昨日は5時、今朝は2時から起きて詞をやっている。
急ぎのもの。時計の針が、進むのが目についていけない時期も、何年か前まであった気がするが、このごろは、時計が、こっちを見て、あせるぐらいではなかろうか。
皆さんそれぞれに、忙しくされてることであろう。そういうときに、ふと口ずさみ、勇気を得、元気を得るような歌が作れたらと思うのである。
ウルトラマン・タロウなどと書くと、唐突であるが、とあるオムニバスに入っていたそのテーマソングで、思いがけず、泣けた。
子供のころに、これのレコードを持っていた。イナズマンとか他の曲も入ってて、LPよりは小さいサイズ。どちらかというと、弟の所有物だったかもしれないが、とにかく、久々に聞いて、2コーラスの詞「力がほしいと願う時」(作詞阿久悠)というところで、あぁ、何度となく願ってきたことであると、こみ上げるものがあった。子供のころは何気なく聞いていたものであるが、面白いところであった。
阿久悠の息子さんは太郎というお名前だそうである。
また、この歌を歌っている人が、武村太郎という人で、太郎さんが「タロウ、タロウ、タロウ~」と歌ってるところ、そう思って聞けば、ちょっと照れくさそうな声にも聞こえて、楽しい。
ウルトラマンが、タロウという名前に決まったとき、それが当時、新聞にも出ていて、僕は父に、なんでウルトラマンなのに、タロウなのか、と、あわてて質問したものである。
資料によると、73年4月。僕小1。父も、答えに困ったと思うが、こう答えた。
「タロウいうのは、日本の代表的な名前じゃろうが。ヒーローの代表みたいなウルトラマンに名前をつけるんなら、そういう名前じゃにゃぁといけまぁ、いうことじゃろぅ」。
タロウの前の、ウルトラマン・エースのときにも、質問したのを覚えている。
エースとは何か。Aはエースじゃなくてエーじゃないのか、などと風呂場で体をふいたりしながら聞いたのを覚えている。
父は、野球のピッチャーなどにたとえて、エースはすごいんじゃ、というように説明してくれた。
タロウとあわせて、その時代の堺正章の「街の灯り」(これも阿久悠)も聞いた。
「そばに誰かいないと 沈みそうなこの胸~」。歌唱も合わせて、非常に良かった。
久世光彦が書いたものによると、何かのドラマの打ち上げの席で、諸星克巳が「街の灯り」を歌い、小泉今日子がそれを聞いて、両膝の間に頭を埋めて、小鳥の子みたいに細い声で泣いたそうである。
洋司
急ぎのもの。時計の針が、進むのが目についていけない時期も、何年か前まであった気がするが、このごろは、時計が、こっちを見て、あせるぐらいではなかろうか。
皆さんそれぞれに、忙しくされてることであろう。そういうときに、ふと口ずさみ、勇気を得、元気を得るような歌が作れたらと思うのである。
ウルトラマン・タロウなどと書くと、唐突であるが、とあるオムニバスに入っていたそのテーマソングで、思いがけず、泣けた。
子供のころに、これのレコードを持っていた。イナズマンとか他の曲も入ってて、LPよりは小さいサイズ。どちらかというと、弟の所有物だったかもしれないが、とにかく、久々に聞いて、2コーラスの詞「力がほしいと願う時」(作詞阿久悠)というところで、あぁ、何度となく願ってきたことであると、こみ上げるものがあった。子供のころは何気なく聞いていたものであるが、面白いところであった。
阿久悠の息子さんは太郎というお名前だそうである。
また、この歌を歌っている人が、武村太郎という人で、太郎さんが「タロウ、タロウ、タロウ~」と歌ってるところ、そう思って聞けば、ちょっと照れくさそうな声にも聞こえて、楽しい。
ウルトラマンが、タロウという名前に決まったとき、それが当時、新聞にも出ていて、僕は父に、なんでウルトラマンなのに、タロウなのか、と、あわてて質問したものである。
資料によると、73年4月。僕小1。父も、答えに困ったと思うが、こう答えた。
「タロウいうのは、日本の代表的な名前じゃろうが。ヒーローの代表みたいなウルトラマンに名前をつけるんなら、そういう名前じゃにゃぁといけまぁ、いうことじゃろぅ」。
タロウの前の、ウルトラマン・エースのときにも、質問したのを覚えている。
エースとは何か。Aはエースじゃなくてエーじゃないのか、などと風呂場で体をふいたりしながら聞いたのを覚えている。
父は、野球のピッチャーなどにたとえて、エースはすごいんじゃ、というように説明してくれた。
タロウとあわせて、その時代の堺正章の「街の灯り」(これも阿久悠)も聞いた。
「そばに誰かいないと 沈みそうなこの胸~」。歌唱も合わせて、非常に良かった。
久世光彦が書いたものによると、何かのドラマの打ち上げの席で、諸星克巳が「街の灯り」を歌い、小泉今日子がそれを聞いて、両膝の間に頭を埋めて、小鳥の子みたいに細い声で泣いたそうである。
洋司