『今日の出来心』

シンガーソングライター&作詞家“久保田洋司”の365日書き下ろし公開日記です
since 2000.3.7

2009年7月31日(金)

2009年07月31日 00時00分01秒 | Weblog
今、一番近くに置いてあるギターは、
ゴダンのナイロン弦なので、
時々、手にとって弾くのは、これのことが多い。

8月30日の、ファンクラブの集いに向けての曲を、
ちらちら、弾いてみたりする。

また、ギターを弾いていると、
長くなって、ここになにか書こうと、
立ち止まっている時間も、長くなるのであった。

洋司

2009年7月30日(木)

2009年07月30日 00時00分01秒 | Weblog
「狭岑の島の石中死人を視て作る歌」の講座に行った時、
場所は、日本橋の奈良まほろば館であったが、
ちょっと早めに着いて、その近辺で、昼食にすることにしたのであった。

地下通路を歩きながら、美味いカレーライスが食べたいと、
思ったのであった。

地上に出て、まほろば館の裏手を歩けば、
カレー専門、とかいう店が目に入った。
これはついている。
店の前まで行ってみたが、休みであった。

路地を更にすすめば、
インドカレー、という看板があった。
これは、ついている。
店の前まで行ってみたが、ここも休みであった。

適当に道を曲がって行けば、
喫茶店風の、洋食を出している店があった。
これは、ついている。
この店は、やっていた。

冷房がよくきいていて、
客は誰もいなかった。

店のおばさんが、やさしくてよかった。
それだけで、ご馳走様というと、変な感じもするが、
「いらっしゃい」
「はいどうぞ」
「コーヒー、出すのは、早かったかしら」
というような、言葉一つ一つが、
美しい。

だからというのもあるかもしれないけれど、
カレーライスも、サラダも、コーヒーも、
非常に、美味かったのであった。

夏休みに、親戚の家に行った時のような、
懐かしさ。

8月に、また別の万葉集の講座で、
まほろば館に行く予定なので、
あの店に、また行ってみたいと思ったことであった。

洋司

2009年7月29日(水)

2009年07月29日 00時00分01秒 | Weblog
碓井豊さんの歌った「蓮華」
昨年、コモリタさんと、僕とで作った歌で、
テレビ番組の中で、歌われました。

僕も、その日、スタジオにいて、生で聞いていたんですが、
その時聞いて以来、聞くこともなかったこの歌を、
視聴できるとの情報をいただき、
見ました。

こちら。

(http://www.youtube.com/watch?v=TzqvSrKsXKE)


グレン・グールドが影響受けたという、漱石の「草枕」や、
仏教に、だいぶ、僕がはまっていた頃に、作った詞で、
その頃の僕としては、これが作れて、よかったなぁ、と、
心から思える、歌でした。
コモリタさんの曲も、碓井さんの歌も素晴しいです。
是非、聞いてみてください。

洋司

2009年7月28日(火)

2009年07月28日 00時00分01秒 | Weblog
一番よく走っていたのは、
たぶん、22歳ぐらいのころなので、
今でも走っていると、
自分は22歳なんじゃないか、と、
錯覚することが時々あるのである。

そして、それより年上のような人が、
走っているのを見ると、
体、きつそうだなぁ、とか、
よくがんばるなぁ、というような、
感想を持つのであるが、
僕の年齢は、22歳より、20歳年上なのである。

3ヶ月すれば、21歳年上ということになる。

22歳の頃、まわりに、43歳ぐらいの人が、
何人か、いたけれど、
もし、そういう人たちが、
今日からジョギングするよ、と言い出したら、
逆に体壊すから、よした方がいいよ、
と、言ってしまいそうな、僕は22歳であったし、
周りの43歳も、そんな43歳であったような気がする。

昨晩も、たぶん僕より十歳以上年上と思われる方が、
走っておられた。

Tシャツに短パンで、引き締まった体にバネがある。
速い。

せまる老いから、逃げるように、走っている、
などと書くと、その足音は、悲壮に聞こえるが、
そうではなくて、
自分の体と、並走する感じ。

そこには、いたわりもあろうし、励ましもあろう。

無理なく、気持ちよく、体とつきあう。
僕も、しばらくは、走り続けると思うのである。

洋司

2009年7月27日(月)

2009年07月27日 00時00分01秒 | Weblog
昨日は、昼間、ある方から電話。
久しぶりのオフを、木漏れ日のカフェで、
一人、お酒を飲みながら過ごしていると。

後ろから、お店の音楽や人の声などが、
聞こえてきて、楽しそうである。

ここは、僕も出動して、
普遍と新しい表現、
アメリカとヨーロッパと日本、
モノラルとステレオなど、
じっくりお話をお聞きしたいところであったが、
取り組んでいることがあり、
電話だけの、数分の交流であった。

昨日は、ここに、三島のことを書いたから、
夜になって、走るときも、
ちらちら、「憂国」の場面が浮かんできたりした。
市ヶ谷の三島の姿だったか。

書いていることにのめりこむことは、
少なからず、あろうと思う。

いや、そこは冷静に、といってみても、
よく脳が働くほど、思考妄想入り乱れ駈け巡ることが、
あるのかもしれない。

冷静なら、あんなことしないだろう、
と、思ったりするが、
そんな考えの、遥か彼方に、いらっしゃれば、
そこに道理が、存在するのかもしれないし、
僕らには、わからぬことである。

「憂国」は、何回も読んだ気がするが、
二二六の外伝として、これも、本当にあったことみたいな、
気がして、読んだものであった。

さて、本日も、のめりこむが、
こちらは、なにしろ、
やさしさ、愛しさ、大人、男、かっこよさ、かっこわるさ、
そんな単語ばかりが、繰り返し繰り返し、
ノートを汚しているのであった。

洋司