いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

麗江・大研城1、なぜ突然雲南か

2013年08月01日 13時19分11秒 | 雲南・麗江の旅
    




突然ながら、麗江に行ってきた。
実に20年ぶりと言ってもいい、目的のない一人旅である。
といっても、手元には翻訳原稿を抱えており、貪欲に観光をするというよりは、場所を変えて仕事のモチベーションも上げ、引きこもりの応急処置を施そうという意図。


これまでそういうシチュエーションを想定していなかったので、
手元にはあまりの重さのためにほとんど活用できていないノートパソコン1台しかない。
それでも仕事をしないといけないことを考えると、持って行かないわけに行かないし、その件だけを取ってみても、
がしがしと移動しまくる旅とは行かない。

中国でもかなりノートパソコンの値段も下がり、
台湾メーカや中国国産メーカなどもだいぶいいものが出てくるようになったが(私のも台湾のACERのもの)、
軽さ、性能、コスパフォを考えると、次に買い換えるならやっぱり日本に帰って買うのがいい感じがしている。
そういうわけで、もしこういうノートパソコンを日常的に背負って移動するライフスタイルが長く続くようなら、
また考えよう、ということだ。



    
    テーマパーク化した麗江の旧城内
    バーの名前「千里走単騎」は、高倉健を起用したチャンイーモウ監督の映画の名前。
    麗江が舞台になっている。





麗江を選んだ理由は、ずばり「カフェでパソコンで仕事をしても孤独を感じず、毎日退屈せずにいられそう」だから。

私は学生時代、90年代初めに麗江に来たことがある。
今の壮絶なテーマパーク化ぶりとは比ぶべくもないが、
それでもその当時の文革時代に毛が生えた程度の周囲の中国と比べると、別世界のように「世界にリンク」していた。

大理と麗江は、中国の中でも明確に欧米の「ヒッピーが育てた町」であり、
欧米人や日本人は、ドミトリーで10人部屋に10元/ベッドで泊まりながら、コーヒーには、1杯20元でも払った。

彼らのリクエストとたっぷりある時間に飽かせた「育成」により西洋料理や日本料理を出す店もあったし、
テーラーでは藍染の細かいパッチワークのさまざまな服や小物が並び、北京や上海でも手に入らないような、垢抜けたものが多かった。

カフェでは、ボブマーリーの歌がガンガンと流れ、
マリファナでラリったヒッピーたちが石畳の道をふらふらと千鳥足で歩いていた。

まさに「ベトナム戦争、ゴア、ジョンレノン、オノヨーコ」が、外界から遮断された山奥に忽然と現れたような感である。
それから20年がたち、世界中の工業製品を作りまくって豊かになった中国では、もう様相が違うのは想像できたし、
おそらく外人は圧倒的な中国人観光客の波に呑み込まれて、あまり目立たないだろうなあ、とは思いつつも、
ヒッピーの町としての「名残り」に期待しての出発である。



夜は大にぎわい。麗江の夜。

業務連絡として、旅の予算ディテールを以下にまずはご報告。

北京から麗江までの航空チケット: 合計1000元ほど。
 これは定価ではなく、この日に予約したからこの価格、という浮動レート。
 事実、帰りは1000元以上も高くなっていた。学生が夏休みに入ったこと、ほかの地方が夏に入ったのに、ここが涼しいため、などのさまざまな要素のため。

チケット購入は、いつもの携成旅行ネットで。
ネットで予約すると、家まで送り届けてくれる上、銀行カードを使ってその場で支払いをすることができるため。
急に決心したために、翌日のチケットを購入、一日寝て、そのまま出発ー。
慌しい中、あたふたと旅の用意を進めた。

最近、中国の空のダイヤルは過密すぎて、遅い時間になればなるほど遅れて、離陸時間がずれこむ。
滑走路が大渋滞してなかなか飛び立てないから、後の便にだんだんとしわ寄せが行く。
その事情は身にしみてわかっているので、朝一番の飛行機を予約した。
北京から麗江の直行便、朝6時代の出発だ。
どーだ、これなら着実に一番便だからしわ寄せの来ようもないじゃろ、がははは、と朝4時に起床。
空港に向かったのに----、それでもやはり甘かった。。。

前日の晩、大雨が降り、前の晩に多くの便が足止めをくらい、北京に入れず。
それが朝一番からじゃんじゃんと北京に乗り入れてきたので、滑走路の上の空が大渋滞となり、
飛んでくる飛行機を受け入れるだけで数時間がすぎ、朝6時代の出発便が結局、午後1時代の出発に変更されていたのである。
あーあ。もおおおお。

トイレに行くと、洗面所で歯磨きしたり、顔を洗っている女性たちが列を成していた。
朝7時から空港のトイレでなんで歯磨きやねん???と思っていると、聞いたら昆明から飛んできたという。
ということは、昨晩は空港で徹夜か???
歯を磨いているということは、夜ホテルで寝かせてもらっていないということだろうか。。。
もおおお。ほとんどシベリア抑留輸送のような状態やないか。。。

かくいう私だって、ろくでもなかった。
朝6時の便で朝10時台には麗江に降り立っているはずだったのに、結局北京を離陸したのは午後2時をまわってから。
3時間50分のフライトを経て、麗江の降り立ち、空港を出たのは夜7時近く。
最終的にホテルを見つけ、チェックインできたのは、夜9時を過ぎた頃だ。
こっちも負けじ劣らずシベリア抑留輸送並みじゃああ。


