ちょいワル兄ちゃんの夜這い談話でバス中が、やいのやいのと盛り上がっていると、時間が過ぎていくのも忘れる。
あっという間にロゴ湖に到着した。
観光客にとって、最もポピュラーなのは、里格(リゴ)というロゴ湖の西側の湖畔。
危ないところだった。すでに端午の節句の連休は始まっており、
何の情報もろくに集めることができずにそのまま来てしまったせいで、ホテルの予約もできていなかった。
何しろ北京を出発する時は、ここに来ようという発想さえなかったのだから。
道中、旅仲間が頻繁に口にするのを聞いて、そうか、行ってみるべ、と突発的に決めたことだった。
同乗の学生らが、
「宿は空いているかな」
とちょいワル運転手さんに聞いた。
彼は、リゴにある知り合いのホテルに電話してくれるといったが、聞いた当の学生らは、ぐずぐずと返事を迷っていた。
こういう運転手からの紹介は、彼自身のマージンが入っていることが多く、自分で飛び入りで探した方が安いのではないか、と疑ったのではないだろうか。
確かに彼のいう1部屋200元、と値段はまったく安くない。
麗江の大研城の古民家ホテルが130元程度だったことを思うと。
しかし何しろ端午の節句の連休はもう始まっているのだ。
それが相場なんでしょう、というのも想像できたので、路頭に迷うリスクを考えると、私はそのまま予約を取ってもらうようお願いした。
現地につくと案の定、同じバスに乗った人たちでさえ、運転手とのコミュニケーションが遅れたおかげで数時間の差で部屋をとれず。
ホテルに到着して荷物を下ろすと、ホテルのロビーには、空き部屋を求めて次々に人が入ってくるが皆、満室だと断られている。
その様子を見て、あさっての分も予約しておいた。
これは本気で取れなくなると思ったから。
それにしてもやっぱり高地だああ。
ちょっと坂道や階段を上っただけでぜえぜえいう。
私がへたれすぎるのもあるにしても。がは。
いや。本当に息が苦しいです。
ついにやってきました!
世界の秘境(かつての???)、ログ湖ー!
ログ湖2日目、湖畔をぶらぶら歩いていると、向こうから歩いてくる女の子に
「もしかしてK2(束河のユースホステル)にいました?」
と話しかけられた。
「ええ? そうそう。」
「座っている時ににこりと笑いかけてくれたじゃないですか。覚えていないかもしれないけど・・・」
・・・・本当に覚えていない。でも聞くと、彼女も一人だという。
今回の旅でしみじみと感じたことの一つは、
こちらの若者もバックパックを始めるようになったが、一人旅が圧倒的に少ないということだ。
欧米や日本のバックパッカーは一人が主流だが、そこがぜんぜん違う。
特に女子の一人旅は圧倒的に少ない。
それだけ日本人が平和ぼけしているとも言えるのかもしれないが。
とにかく学生時代のバックパッカー時代はすぐに知り合いだらけになったが、
今回の孤独さは私がおばさんになったことだけでは説明できない要因がここにあると残念に思っていたところだったので、
ここで出会ったが百年目とばかりに彼女の腕に絡みつき、
「夕食、いっしょに食べまひょ!」
とお誘い申した。
卒業旅行で来ているという彼女は、江蘇の塩州の出身。
就職先は蘇州のIT企業に決まっており、7月から出勤し始める前の最後の旅行だそうだ。
在学中は家庭教師、携成旅行ネットでのシステム管理などのバイトをし、そういうお金が旅行の資金になっているという。
今時の大学生は、最後の1年くらいは、インターンでほとんど働きづめっぽい。
ログ湖名物は、子豚の丸焼きなどのバーベキュー。
道沿いにはバーベキュー屋さんが軒を連ねる。
彼女を誘って焼肉屋さんの物色に出かける。
名物の子豚の丸焼き。
2日目の晩は、道連れ女子と二人でバーベキューを食べたが、
