明星とか平凡とかの雑誌に出させてもらってたころは、バンドのメンバー皆、上半身裸で、撮影スタジオの鉄棒にぶら下がり、騒いでいるような場面を撮影されたりしたものである。
非日常で、非常識的な場面であるが、雑誌の中では、わりと伝統的な方法だったかもしれない。
あるいは、モデルの女性が来て、皆でその人を見つめている、というようなものもあった。
後に、従妹が短大に通った時、学校でそのモデルの人と友達になり、過去にこんな仕事をしたと、聞いたとか。
撮影にはだんだん慣れたけれど、どんな撮影でも、けっこうテンションを上げてのぞむことになる。それはカメラマンさんも、かなり上げめで、仕事をされるからである。
撮られる時、普通にしていることは、あまりなかったように思う。
撮影の後は、手足がびりびりするほど、血が巡った感があった。
ま、そうやって撮影して、やっと、元気な若者たちみたいな写真に、ぎりぎりで、だから、普通にしているときに、どなたかとお会いすれば、今日はおとなしいですね、とかよく言われたものである。
40歳ぐらいになると、写真で、はしゃぐこともなくていいのは気が楽である。
ずっと、これぐらいの感覚をめざしていたような気がする。
ただし、いつもなにか、みなぎるような者でありたいと思うところである。
洋司
非日常で、非常識的な場面であるが、雑誌の中では、わりと伝統的な方法だったかもしれない。
あるいは、モデルの女性が来て、皆でその人を見つめている、というようなものもあった。
後に、従妹が短大に通った時、学校でそのモデルの人と友達になり、過去にこんな仕事をしたと、聞いたとか。
撮影にはだんだん慣れたけれど、どんな撮影でも、けっこうテンションを上げてのぞむことになる。それはカメラマンさんも、かなり上げめで、仕事をされるからである。
撮られる時、普通にしていることは、あまりなかったように思う。
撮影の後は、手足がびりびりするほど、血が巡った感があった。
ま、そうやって撮影して、やっと、元気な若者たちみたいな写真に、ぎりぎりで、だから、普通にしているときに、どなたかとお会いすれば、今日はおとなしいですね、とかよく言われたものである。
40歳ぐらいになると、写真で、はしゃぐこともなくていいのは気が楽である。
ずっと、これぐらいの感覚をめざしていたような気がする。
ただし、いつもなにか、みなぎるような者でありたいと思うところである。
洋司