こちらの空の便ってなんでこんなに脆弱なんでしょうな。
昨日、ちょっとぴかぴかごろごろ言っただけでこのていたらく。
そういうトラブルを常に想定してスケジュールを組まないといけないから、効率悪いったらありゃしない。


以前はこういう目にあっても「発展途上国だとわかってきているんだから、仕方がない」と
文句をいう気にもならなかった。
シベリア抑留だろうと何だろうと、承知の上で来ているのだから仕方がない、と。
しかし去年の大規模な集団「さんぽ」以来、その気分は一変した。
そんなに空威張りしているのに、なんじゃい、みっともない、と思わず言いたくもなってしまう。



やっとの思いでたどりついた麗江、旧城内のレストラン。








あまりの物価の高さにぶったまげた。
おかず一つ、ビール、ごはんだけで50元近くした。
北京の近所でこんなしょぼいものを食べたら、半額で済むだろう。
さすが観光地。もおお、覚悟決めないといけませんな。

これはなんとか菜という聞いたこともない名前の野菜。当時はちゃんと覚えていたのに、忘れてしもた。
やっぱりちゃんとメモしておかないといけませんな。
歯応えは、キャベツとエリンギをいっしょにしたような感じ。





麗江古城は、城全部がお土産屋、カフェ、バー、古民家宿しかない、完全なるテーマパーク状態になっている。
もうそこには地元の人の生活はなく、すべてがアトラクションだ。

しかしまあお土産も音楽もすべて洗練されていて、さすがだ。
まさに「中国で観光が究極の状態まで進んで飽和状態になると、こうなる」という標本のような町だと思う。
それが良いか悪いかは別にして。

その発展を何か強力な構想と強制力で目標とす方向に持っていかない限り、そういうことになってしまうんでしょうなあ。
それは高度成長期にある国ではどこでも同じであり、日本にもかつてそういう時代はあった。


私が20年前にここを訪れた時、麗江はナシ族の人々の暮らすごく普通の町だった。
古い町並みが残り、古色蒼然としてはいたが、人々は普通に暮らしていた。

行きかう人々の中で目立つのは、民族衣装を着たじいちゃんばあちゃんたちであり、背中にはかごを背負い、のんびりと歩いていた。

当時からたしかピーター・カフェとかいう西洋人が経営するか、
西洋人に少しお料理を仕込まれた中国人の経営するカフェはあり、少しこじゃれた西洋料理が食べれたりした。

しかしそれだけであり、夜は街灯もほとんどなく真っ暗。
ナシ族のじいちゃんたちの民族音楽のコンサート、という演目はあったが、それ以外はやることもなく、バックパッカー同士でおしゃべりして寝るだけだった。
何よりもの違いは、新市街の大発展だ。これにはたまげた!

20年前、麗江は古城の外は畑が広がっており、本当にごく狭い範囲内での町しか存在しなかった。
それが今は、古城が中国のほかの地方都市に見るような、ごく普通の市街地に完全に取り囲まれてしまい、
その規模は年々大きくなり続けて、古城を呑み込んでしまっている。

古城があまりにもテーマパーク化してしまったので、まだ穢されていないほかの古い町並みに
観光客が移りつつもあり、名前を区別するために、この本来の麗江城は、「大研城」と呼ばれる。

すぐ外には、束河、白沙などのブレイクしつつある古鎮も売り出し中であり、
そこも正確にいえば、麗江の行政区範囲になるため、今では皆がそう呼んで区別している。

以前に古城の古民家に住み、ナシの音楽をかなで、民族衣装で暮らしていたナシの人々はどうなったかというと、
テーマパーク化した古城内の家を外の人たちに貸付け、高いテナント代を稼いで、
そのお金で郊外のアパートを買い、移り住んでいる。

唯一、ほっとするのは、どうやらこの「開発」過程で利権を庶民が奪われることはなかったらしいことだ。
よくあるパターンとして、少しでも金儲けできそうな兆しが出てくると、

地元せいふが「きゅう家屋かいぞう」と銘打って、なけなしの金で住民らを追い出してその不動産を占拠し、
何十倍もの金額でディベロッパーと利益を山分け、庶民はその儲けの蚊帳の外に置かれる、という状態だ。
そういうやり方のために今、全国で激しい闘争がおき、あちこちでてんやわんやとなっていることは、ウェイボーを毎日覗いていれば、だいたいの想像はつく。

麗江の場合、庶民がちゃんと家主のまま、町の発展の恩恵に預かっているらしい。
他の諸外国では当たり前のことでも、場所変われば、それがとても美しく、癒される話に聞こえる。



道端にヤギの解体姿が。どういうパフォーマンスなんしょう。。。


   
   こちらは子豚の丸焼き。これは今後、なんども見かけることになる郷土料理らしい。




人気ブログランキングへ にほんブログ村 海外生活ブログ 北京情報へ


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
へぇ~ (~弥勒~)
2013-07-30 19:31:53
へぇ~、
昔、段氏大理国。一陽指、一灯大師がいた国じゃないですか。
北京からずいぶん離れていますね。どうやって行ったのですか?
世界遺産「麗江の旧城内」をちらりと見せといて、まずは
どうやって行ったというマクロなところも教えてください。
返信する
弥勒さんへ (Yichintang)
2013-07-31 11:30:51
了解ですー。
この後、そういうラインナップになっていますので、
足りない部分がありましたら、またご質問くださいー。
返信する
片道切符 (KANKAN)
2013-08-06 15:32:21
将来麗江の話の小説化に期待します。
返信する
kankanへ (Yichintang)
2013-08-06 16:00:20
いやああ。それだけはご勘弁を。。。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。