翌日、彼女が束河で知り合ったという20過ぎの広東人男子3人組を紹介され、皆で食事をすることにした。
元々は3人、それぞれに単独行動しており、道中でいっしょになってこの数日は、行動をともにしているようだった。
この3人で印象的だったのは、「さすが広東人」と思わせる、他省の若者にはない特徴だ。
1、 3人とも中卒。中卒の子がバックパックに出ているケースはごく稀で正直、驚いた。
いくらバックパック(つまりは貧乏旅行)といえどもやはり無駄金がかかるわけで、結婚資金の貯金や家族への仕送りもせず、
終わってしまえば、何も手元に残らない旅行という贅沢にお金をかけようという酔狂な人間は、
やはり大学程度の教育レベルがあり、旅という経験を知的財産として、今後の人生に役立てることのできる程度の基礎を持っている人たちがほとんど。
学費が無料だった90年代以前までと違い、今時の大学の学費は貧乏な地方の農民であれば、一族郎党のお金をかき集めても、
数年しか学費を供給できず、やむなく中退する子も多いくらい高いのだ。
だからこそ大学進学は、比較的裕福な家庭の子が多く、そのために旅代も親からもらうこともできる。
または大学生は家庭教師やデスクワークのアルバイトで効率よく稼ぐことができるために、旅行資金を貯めることができる。
2、中卒ながら、容姿が極めて洗練されている。そのへんの大卒の子たちと遜色ない垢抜けた雰囲気、ノーブルないでたちをしている。
(写真がなくて残念。すんません)
3、 3人のうち、2人は家族、または親戚から楽な仕事の恩恵を受けている。
3人のうち、一人は広州市、一人は東完市、一人はあまり判別のつかない広東の地方都市の名前を挙げた。
その中で広州市の子が最も秀逸。
中学を卒業してから一度も就職したことがなく、家が多くの不動産を持ち、家主業をしているので、その家業手伝いだそうだ。
しかしほぼ「オタク」。
家でゲームに熱中していることが多いらしい。
今回の資金も当然、家業手伝いによるお小遣いで来ている。
東完の子は、運転手などの職業をしてきたが、すべて親戚の商売の手伝いであり、
つまりは一族の一員として職にありついており、今後もおそらく親戚筋が世話してくれるから、
食いあぶれたり、きつくて割に合わない仕事に就かなければいけないことはないだろうと思われる。
最後の一人は、家族や親戚のコネに関する話は出てこなかったが、
おそらく地元の人間として、就職先にはあまり困らず、家を買う資金や結婚資金を貯める必要もなく、
稼いだお金を旅行に投入することができるのだと思われる。彼はこれからラサまでヒッチハイクで行きたいそうだ。
この3人を見て、つくづく感慨深かった。
彼らは畸形なほど競争が激しくなってしまった高等教育を受ける機会を完全に放棄してしまっているのだなあ、と。
大学に行くのは、いい人生、いい就職先を得るためであり、
彼らは一族、または地縁の中でそれを解決してしまっているから、その必要がない。
中国の二大工場地帯といえば、珠江デルタと長江デルタ。
少なくとも中国全土の、いや全世界のかなりの部分の生産がここに集まっているのだから、富の集積があって当然だ。
以前にも温州の若者に電車で出会ったことがあったが、彼らも非常に洗練された雰囲気を出しながら皆、高卒だった。
曰くは、温州では高校を卒業すれば充分であり、あとは家業の手伝いを始め、商売に精を出し始める、とのこと。
ロゴ湖のほとり。
それにしても。
特に広州のオタクくんの場合などは。
中卒から引きこもり、家業手伝いとなると、もはや家業への依存なしの自分の存在などはありえないわけで、
当然婚姻も家族に意見の制限を受けるだろうし、まさにマルグリット・デュラスの『ラマン』の世界だべええ。
そんなことは別に他人の人生でどうでもいいことなのだが。
余計なお世話だわさ。
