思えば、冬に、この熱をもっと有効に利用したいところだと思うのである。
LEDは熱を出さずに光るので、非常に効率が良いということであるが、まだそれだけで部屋の照明をできるほどのものではないそうである。
白熱灯や蛍光灯は、熱い。パソコンも熱い。あの熱は無駄なエネルギーなのである。非常にもったいない。冬に向けて、どこかに蓄えておけないものか。

洋司

2005年6月26日(日)

2005年06月26日 00時00分01秒 | Weblog
オバー ドライバーを歌ってる夢を見ながら、目がさめた。やはり、ライブの後である。
ギターケースなど、電車に遅れそうになると、これを持って、走ったりするのに、今、持ち上げようとすると、非常に重く感じる。
「義経」で、木曾義仲が「いつもはなんということのない鎧が今日は重く感じる」と言ったとき、いろんなことを、思い合わせながら見た気がするが、思考のメインは、このギターケースであったろう。

録音再開。

洋司