ウルトラマンのコメントありがたく。
父は、新聞を読んでのコメントだったのかもしれないですね。
あのころは、ドラマ中の、ウルトラ警備隊というのか地球防衛軍というのか、例の集団、TACとかなんとかいったと思うが、彼らが、基地でカレーライスを食べているシーンが映り、翌日学校に行けば、ハトコのカズヤくんなど、「うちは、ちょうど晩御飯、カレーじゃったけぇ」とうれしそうに話し、焼き魚だった僕は、うらやましく聞いたものである。
ウルトラマンについては、初代から、そのようなことも世間で話題になったのだからすごいことである。つまり、変身のための万年筆みたいなやつと間違えて、スプーンを出したハヤタ隊員のことは、衝撃的なニュースであった。
長谷川初範といえば、去年だか、半田健人が出演したドラマでいい演技。さすがであった。
80は僕も見たことがある。長谷川であったとは今知った。テーマソングなど、かっこいいなと思ったものである。
「アー」という思いがけない和音のフックがあったりして、英語の歌詞など、いまだに、なんと言ってたのか良くわからないわけであるが、新しい感じと、新しいものを作っていこうとしている感じが好きであった。
レッドバロンに続いて出てきた、マッハバロンというのがいて、これのテーマソングも洋楽っぽくて、なにを言ってるのかわからない歌であったが、かっこいい感じがしていたのを覚えている。
思春期ごろになると、どこやらくさい感じの歌がどうも苦手になるわけであるが、そのころまで実際、いうところのくさい歌っていうものは、あんまり存在しなかったのではなかろうか。
「君たち女の子 ゴーゴー」ってきいて、わっと思ったけど、くさくはなかったし、今、落ち着いて聞いてみれば、ヘヘイ ヘヘヘイなど、かっこいいところである。作家は岩谷時子と筒美京平である。
ある時期僕がFM埼玉で、レギュラーとは別に、何本か番組をやらせてもらった時、「痛い歌のコーナー」というのを作って、面白がっていた。90年代である。
そのころには、70年代の感覚は、少なくともポップスについては皆無に近かったと思うが、僕の中では、なんと言っていいかわからないが、胸に刺さる、昔の歌などをかけて、感動していたのである。
そこはどうしたって、「くさい歌のコーナー」では、楽しくないわけであった。ま、なにがくさいとかいうのは、個人の問題であろうから、それが悪いということは言いたくないのである。ヒットソングもたくさんあったし、僕だって、そういうのを聞いて、やられたと思い、悔しい気がしたものである。
言わせていただけるなら、「痛い歌」派の僕にとっては、「くさい歌」は、勝手に決めた心のライバルだったのかもしれない。
洋司
父は、新聞を読んでのコメントだったのかもしれないですね。
あのころは、ドラマ中の、ウルトラ警備隊というのか地球防衛軍というのか、例の集団、TACとかなんとかいったと思うが、彼らが、基地でカレーライスを食べているシーンが映り、翌日学校に行けば、ハトコのカズヤくんなど、「うちは、ちょうど晩御飯、カレーじゃったけぇ」とうれしそうに話し、焼き魚だった僕は、うらやましく聞いたものである。
ウルトラマンについては、初代から、そのようなことも世間で話題になったのだからすごいことである。つまり、変身のための万年筆みたいなやつと間違えて、スプーンを出したハヤタ隊員のことは、衝撃的なニュースであった。
長谷川初範といえば、去年だか、半田健人が出演したドラマでいい演技。さすがであった。
80は僕も見たことがある。長谷川であったとは今知った。テーマソングなど、かっこいいなと思ったものである。
「アー」という思いがけない和音のフックがあったりして、英語の歌詞など、いまだに、なんと言ってたのか良くわからないわけであるが、新しい感じと、新しいものを作っていこうとしている感じが好きであった。
レッドバロンに続いて出てきた、マッハバロンというのがいて、これのテーマソングも洋楽っぽくて、なにを言ってるのかわからない歌であったが、かっこいい感じがしていたのを覚えている。
思春期ごろになると、どこやらくさい感じの歌がどうも苦手になるわけであるが、そのころまで実際、いうところのくさい歌っていうものは、あんまり存在しなかったのではなかろうか。
「君たち女の子 ゴーゴー」ってきいて、わっと思ったけど、くさくはなかったし、今、落ち着いて聞いてみれば、ヘヘイ ヘヘヘイなど、かっこいいところである。作家は岩谷時子と筒美京平である。
ある時期僕がFM埼玉で、レギュラーとは別に、何本か番組をやらせてもらった時、「痛い歌のコーナー」というのを作って、面白がっていた。90年代である。
そのころには、70年代の感覚は、少なくともポップスについては皆無に近かったと思うが、僕の中では、なんと言っていいかわからないが、胸に刺さる、昔の歌などをかけて、感動していたのである。
そこはどうしたって、「くさい歌のコーナー」では、楽しくないわけであった。ま、なにがくさいとかいうのは、個人の問題であろうから、それが悪いということは言いたくないのである。ヒットソングもたくさんあったし、僕だって、そういうのを聞いて、やられたと思い、悔しい気がしたものである。
言わせていただけるなら、「痛い歌」派の僕にとっては、「くさい歌」は、勝手に決めた心のライバルだったのかもしれない。
洋司