広州といえば印象深いのは、12年に全土で吹き荒れたはんにち「おさんぽ」の際、
ジャージの制服姿の小中学生たちが、「理性あるあいこくを」
というプラカードを掲げて暴力に反対する勇気ある声を多数上げたことだ。
頭に血の上った連中に抗議の声を上げることは、自分も暴力の対象になって袋叩きになる可能性だってあるのだ。
誰にでもできることではない。
事実、西安では頭を強打されて未だに意識不明のままの犠牲者だっている。
カントン語も話さず、市内交通のプリペイドカードさえ持たず、現金で地下鉄に並ぶような、
あきらかに当日に現地入りしたとおぼしき「よそ者」ども。
もし1ヶ月でも本当に市内で暮らしているなら、公共交通のプリペイド・カードは絶対に持っているはずだ。
それすらも持っていないというのは、当日にどこからか、運ばれてきた連中に決まっている。
自分たちの町を破壊し、暴れまくっていることに無言の抗議の意を込めて、
彼らが犯した狼藉に対し、子供たちが無言で黙々と掃除を進めた。
投げ散らかされたペットボトルなどのごみを拾い、壊された花壇の鉢を塵取りで掃き取った。
そこに「市民」の成立した姿を見、さすが広州はレベル高いわ、と感慨深かった。
一部の知識ある人たちだけが、意識が高いのではなく、一般市民に至るまでのレベルの高さである。
小中学生までが、自主的に抗議の、沈黙の清掃を始めるような。
同じように激しい「おさんぽ」があった西安などでは、
たとえば「Diao頭哥」(Uターン兄ちゃん、
「前方で日系車をはかい中、日系車はUターンされたし」という看板を持って立ち、多くの車主に注意を喚起した兄ちゃん)などの
個別に英雄視された人は出現したが、広州のような群集的行動、しかも子供たちの行動という現象には至っていない。
そういう意味では、やはり私は彼らに一目をおき、ほかの地方の人とは違う見方で見ている。
ロゴ湖のほとり、リゴの街並み。
あっという間にロゴ湖に到着した。
観光客にとって、最もポピュラーなのは、里格(リゴ)というロゴ湖の西側の湖畔。
危ないところだった。すでに端午の節句の連休は始まっており、
何の情報もろくに集めることができずにそのまま来てしまったせいで、ホテルの予約もできていなかった。
何しろ北京を出発する時は、ここに来ようという発想さえなかったのだから。
道中、旅仲間が頻繁に口にするのを聞いて、そうか、行ってみるべ、と突発的に決めたことだった。
同乗の学生らが、
「宿は空いているかな」
とちょいワル運転手さんに聞いた。
彼は、リゴにある知り合いのホテルに電話してくれるといったが、聞いた当の学生らは、ぐずぐずと返事を迷っていた。
こういう運転手からの紹介は、彼自身のマージンが入っていることが多く、自分で飛び入りで探した方が安いのではないか、と疑ったのではないだろうか。
確かに彼のいう1部屋200元、と値段はまったく安くない。
麗江の大研城の古民家ホテルが130元程度だったことを思うと。
しかし何しろ端午の節句の連休はもう始まっているのだ。
それが相場なんでしょう、というのも想像できたので、路頭に迷うリスクを考えると、私はそのまま予約を取ってもらうようお願いした。
現地につくと案の定、同じバスに乗った人たちでさえ、運転手とのコミュニケーションが遅れたおかげで数時間の差で部屋をとれず。
ホテルに到着して荷物を下ろすと、ホテルのロビーには、空き部屋を求めて次々に人が入ってくるが皆、満室だと断られている。
その様子を見て、あさっての分も予約しておいた。
これは本気で取れなくなると思ったから。
それにしてもやっぱり高地だああ。
ちょっと坂道や階段を上っただけでぜえぜえいう。
私がへたれすぎるのもあるにしても。がは。
いや。本当に息が苦しいです。
ついにやってきました!
世界の秘境(かつての???)、ログ湖ー!
ログ湖2日目、湖畔をぶらぶら歩いていると、向こうから歩いてくる女の子に
「もしかしてK2(束河のユースホステル)にいました?」
と話しかけられた。
「ええ? そうそう。」
「座っている時ににこりと笑いかけてくれたじゃないですか。覚えていないかもしれないけど・・・」
・・・・本当に覚えていない。でも聞くと、彼女も一人だという。
今回の旅でしみじみと感じたことの一つは、
こちらの若者もバックパックを始めるようになったが、一人旅が圧倒的に少ないということだ。
欧米や日本のバックパッカーは一人が主流だが、そこがぜんぜん違う。
特に女子の一人旅は圧倒的に少ない。
それだけ日本人が平和ぼけしているとも言えるのかもしれないが。
とにかく学生時代のバックパッカー時代はすぐに知り合いだらけになったが、
今回の孤独さは私がおばさんになったことだけでは説明できない要因がここにあると残念に思っていたところだったので、
ここで出会ったが百年目とばかりに彼女の腕に絡みつき、
「夕食、いっしょに食べまひょ!」
とお誘い申した。
卒業旅行で来ているという彼女は、江蘇の塩州の出身。
就職先は蘇州のIT企業に決まっており、7月から出勤し始める前の最後の旅行だそうだ。
在学中は家庭教師、携成旅行ネットでのシステム管理などのバイトをし、そういうお金が旅行の資金になっているという。
今時の大学生は、最後の1年くらいは、インターンでほとんど働きづめっぽい。
ログ湖名物は、子豚の丸焼きなどのバーベキュー。
道沿いにはバーベキュー屋さんが軒を連ねる。
彼女を誘って焼肉屋さんの物色に出かける。
名物の子豚の丸焼き。
2日目の晩は、道連れ女子と二人でバーベキューを食べたが、
翌日、彼女が束河で知り合ったという20過ぎの広東人男子3人組を紹介され、皆で食事をすることにした。
元々は3人、それぞれに単独行動しており、道中でいっしょになってこの数日は、行動をともにしているようだった。
この3人で印象的だったのは、「さすが広東人」と思わせる、他省の若者にはない特徴だ。
1、 3人とも中卒。中卒の子がバックパックに出ているケースはごく稀で正直、驚いた。
いくらバックパック(つまりは貧乏旅行)といえどもやはり無駄金がかかるわけで、結婚資金の貯金や家族への仕送りもせず、
終わってしまえば、何も手元に残らない旅行という贅沢にお金をかけようという酔狂な人間は、
やはり大学程度の教育レベルがあり、旅という経験を知的財産として、今後の人生に役立てることのできる程度の基礎を持っている人たちがほとんど。
学費が無料だった90年代以前までと違い、今時の大学の学費は貧乏な地方の農民であれば、一族郎党のお金をかき集めても、
数年しか学費を供給できず、やむなく中退する子も多いくらい高いのだ。
だからこそ大学進学は、比較的裕福な家庭の子が多く、そのために旅代も親からもらうこともできる。
または大学生は家庭教師やデスクワークのアルバイトで効率よく稼ぐことができるために、旅行資金を貯めることができる。
2、中卒ながら、容姿が極めて洗練されている。そのへんの大卒の子たちと遜色ない垢抜けた雰囲気、ノーブルないでたちをしている。
(写真がなくて残念。すんません)
3、 3人のうち、2人は家族、または親戚から楽な仕事の恩恵を受けている。
3人のうち、一人は広州市、一人は東完市、一人はあまり判別のつかない広東の地方都市の名前を挙げた。
その中で広州市の子が最も秀逸。
中学を卒業してから一度も就職したことがなく、家が多くの不動産を持ち、家主業をしているので、その家業手伝いだそうだ。
しかしほぼ「オタク」。
家でゲームに熱中していることが多いらしい。
今回の資金も当然、家業手伝いによるお小遣いで来ている。
東完の子は、運転手などの職業をしてきたが、すべて親戚の商売の手伝いであり、
つまりは一族の一員として職にありついており、今後もおそらく親戚筋が世話してくれるから、
食いあぶれたり、きつくて割に合わない仕事に就かなければいけないことはないだろうと思われる。
最後の一人は、家族や親戚のコネに関する話は出てこなかったが、
おそらく地元の人間として、就職先にはあまり困らず、家を買う資金や結婚資金を貯める必要もなく、
稼いだお金を旅行に投入することができるのだと思われる。彼はこれからラサまでヒッチハイクで行きたいそうだ。
この3人を見て、つくづく感慨深かった。
彼らは畸形なほど競争が激しくなってしまった高等教育を受ける機会を完全に放棄してしまっているのだなあ、と。
大学に行くのは、いい人生、いい就職先を得るためであり、
彼らは一族、または地縁の中でそれを解決してしまっているから、その必要がない。
中国の二大工場地帯といえば、珠江デルタと長江デルタ。
少なくとも中国全土の、いや全世界のかなりの部分の生産がここに集まっているのだから、富の集積があって当然だ。
以前にも温州の若者に電車で出会ったことがあったが、彼らも非常に洗練された雰囲気を出しながら皆、高卒だった。
曰くは、温州では高校を卒業すれば充分であり、あとは家業の手伝いを始め、商売に精を出し始める、とのこと。
ロゴ湖のほとり。
それにしても。
特に広州のオタクくんの場合などは。
中卒から引きこもり、家業手伝いとなると、もはや家業への依存なしの自分の存在などはありえないわけで、
当然婚姻も家族に意見の制限を受けるだろうし、まさにマルグリット・デュラスの『ラマン』の世界だべええ。
そんなことは別に他人の人生でどうでもいいことなのだが。
余計なお世話だわさ。
広州といえば印象深いのは、12年に全土で吹き荒れたはんにち「おさんぽ」の際、
ジャージの制服姿の小中学生たちが、「理性あるあいこくを」
というプラカードを掲げて暴力に反対する勇気ある声を多数上げたことだ。
頭に血の上った連中に抗議の声を上げることは、自分も暴力の対象になって袋叩きになる可能性だってあるのだ。
誰にでもできることではない。
事実、西安では頭を強打されて未だに意識不明のままの犠牲者だっている。
カントン語も話さず、市内交通のプリペイドカードさえ持たず、現金で地下鉄に並ぶような、
あきらかに当日に現地入りしたとおぼしき「よそ者」ども。
もし1ヶ月でも本当に市内で暮らしているなら、公共交通のプリペイド・カードは絶対に持っているはずだ。
それすらも持っていないというのは、当日にどこからか、運ばれてきた連中に決まっている。
自分たちの町を破壊し、暴れまくっていることに無言の抗議の意を込めて、
彼らが犯した狼藉に対し、子供たちが無言で黙々と掃除を進めた。
投げ散らかされたペットボトルなどのごみを拾い、壊された花壇の鉢を塵取りで掃き取った。
そこに「市民」の成立した姿を見、さすが広州はレベル高いわ、と感慨深かった。
一部の知識ある人たちだけが、意識が高いのではなく、一般市民に至るまでのレベルの高さである。
小中学生までが、自主的に抗議の、沈黙の清掃を始めるような。
同じように激しい「おさんぽ」があった西安などでは、
たとえば「Diao頭哥」(Uターン兄ちゃん、
「前方で日系車をはかい中、日系車はUターンされたし」という看板を持って立ち、多くの車主に注意を喚起した兄ちゃん)などの
個別に英雄視された人は出現したが、広州のような群集的行動、しかも子供たちの行動という現象には至っていない。
そういう意味では、やはり私は彼らに一目をおき、ほかの地方の人とは違う見方で見ている。
ロゴ湖のほとり、リゴの街並み。
ちゃんとガイドブックも持っていかず、オーソドックスな観光コースにも行っていないので、ぜんぜんわからないのですが、腹時計ならぬ「肺メータ」でいえば、そんな感じですね。